ダイアナ・ロス脱退後でも、シュープリームス名義として日本の踊り場で人気になった、「ストーンド・ラブ」(Stoned Love)。
一般的には日本ではちっともこの曲はヒットしませんでしたが、踊り場人気とはいえシュープリームス最後のヒット曲だったと私は記憶しております(1970年、全米7位)。
1970年代前半の踊り場は、60年代のモータウンサウンド、テンプテーションズ、フォートップスと共にシュープリームスの曲も非常に好まれ使われておりました。
そんな中、「ストーンド・ラブ」もダイアナ・ロス在籍時のヒット曲同様、当時のツッパリ坊やズベ公、アイビーに好かれていたナンバーでした。
が、1974~75年頃からのR&B、ニューソウル、ニューファンク、フィリーソウル(フィラデルフィアソウル)から所謂ディスコサウンドへの流れが変わって行きました。
踊り場からディスコの時代になると、より新しいサウンド&楽曲、シンガー、グループが好まれ、「ストーン・ラブ」を最後にヒット曲がでなくなったシュープリームスは影が薄くなったのは否めません。
他の多くのシンガー、グループがそうであったように、1980年前後の空前のディスコブーム期には「軒を貸して母屋をとられる」。
完全にブーム期の「ディスコのコ」達に、シュープリームスは忘れ去られておりました。
映画「ドリームガールズ」の悲劇のモデルになったシュープリームスのオリジナルメンバー、フローレンス・バラードは、映画通り1967年に既に解雇されておりましたが、シュープリームスが忘れ去られた1976年に他界。
日本で当然これがニュースになる事もありませんでしたし、メンバーチェンジを繰り返すシュープリームスの断末魔も、日本で伝わる事も全くなかったです。
最後のオリジナルメンバーのメアリー・ウィルソンの独立によって、シュープリームスが1977年に解散していた事も、殆ど当時は誰も日本人は知らなかったと、私は思ってます(私も知らなかった)。