英米日でザ・ビートルズのデビューシングルが異なっていた理由




1962年10月5日、イギリスでレコードデビューしたザ・ビートルズでしたが、日本でのレコードデビューは遅れる事約1年5ヶ月の1964年3月5日。

曲はイギリスの「ラブ・ミー・ドゥ」ではなく、日本は「抱きしめたい」。

今でこそ天下の!ザ・ビートルズですが、当時は音楽後進国だったイギリスのぽっと出の4人組バンドなど、日本のレコード会社は関心もなく、また、情報も少ない時代でしたので一般大衆も全く興味なし。

本国イギリスでは人気爆発!、既にシングル5枚目の「抱きしめたい」が何故に?日本で初めてのレコード発売、結果ザ・ビートルズの日本デビュー曲になったのか?

勿論、日本にもイギリスでザ・ビートルズという、髪を伸ばしエレキギターをかき鳴らし♪イエーイエーと叫んでる変わったバンドが、もの凄くレコードが売れて女の子達に人気らしいと噂は入ってたでしょう。

そして、結果2月1日に全米ビルボードチャートで「抱きしめたい」がイギリス勢初の1位を獲得するという大事件がアメリカで起きる前兆を、東芝の関係各位がなんとなーく感じとったんだと思いますね〜。


そのアメリカも、アメリカでは売れないイギリス人(唯一クリフ・リチャードが知られてる程度)の、ぽっと出の4人組バンドのレコード発売には消極的で、発売権を持っていたキャピトルが拒否してます。

かわってヴィージェイ・レコードが1963年2月25日に、本国イギリスでは第二弾シングルの「プリーズ・プリーズ・ミー」をアメリカで発売しましたが、次の「フロム・ミー・トゥ・ユー」含め不発でした。

ですから本国イギリスは「ラブ・ミー・ドゥ」、アメリカは「プリーズ・プリーズ・ミー」、日本では「抱きしめたい」と、ザ・ビートルズのデビューシングルは、3カ国とも曲も時期も異なってるんです。

ちなみに、イギリス本国デビュー曲の「ラブ・ミー・ドゥ」は全英チャート最高位17位。

ザ・ビートルズとて当時は新人バンドですから、自分たちのレコードがラジオから流れ、この最高位なら大喜びの大成功だったでしょうし、プロデューサーのジョージ・マーチンも手応えを感じたでしょう。

そんなイケイケドンドンのザ・ビートルズは、1963年1月11日には第二弾シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」を発表。同名デビューアルバムが3月22日に発表されました。


シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」は全英2位の大ヒットになった事もあり、シングルA面ヒット2曲が入るアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」は、発売6週目で全米1位を獲得すると以降30週連続1位!

そんなアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」の、31週目の記録を止め1位を獲得したのは、1963年11月22日発売の、ザ・ビートルズのセカンドアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」でした。

そして、本国イギリスでのシングル第三弾は4月12日発売の「フロミ・ミー・トゥ・ユー」。

「フロミ・ミー・トゥ・ユー」は初の全英1位を獲得し、8月23日のシングル第4弾の「シー・ラブズ・ユー」も全英1位を連続で獲得。ザ・ビートルズのイケイケドンドンは、見事に大当たりしたわけです。

そんな「シー・ラブズ・ユー」は、1963年のイギリスで最も売れたレコードになり、この頃からイギリスではザ・ビートルズに嬌声をあげ熱狂する社会現象の『ビートルズマニア』が登場。


というわけで、ここまでのシングル4枚、アルバム2枚の売り上げだけでも、ザ・ビートルズ、特に作詞・作曲者のジョン・レノンポール・マッカートニーは、びっくりするような印税が入ったと思われます。

とにかく、これだけでも普通のバンドだったら大成功!一生持ち歌でショーをやって食っていける、全世界のバンドマンにとって夢の成功物語をザ・ビートルズは僅か1年強で成し遂げたわけです。

そして本国イギリスでのシングル第5弾の「抱きしめたい」が11月29日に発売されると、これまた全英1位を記録。イギリスの『ビートルズマニア』の大騒ぎはこれにて頂点に達します。

しかし、思えば「プリーズ・プリーズ・ミー」「フロム・ミー・トゥ・ユー」「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」の4曲が、1963年に発表されたって凄いですね〜。正に神に選ばれしバンドです。

が、それでもアメリカでは「シー・ラブズ・ユー」も売れず、やはりイギリスの音楽はアメリカではウケないというジンクス通りでしたが、それが変わるのがイギリスのその『ビートルマニア』の存在。

1963年12月10日に「CBSイブニングニュース」で、イギリスとの『ビートルマニア』の熱狂ぶりが報道すると、アメリカの一部の若者たちが遂にザ・ビートルズに注目しています。

そして、イギリス盤の新曲「抱きしめたい」を入手したラジオ局が流すと大反響だった為、アメリカのキャピトルがこれにで遂に!アメリカでのザ・ビートルズのレコード発売を決断。

アメリカで、キャピトルから「抱きしめたい」が1963年11月29日に発売されると、冒頭の通り1964年2月1日にビルボードチャート1位を獲得!

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アメリカでも、やっとキャピトルがザ・ビートルズのレコードを発売してくれる事になったから、アメリカに宣伝に行こうぜ!ってな流れで、全米1位獲得前に初渡米は決まっていたのでしょう。

「抱きしめたい」が全米ビルボード1位に輝いた6日後の2月7日、ザ・ビートルズはニューヨークのケネディ空港に初めてやって来ましたから、「抱きしめたい」はタイムリーな1位獲得だったと言えます。

そしてその2日後、ザ・ビートルズアメリカの当時のテレビ人気番組だった「エドサリヴァン・ショー」に出演しました。

ザ・ビートルズは、前後半と2回にわけ「オール・マイ・ラヴィング」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」「シー・ラヴズ・ユー」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「抱きしめたい」の5曲を演奏。

この時の視聴率は72%で、遂に!アメリカでもイギリスに続いて『ビートルマニア』が現れ、アメリカ初コンサートになったワシントンコロシアム公演含む2週間のアメリカは、大盛況で終わりました。

ちなみに「抱きしめたい」が2月1日から7週連続で全米ビルボードチャート1位、その後の1位が「シー・ラヴズ・ユー」の2週連続、そしてその後が「キャント・バイ・ミー・ラブ」の5週連続。

結局、2月1日から5月2日まで、ザ・ビートルズの曲が14週連続で全米1位を獲得しています。

アルバムもザ・ビートルズのデビュー作は、英米日3カ国とも異なってます!

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日本でも、やっとザ・ビートルズのデビューシングル「抱きしめたい」が、全米ビルボードチャート1位獲得の4日後に発売されたのは、この時の東芝の高嶋弘之氏の功績、功労はファンの間では有名です。

高嶋弘之氏はヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんのパパとしても有名ですが、「I Want To Hold Your Hand」という、今や日本ではこっちの方が馴染みの曲名「抱きしめたい」とつけたのも高嶋弘之氏。

遅ればせながらで日本では、既にイギリスで発表済みの「プリーズ・プリーズ・ミー」と「シー・ラブズ・ユー」が3ヶ月連続でシングル発売していますが、その辺は当時のアメリカも似たようなもの。

1964年4月4日の全米ビルボードチャートで、ザ・ビートルズが1位から5位まで独占する大事件が起きたのも、キャピタルがレコード発売を渋ったため洪水のように溜まった曲が溢れ出てきたからでした。


1位「キャント・バイ・ミー・ラヴ」
2位「ツイスト・アンド・シャウト」
3位「シー・ラヴズ・ユー」
4位「抱きしめたい」
5位「プリーズ・プリーズ・ミー」 

「ツイスト・アンド・シャウト」はカヴァー曲で、本国イギリスではシングル発売されてませんでしたが、同日のトップ100には更に7曲もザ・ビートルズの曲が入っています。

ちなみに日本もそうですが、当時のアメリカでのザ・ビートルズデビューアルバム「ミート・ザ・ビートルズ」も2枚目の「ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム」も全く!本家イギリスのものとは異なります。

また、前出のヴィージェイ・レコードが「Introducing… The Beatles」というアルバムを発表してるので、正確にはキャピタル盤より、こちらがアメリカでは本当のザ・ビートルズのデビューアルバムです。

まぁ〜ヴィージェイ・レコードにしてみたら、自分とこがアメリカでザ・ビートルズのシングルレコードを発売してたんですから、「今更キャピタルふざけんなよ!」という気持ちはあったでしょう。

残念ながらこのアルバムは日本では発売されておらず、一般的にはキャピタルの「ミート・ザ・ビートルズ」がアメリカのデビューアルバムという事になっていますね。

一方、日本でザ・ビートルズのデビューアルバムになった「ザ・ビートルズ!」は、前出の高嶋弘之氏が独自に選曲した、当時のザ・ビートルズのベストアルバム的なものでした。

だから!ザ・ビートルズは、デビューシングルもデビューアルバムも、本家イギリスとアメリカと日本では全部違ってたんです。

最後になりますが、その日本ではザ・ビートルズのデビューアルバムになった「ザ・ビートルズ!」の収録曲を紹介いたします。

A面
「抱きしめたい」
「シー・ラヴズ・ユー」
「フロム・ミー・トゥ・ユー」
「ツイスト・アンド・シャウト」
「ラヴ・ミー・ドゥ」
「ベイビー・イッツ・ユー」
「ドント・バザー・ミー」

B面
「プリーズ・プリーズ・ミー」
「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」
「P.S.アイ・ラヴ・ユー」
「リトル・チャイルド」
「オール・マイ・ラヴィング」
「ホールド・ミー・タイト」
「プリーズ・ミスター・ポストマン」