1973年キャロルのデビューアルバムのB面R&Rカバー曲と、大衆とのギャップ!

1973年3月、噂のキャロルのデビューアルバム「ルイジアンナ」が発売されましたが、まぁ〜当時のオーディエンス側に問題があったので(笑)、売れなかったですね〜。

ここまでキャロルは1972年10月、デビューシングル「ルイジアンナ」発表から、毎月シングルを発表しており、アルバム「ルイジアンナ」のA面は、そのシングルのAB面を集めたもので、B面がR&Rのカヴァー。

「ルイジアンナ」のジャケットはユウ岡崎氏ではなく、この後、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドで名を馳せる、あの!白のつなぎを提案した相原誠氏がメンバーとして写ってるショットが使用されています。

ちなみに、、、

1970年に、解散間際のザ・スパイダースが「 ロックン・ロール・ルネッサンス」という、古のR&R9曲のカヴァーと、当時の最新曲3曲のアルバムを発表しています。

が、こちらもグループサウンズブーム終焉期のアルバムで、完全にザ・スパイダースも人気が低迷していた事もあり、「ルイジアンナ」以上に売れなかったですし、存在も一般的に知られていません。

本当に当時の日本の若者達は、R&Rインポでした(笑)。


アルバム「ルイジアンナ」が発表された1973年の、年間オリコン調べのシングルトップ10は以下の通り。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1位 女のみち;宮史郎とぴんからトリオ
2位 女のねがい:宮史郎とぴんからトリオ
3位 学生街の喫茶店:ガロ
4位 喝采ちあきなおみ
5位 危険なふたり:沢田研二

6位 神田川かぐや姫
7位 心の旅:チューリップ
8位 恋する夏の日:天地真理
9位 若葉のささやき:天地真理
10位 赤い風船:浅田美代子
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

かろうじて元ザ・タイガース、元PYGのジュリー=沢田研二氏の「危険なふたり」がR&Rグルーヴでしたが(R&Rではないけど)、1973年の日本にR&Rなんて存在すらしてなかったです(笑)。 

で、一方、売れなかったですがアルバム「ルイジアンナ」のB面カヴァーは以下の通り。

B1 グッド・オールド・ロックン・ロール
B2 メンフィス・テネシー
B3 ワン・ナイト
B4 トゥティー・フルティー
B5 ジョニー・B・グッド
B6 カンサス・シティー

さて当時の日本の若者で、このB面カヴァー曲の元ネタを、どれだけの人が知っていたでしょうか?

ほぼ皆無だったでしょう(笑)。

唯一!ザ・ビートルズもカヴァーしていたので「カンサス・シティー」は知っていても、「ジョニー・B・グッド」すら知らなかったと思います。

余談ですが日本の古のロカビリーブームの頃、チャック・ベリーは日本では流行ってなかったと、共に今は亡き音楽業界の重鎮のお二人、大瀧詠一氏と石坂敬一氏は述べておりました。

だからキャロルのこの選曲も、相当!当時はマニアックだったんですが、誰の選曲だったんでしょうね?

矢沢永吉氏は古のR&Rマニアではないので、B面はほぼ独壇場のジョニー大倉氏の可能性が高いです。

或いは、「ロカビリー三人男」の一人、プロデューサーのミッキー・カーチス氏の推し、趣味だったか?そのどちらかで間違いないでしょう。

キャロルと内田裕也氏が発表した、1973年のR&Rアルバム!

そして内田裕也氏も同1973年、当時のニューロックグループサウンズブームの頃の重鎮を集めた、「ロックンロール放送局」という古のR&Rカヴァーアルバム発表しました。

でも、こちらは「ルイジアンナ」より売れなかったんじゃないでしょうかしら?(良いアルバムですが)。

ちなみにこのアルバムに、現役キャロルのメンバーは一人も呼ばれておらず、せめて矢沢永吉氏をベースに呼んでいたら、その後の売り上げの10%ぐらいは上がったんじゃないかな?と思ったりします。

内田裕也氏主催のロックイベントにキャロルはよく出演していましたし、商業的に売れてなかった当時のニューロック勢の中で、キャロルだけは知名度は抜けていました。

だから何故?「ロックンロール放送局」のレコーディングに、キャロル・矢沢永吉氏が呼ばれなかったのか?今も私的には謎です。

契約の問題なのか?内田裕也氏がこのレコーディングで集めた重鎮達より、キャロルを格下と見ていたのか?私的にはこのどちらかと思っておりますが、誰の証言もないのでこれは私の勝手な憶測にて恐縮。

当時、イギリスでは後にパンクムーブメントになるR&Rリバイバルは熱いムーブメントで、グラムロックはそんな象徴でした。

当時のヒット曲、エルトン・ジョンの「土曜の夜は僕のいきがい」「クロコダイル・ロック」が、古のR&Rのオマージュなのは、誰が聴いてもわかると思います。

カーペンターズの「ナウ・アンド・ゼン」のB面、映画「アメリカン・グラフィティ」による、古き良きアメリカの再現!

また同1973年、日本でも大人気だったカーペンターズが、アルバム「ナウ・アンド・ゼン」のB面でR&Rではない古のポップス、オールディーズのカヴァーをやり、これは本国アメリカでも評判を呼びました。

そして全くの無名監督だったジョージ・ルーカスによる、出演者も当時は全員無名だった映画「アメリカン・グラフィティ」が、同じく1973年にアメリカで公開。

映画会社も試写当初はボロクソにけなし、こんな映画ヒットするわけがないと思われていた「アメリカン・グラフィティ」がアメリカでバカ受けしましたが、日本での公開は大幅に遅れ1974年12月。

当時のR&Rインポの若者たちの日本で、「アメリカン・グラフィティ」はロードショー公開時はヒットせず、1975年になって各地の名画座で二本立ての抱き合わせでロングランになった映画でした。

簡単に言えば1960年代後半に吹き荒れた、ヒッピーフラワームーブメントが、特にアメリカで飽きられてきた時代背景も見逃せません。

それ以前のアメリカも、そんなには悪くなかったんじゃないかもねという提示が「ナウ・アンド・ゼン」と「アメリカン・グラフィティ」だったわけです。

そんな1975年はダウン・タウン・ブギウギ・バンドの典型的なR&Rの「スモーキン・ブギ」が大ヒット。

その新井武士氏のコミカルな詞と、白のつなぎにポマード頭、宇崎竜童氏のサングラスがマスメディア注目の的になり、更に1975年はかの有名な火事になったキャロルの日比谷野音の解散ライブがあった年です。

同年はキャロルの解散ライブで警護を担当し有名になった、大人のバイクチーム「クールス」もレコードデビューし、映画「アメリカン・グラフィティ」の名画座でのロングランが相乗効果になった年でした。

だから、、、

日本の若者達のR&Rインポが回復したのは(笑)、1975年と歴史的に位置づけて間違いないです。