これはボクの勝手な想像ですが、マイルス・デイヴィスは、自分がやってるビ・バップ、ハードバップ、クールジャズに、大衆は普通についてくると、きっと自信があったと思うんです。
でも、それまで、ダンスミュージックとしてのジャズを受け入れていた大衆には、ビ・バップ、ハードバップ、クールジャズは、難しすぎた。
で、、、
マイルス・デイヴィスは、アメリカでありがち、日本人でも想像できちゃう、貧しいアフリカンアメリカンの家庭に生まれ育っていません。
マイルスの祖父は複式簿記で、アーカンソーで右に出るものがいないと言われた聡明な人物。
白人たちは、帳簿を直してもらいに詰めかけてきたというこの祖父は、それで稼いだ金でアーカンソーに60万坪の土地を買った大地主。
その祖父の子=マイルスのパパは、あの時代に肌が黒いのに大学まで進学。
そして歯医者になってます。
マイルスのパパも才覚があったのでしょう、白人相手と黒人相手の二箇所で歯医者を開業。
マイルス・デイヴィスは、お金持ちの祖父と父を持つ、正真正銘の!お坊ちゃま君です!!
自分が大好きなジャズから、大衆が離れていくのを目の当たりにするマイルス・デイヴィス
お金持ちの家に生まれ育ったマイルスに、音楽で成り上がろうという意識はなかったでしょう。
生まれた時からお金持ちの、マイルスは超お坊っちゃまですから。
純粋にジャズに目覚めジャズプレイヤーに憧れ、そしてチャーリー・パーカーに会いたくて、ニューヨークに行った若きマイルス、、、
多分この時、かなりのお金を持っていたでしょう。
トランペット1つ持ち、ポケットには小銭だけなんて、ありがちな伝説にマイルスは当てはまらない(笑)。
勿論、マイルスは、人としてだけではなく、ミュージッシャンとしてのプライドも高かった事でしょう。
そして、マイルス・デイヴィスはジャズの世界で「その人あり」になります。
批評家たちもマイルスを賞賛します。
でも、自分が子供の頃、普通に肌の色が白くても黒くても、みんなが好んでたジャズから大衆が離れていくのを、マイルスは目の当たりにします。
ジャズにかわって、大衆はR&RやR&Bに熱狂してる。
それまでダンスミュージックとして好んでたジャズが、非ダンスミュージックになったことで、大衆は新たなダンスミュージック、R&R、R&Bを求めたのは、今となっては当然と言えば当然。
大衆には、非ダンスミュージックのビ・バップ、ハードバップ、クールジャズは難しすぎた。
マイルス・デイヴィスの性格が、音楽の流れを変えたと思うな〜♪
まぁ〜マイルスは、漫画家の手塚治虫先生のような性格だったろうと、ボクは勝手に思ってるわけで、、、
肌の色が白い、自分より年下の、そして爆発的に売れてるエルヴィス・プレスリーやザ・ビートルズに対する、大衆の熱狂を、マイルスはどうみていたか。
自分が少年時代、大衆のその対象は自分が愛したジャズだったのに、自分が愛した自分がやってるジャズに、大衆は熱狂せず、R&RやR&Rバンドに熱狂してる。
話しが少しずれますが、漫画家の手塚治虫先生は、巨匠になった後も、世の中で大衆にウケてる、売れてる、自分より若い漫画家達に常にライバル心を抱いていたと伝わってます。
「ボクもあのぐらい書けるよ」
手塚治虫先生は、巨匠なのに!自分を巨匠と崇めてる、自分より若い「今、売れてる漫画家」の作品にたいし、こういうことをよく言ってたそうです。
だから、ボクは手塚治虫先生とマイルスって、性格が似てたんじゃないか?と思ってます。
マイルスがもし、ジャズこそ最高、それ以外は所詮格下の音楽さと、日本のジャズファンに、よ〜くいる考え方の奴で(笑)、世間のR&R、R&Bムーブメントを、余裕かまして達観してたら、、、
音楽の歴史、ちょいと変わってたかもしれないですよね〜。
マイルスは、手塚治虫先生と同じで、今売れてる、自分より若いミュージッシャン達と、それに熱狂する大衆がやたらと気になる奴だった(笑)。
手塚治虫先生の「ボクもあのぐらい書けるよ」と同じように、マイルスも自分がその気になれば、世界最高のR&R(R&B)バンドぐらい、すぐ作れるさと考えてたのでしょう。
でも、マイルスは大衆迎合しない。
熱狂の渦の中にいた白人ロックンローラー、R&Rバンド、アメリカンポップスに迎合しない。
元々お金持ちのお坊っちゃま君だし、ジャズの世界では富と名声はちゃんと得てたから、その必要もない。
でも、決定的だったのは、自分と同じ、肌の黒い若きジミ・ヘンドリックスやスライ・ストーンの、エレクトリックなロックに、白人達が熱狂してるのを目の当たりにした時でしょう。
更には、黒人達もジャズではなく、ジェームス・ブラウンのファンクに熱狂してる。
40歳を超えたマイルス・デイヴィス、遂に!それまでの自分のスタイルのアコースティックなジャズを、やめる決心をここでしちゃう。
所謂「エレクトリックマイルス」に、1970年突入直前、突然!マイルスは変わっちゃう。
「エレクトリックマイルス」は、稚拙なジャンル分けを超越した!
なんと!マイルスは、それまでのアコースティックなジャズコンポではない「エレクトリックマイルス」バンドで、1970年に、若きジミ・ヘンドリックス、テン・イヤーズ・アフター、シカゴ、フリー、ドアーズ等の所謂「ロックバンド」、、、
ジョーン・バエズ、ジョニ・ミッチェルと言った、女性シンガーソングライター達の集まった第三回ワイト島音楽祭に、颯爽と登場!!
マイルスのこの音楽的転換、今も賛否がないわけでもないですが、音楽の歴史が変わった瞬間だったと言えます。
でも、、、
コアなロックファンにしか知られてないこの「ワイト島」ではなく、映画にもなった「ウッドストック」に、もし!マイルスが出てたら、、、
「エレクトリックマイルス」の映像が、ジミ・ヘンドリックスやスライストーンの映像と共に、「ウッドストック」に収められていたら、、、
コアな音楽ファンだけでなく、もっと多くの人に、当時のマイルス・デイヴィスの存在意義、知られてたでしょう。
当時のマイルスが、その後のクロスオーバー、フュージョンシーンに、どれだけの影響を与えたか、もっと大衆に知れ渡ったでしょう。
残念ながら、今も普通に自分と同世代の爺婆と音楽の話をしてて、マイルスって名前だすと、ジャズはよくわからないって、引かれて、それでちゃんちゃんになる事が殆どです。
それでも、マイルス、マイルスって言うと、音楽通ぶった嫌味な奴と思われるので、相手の音楽の想い出に適当に話し合わせます(笑)。
だから、近年はそういうのが、本当に!面倒くさいので(笑)、あんまり外では音楽の話し、しないように意識的にしてます。
酒飲んだら、助平な話しししてるのが無難(笑)。
で、最後になります。
マイルスも望んでたジミ・ヘンドリックと、マイルスが1枚でも!アルバム出してたら、随分とその後のクロスオーバー、フュージョン、果ては日本の歌謡芸能の世界まで、変わってたと思うので、ジミの早死は、本当に悔やまれます。