ザ・シュープリームスも、1960年代を全力で駆け抜けていったレジェンドだね〜♪

 
 
ザ・シュープリームスの結成は、人気のエルビス・プレスリー徴兵の翌年、アメリカのR&Rブームの終焉期だった1959年とかなり古く、ダイアナ・ロスは結成当時15歳。
 

メンバーはダイアナ・ロス、メアリー・ウィルソン、フローレンス・バラード、そしてベティ・マグロウンの4人でしたが、ベディはすぐバーバラ・マーティンに替わりました。

画像↑の真ん中が、グループを結成した当初はフロントだったフローレンス・バラードで、地元デトロイトの人気男性グループ、プライムスの妹グループのメンバーにならないかと、最初にスカウトされたのも彼女でした。

フローレンス・バラードとメアリー・ウィルソンは友達で、お互いがスカウトされたら必ずお互いを誘うと約束しており、フローレンス・バラードは約束を守りメアリー・ウィルソンを誘っています。

そして二人の近所に引っ越してきた知り合いの女の子、ダイアナ・ロスを誘い、のちのザ・シュープリームスのメンバーがそこで結集。

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何事もそう感じますが、モータウンを発足させばかりのベリー・ゴーディ・Jr.とザ・シュープリームスの運命的な出会いも、歴史の「必然」を感じます。

ベリー・ゴーディ・Jr.は、グループ名をプライメッツからザ・シュープリームスと改名することを条件にデビューさせますが、なかなかヒット曲に恵まませんでした。

そして、1962年にはバーバラ・マーティンが妊娠を理由に脱退し、グループは3人組になっています。

そしてベリー・ゴーディ・Jr.は、歌唱力抜群のフローレンス・バラードではなく、ダイアナ・ロスをフロントにすることを決断。その方が売れると「感じた」のでしょう。

このへんの諸々のグループ内の葛藤は、彼女等をモデルにした映画「ドリームガールズ」を観た方ならお馴染みですが、フローレンス・バラードの胸中が穏やかなわけがないですね。

結局、ダイアナ・ロスをフロントにしグループの「顔」にしたベリー・ゴーディ・Jr.の戦略は当たり、ザ・シュープリームスはヒット曲を連発したわけです。

そしてこれも、もう一つの歴史の「必然」と感じる、3人ともミシガン州デトロイト出身で、モータウンがソングライター・プロデューサーとして雇ったエディ・ホーランド・ジュニア、ブライアン・ホーランド、ラモント・ドジャー。

この3人のチームを『ホーランド=ドジャー=ホーランド』と称しますが、このチームが作った楽曲がザ・シュープリームスの、いや、ダイアナ・ロスの声に見事にハマったんですね。

まぁ〜このへんは映画「ドリームガールズ」でも描かれてますが、ベリー・ゴーディ・Jr.は黒人層だけでなく「お金を持ってる」白人層をターゲットに、全米チャートのトップを狙い全米放映のテレビにも、ザ・シュープリームスを出演させます。

当時、黒人シンガー、グループは同じ黒人層にだけ売れればいいという考えが一般的で、更に白人層は黒人のやってるR&R、R&B、後にブルースを模倣して、同じ白人層相手に商売をする。

そんな肌の色の違いの商売が当たり前だったようですから、ベリー・ゴーディ・Jr.の黒い肌のグループを、白人層にも受け入れさせるという戦略は、かなり画期的であり、挑戦だったとも言えます。

勿論、そのためには白人プロデューサーや白人DJにベリー・ゴーディ・Jr.は賄賂を渡していたようで、それも映画「ドリームガールズ」に描かれていました。まぁ〜いつの時代も「世の中銭ズラ」。

で、ベリー・ゴーディ・Jr.の営業戦略、ダイアナ・ロスの声とルックス、そして『ホーランド=ドジャー=ホーランド』が作る軽快でポップな楽曲のマッチングは見事成功!

まずは「愛はどこへ行ったの」が1964年夏、全米1位を獲得し、ザ・シュープリームスは遂に!大成功を収めました。

その後も「ベイビーラブ」「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラブ」「恋はあせらず」等々、今やダイアナ・ロスの声以外は想像がつかない、『ホーランド=ドジャー=ホーランド』の作品が軒並みヒット!

ちなみに「愛はどこへ行ったの」は最初、既に「プリーズ・ミスター・ポストマン」で全米1位を獲得していた、同じく女性コーラスグループのマーヴェレッツに予定していた曲だったそうです。

が、マーヴェレッツのリード・シンガー、グラディス・ホートンが歌を気に入らず、これを拒否。

既にグラディス・ホートンのキーに合わせてバック演奏は録音していたので、ダイアナ・ロスはキーが合わず終始不機嫌なレコーディングだったそうですが、曲は見事に!大ヒットしました。

リアル「シュープリームス」物語は、映画「ドリーム・ガールズ」のようには、いかなかったです、、、

という具合に、ザ・シュープリームスは1960年代、アメリカで売れに売れます(当時の日本でR&B好きはコアでマニアックだったから、日本は例外で微妙)。

が、こちらも映画「ドリームガールズ」を観た人ならご承知の通り、国内外良くある話ですが、ダイアナ・ロスベリー・ゴーディ・Jr.とできていたので、一層!ダイアナ・ロスを売り出す事に尽力を注ぎます。

グループの元メインシンガーだったフローレンス・バラードは、色々思うところがあって当然でしょう。

フローレンス・バラードは、グループは売れても精神のバランスを崩してしまい、アルコールに依存するようになり、ダイアナ・ロスとの関係も悪化。

一方、ダイアナ・ロスの当時の心というのも難しいですよね〜。

元々3人は地元の友達でしたし、ダイアナ・ロスは後から加入していますから、最初は戸惑い、フローレンス・バラードとメアリー・ウィルソンに申し訳ないという気持ちもあったでしょう。

でも、自分がメインボーカルをとったら、ザ・シュープリームスは曲がガンガン売れて、いきなり全米の人気グループになっちゃった。若きダイアナ・ロスが天狗にならないわけがない。 

映画「ドリームガールズ」 で、ビヨンセが演じていた役と違い、ダイアナ・ロスもかなりエグい性格だったのは、ファンの間では有名です(笑)。

結局、アル中でトラブルメーカーのフローレンス・バラードは、グループの人気絶頂期に解雇されてしまいます(勿論、1960年代当時の日本でこんな事知ってる人はいなかった)。


新たにシンディ・バードソング↑(画像右)が加入し、グループ名もダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスに改名。

一方、フローレンス・バラードはモータウンの運転手をやっていたトーマス・チャップマンと結婚し、彼を新しいマネージャーとして1968年にABCレーベルと契約を結び、ソロシンガーとして再デビューしました。

が、フローレンス・バラードがソロとして活動する時は、シュープリームスの事には言及しないという契約があったようで、元シュープリームスという看板を掲げてのプロモーションもままならず、思うようなヒットを出せない。

そしてトーマス・チャップマンとの間に3人の子供がいたフローレンス・バラードですが、3人目の子供を妊娠中にトーマスは彼女の元を去ってしまいます。

当然、フローレンス・バラードは売れないのですから、晩年は金銭面で厳しい生活だったようです。

そして1969年にはダイアナ・ロスもグループを離れソロになりますが、その後ダイアナ・ロスもまたベリー・ゴーディ・Jr.の子供が宿しています。

が、しかし、ダイアナ・ロスベリー・ゴーディ・Jr.と結婚せず、マネージャーのロバート・シルバースタインと結婚。子供は二人の子供として育てました(その後、離婚。彼女は別の男と再婚)。

このへんはなんか、松竹映画「蒲田行進曲」の小夏と銀ちゃんとヤスみたいですね(笑)。

そんなダイアナ・ロスが抜けた後、再びグループ名はザ・シュープリームスに戻り、メインシンガーにジーン・テレルが加入。とうとうオリジナルメンバーは、メアリー・ウィルソン一人になってしまいました。

ベリー・ゴーディ・Jr.もダイアナ・ロスのいないザ・シュープリームスに興味がなくなったのか、それまでのようなバックアップはなくなり、「ストーンド・ラブ」の小ヒットは出しましたが、ザ・シュープリームスは70年代になると勢いがなくなっていました。

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ちなみに「ドリームガールズ」でも描かれてますが、ベリー・ゴーディ・Jr.は、ひたすら!ポップなものを追い求め、1970年代初頭にはジャクソン5を大成功させてますが、これには理由があります。

ベリー・ゴーディ・Jr.は、モータウンを設立する前、ジャズのビバップ専門レコード店を開きましたが、あえなく閉店。

演奏家と一部のファン以外、その手の音楽は評価は高くても「金にならない」「商売にならない」のをベリー・ゴーディ・Jr.は、自らのレコード店閉店で体感してるんですね〜。

そんなジャクソン5も大成功しダイアナ・ロスもソロでブレイクしていた1976年、ザ・シュープリームスの元フロントのフローレンス・バラードは冠動脈血栓で急死。わずか32年の短い人生でした。

翌1977年には、唯一のオリジナルメンバーだったメアリー・ウィルソンが独立し、実質ザ・シュープリームスはこの時点で終わっています(他のメンバーでの、営業活動は続いているようですが)。

で、映画「ドリームガールズ」では、そこは何たってハッピーエンド好きのアメリカ映画ですから、美しいフィナーレでしたが、現実は厳しいもので、あれはフィクションです。

フローレンス・バラードは他界していますが、彼女の後任メンバーだったシンディ・バードソングとメアリー・ウィルソン、そしてダイアナ・ロスでのザ・シュープリームス再結成計画は、何度かあったそう。

でも、一説にはダイアナ・ロスとメアリー・ウィルソンの不仲、ダイアナ・ロスとのギャラのあまりの違いにメアリー・ウィルソンとシンディ・バードソングが再結成を固辞した等と伝わっており、これは実現しませんでした。

そして、2021年にメアリー・ウィルソンも76歳で他界。グループが有名になる前に脱退していたバーバラ・マーティンも2020年、76歳で亡くなっております。

ダイアナ・ロス独立後、メインシンガーとして参加したジーン・テレルは2021年8月現在75歳で存命ですが、オリジナルメンバー4人の中では同77歳、存命なのはダイアナ・ロス一人になってしまいました。

というわけで、ザ・シュープリームスザ・ビートルズと同じで再結成を果たさぬまま終わった、60年代のレジェンドグループです。