1968年、まだブライアン・ジョーンズ在籍時のザ・ローリング・ストーンズのアルバム「ベガーズ・バンケット」の1曲目、「悪魔を憐れむ歌」。
このレコーディング風景等を撮影したジャン=リュック・ゴダール監督の「ワン・プラス・ワン」が、2021年12/3(金)から新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開されます。
で、この映画、日本で初上映されたのは1978年末とかなり遅れ、リアルタイム1968年の日本の若者達は観ていません。
ちなみにザ・ビートルズが、有名な「ゲット・バック・セッション」に入るのが1969年1月。
ストーンズの「ワン・プラス・ワン」の影響を、少なからず言い出しっぺのポール・マッカートニーは受けていたと、私は思ってます。
ザ・ローリング・ストーンズの、その後の活動に繋がる原点回帰になったシングル「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」がイギリスで発売されたのが1968年5月、アメリカが6月。
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」はイギリスで堂々!チャート1位を獲得し、オーストラリア、西ドイツでも1位。アメリカでもビルボード最高位3位の世界的なビッグヒットになりました。
同時期、ザ・ビートルズはシングル「レディ・マドンナ」が発売された頃で、この曲はレノン=マッカートニー名義になってますが、ポール・マッカートニー主導の曲なのはファンの間では有名な話。
B面はジョージ・ハリスンの「ジ・インナー・ライト」で、前作のシングルA面の「ハロー・グッドバイ」もポール主導の曲で、この後のビッグヒット!「ヘイ・ジュード」もポールです。
という感じで、1966年頃まではバンド内で圧倒的存在感だったジョン・レノンの影が、ちょいと薄くなってポール・マッカートニー主導になっていた時期なのは、これもファンの間では有名。
まぁ〜ポール・マッカートニーが、他のメンバーへの原点回帰の呼びかけと伝わる「ゲット・バック・セッション」ですが、ポールの対象はジョン一人だったでしょう。
なんたってジョン・レノンは「ゲット・バック・セッション」の1ヶ月前の1968年12月に、ザ・ローリング・ストーンズのスタジオライブ映像の「ロックンロール・サーカス」に単独で参加。
ストーンズのキース・リチャーズをベースに、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリアンスのミッチ・ミッチェルをドラム、そしてクリームのエリック・クラプトンとスーパーセッションをやっていますから。
そしてそのグループ名は「ザ・ダーティー・マック」。
演奏した曲はアルバムが発表されたばかりの、通称「ホワイト・アルバム」からの1曲、ジョン主導で作ったザ・ビートルズの「ヤー・ブルース」ですから、この時のポールの心中や如何にです。
そして、そんなポールもジョンも想定外だったのがジョージ。
ザ・ビートルズのバンド加入の経緯から言っても、ジョージ・ハリスンは年上のポール・マッカートニーの弟分だと、ポールとジョンは思っていたと思います。
でも「ゲット・バック・セッション」で、こちらもファンには有名なポールとジョージの口論が起きたり、ジョンとジョージが対立してジョージが「バンドを辞める」とスタジオから出て行ってしまう。
こんな感じでジョージ・ハリスンがこの頃、バンド内でかなり自我を持ち始めていたのは、ポールは勿論ジョンも想定外だったと思われます。
「手堅い仕事」と割り切っていた感のある、ミックとキースより年上のビル・ワイマンとチャーリー・ワッツ、、、
「ワン・プラス・ワン」で観られるように、ザ・ローリング・ストーンズの楽曲は、主に作曲者のキース・リチャーズの指揮でアレンジがなされるわけですが、ザ・ビートルズはそうではない。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーという、稀代の天才二人のソングライターがいて、更に!ジョージ・ハリスンもこの頃はソングライターとしても自信を持ち出していた。
ゲット・バック・セッションでのポールは、自身のオリジナルが多かったこともあるでしょうが、「ワン・プラス・ワン」のキースのように主に全体の指揮をとってます。
が、ザ・ビートルズを作った男、ジョン・レノンはあまりこれは面白くない。
「ワン・プラス・ワン」での、ザ・ローリング・ストーンズを作った男、ブライアン・ジョーンズは全く精彩を欠いていて、この後に解雇されるのも当然かな?って感じを受けますが、ジョンは元気です!
ジョージが「辞める」と言って出ていった後、ジョンはエリック・クラプトンを代わりに入れようと言ったのは有名な逸話ですし、この後ジョンはプラスティック・オノ・バンドにエリックを招聘しています。
キースとミックはブライアン・ジョーンズの解雇を決定し、新たにリードギターに「エリック・クラプトンばりにうまい」ミック・テイラーを加入させたのも、ファンには釈迦に説法。
結局、1970年前後のスーパーギタリスト人気の時代、ザ・ローリング・ストーンズはミック・テイラーを加入させた事で、うるさ型の次世代の若いロックファンにオールドウェーヴ扱いされずに済んでいます。
一方、ザ・ビートルズの「ゲット・バック・セッション」はポールの思惑通りには行かず、ジョンの心はザ・ビートルズから離れ、プラスティック・オノ・バンドを結成し、グループの脱退を表明。
更にはジョージまでもソロ活動に重きを置くようになり、解散に突っ走ってしまったわけです。
ザ・ローリング・ストーンズには、ミックとキースより2歳年上の「R&R嫌い」の自称ジャズドラマーのチャーリー・ワッツと、更にそのチャーリーより5歳も年上のベーシストのビル・ワイマンがいました。
この二人はザ・ローリング・ストーンズを「手堅い仕事」と捉えていた向きがあり、「ワン・プラス・ワン」を観た方ならご存知の通り、キースはチャーリーのドラミングに露骨にクレームをつけてます。
そして「悪魔を憐れむ詩」のベースは、結局キースが弾いて、リズムに他所からパーカッション奏者を招き、あの!グルーヴを完成させてるほど、チャーリーもビルもそれに反論はしないタイプ。
チャーリーとビルは「手堅い仕事」で、それまで同様、いや、それ以上の高額なギャラを貰えれば、年下のキースの言うことを聞いてた方が人生は得だというスタンスだったと、私は感じています。
まぁ〜大の大人の男たちが、狭い空間で一緒に仕事をするわけですから、そりゃーどのバンドも色々あらーなーなわけで、チャーリーやビルとて揉め事がなかったわけではないですが、最後はこの考えに落ち着く。
とはいえ、新しく加入したミック・テイラーも、ザ・ローリング・ストーンズで一財産作ったからでしょうか?僅か5年でグループを脱退し、我が道を行っています。
そして1992年には、「手堅い仕事」のザ・ローリング・ストーンズで莫大な金を稼いだのでしょう。ビル・ワイマンも脱退。
ミックとキースは同級生の友達の仲ですが、私的には、この他のザ・ローリング・ストーンズのメンバー達が、音楽を「仕事」と割り切ってる姿勢が、私はとても好きです(笑)。
ザ・ビートルズ正式解散前に発表された、ジョン・レノンとエリック・クラプトンの「コールド・ターキー」!
でも、ザ・ビートルズのジョン、ポール、ジョージの三人はリバプールの先輩と後輩の仲で、ザ・ローリング・ストーンズのメンバー達に比べると、とても!近しい間柄。
なので、一番先輩でザ・ビートルズを作ったジョンにしてみたら、後輩のポールにバンドの主導権を握られるのは面白くない。
また、ポールも自分がバンドを引っ張って、その結果メンバー達に「面倒臭い奴」と思われるのは本意ではないわけで、リーダーのジョンに本当は引っ張ってもらいたかったと思うわけです。
でもジョンは、亡きマネージャーのブライアン・エプスタインの代わりはやれなかったし、やる気もなかった。
更に!一番年下のジョージも、先輩の二人にいつまでも後輩扱いされるのが不快なのは当然。
だから、、、
私的には映画「ワン・プラス・ワン」と「レット・イット・ビー」=「ゲット・バック」は、激動のニューロックの時代を生き抜いたストーンズ、解散したザ・ビートルズの違いがわかる、とても面白い作品と思うわけであります。
まぁ〜歴史にifはないのは、どの世界でも同じ。
もしザ・ビートルズがあのままジョージが辞めると言ったのを受け入れ、ジョンが言う通りにエリック・クラプトンをグループに入れても、その結果はどうなっていたか誰にもわかりません。
また、エリックはジョージの友達ですし、年上のうるさ型のジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーとのクリームでエリックは懲りてるので、年上のジョンとポールとザ・ビートルズはやらなかったでしょう。
実際にジョンはプラスティック・オノ・バンドでエリックを招聘し、ドラムはザ・ビートルズのリンゴ・スター、ベースにザ・ビートルズの旧友のクラウス・フォアマンで「コールドターキー」を発売。
ロックファンにはとても評価の高い曲ですし、もし!「コールドターキー」が英米で大ヒットしていたら、ロックの歴史は変わっていたかもしれないと私的には思っています。
正式にザ・ビートルズ解散が伝わる前に、ジョンがプラスティック・オノ・バンド名義で、このメンバーで「コールドターキー」を大ヒットさせていたら、エリックはどうしたでしょうね〜?
エリックもクリーム解散後、鳴り物入りで結成され話題沸騰、大きな商業的成功も得たブラインド・フェイスが1年も持たずに空中分解した後でしたから、そのままジョンと一緒にやり続けたかもしれない。
ジョンはジョンで、おそらくポールとのザ・ビートルズではない、エリック・クラプトンのギターと自分のギターと歌唱で起こる「ロックの魔法」を期待していたと思います。
私的に「コールドターキー」は、それに成功したと思いますが、残念ながら大ヒットしなかった。まぁ〜その原因は、英米の放送局で放送禁止になったのが大きかったでしょう(ドラッグソング認定の為)。
結局、ジョンはエリック・クラプトン獲得に失敗し、エリックは我が道を行くわけで、年が明けた1970年4月10日、ポール・マッカートニーはザ・ビートルズから脱退することを発表。
ザ・ビートルズは正式に解散したわけであります。