古のヤクルトのラリー・パリッシュは、MLBで256本塁打放っていた!

 



1989年にヤクルトスワローズ、1990年に阪神タイガースで活躍したラリー・パリッシュは、1974年から1988年までMLB3球団で活躍した、当時の言葉でいう「大リーガー」でした。

ラリー・パリッシュMLBでの通算本塁打は256本(打率.263)。松井秀喜氏のMLBでの通算本塁打数が249本ですから、アメリカでもどれだけの名選手だったか想像がつきます。

そんなラリー・パリッシュが入団する2年前の1987年、ヤクルトスワローズMLBでFA宣言するも折り合いがつかず浪人寸前だった29歳の「現役大リーガー」ボブ・ホーナーを、シーズン開幕後に獲得。

ホーナーは後のラリー・パリッシュより見劣りするとは言え、ここまでM LBで通算215本塁打で、いきなり来日4試合で6本塁打放ち「やっぱり現役大リーガーは違う!」と、日本人の度肝を抜きました。



多くの野球ファンの間で「現役大リーガーのホーナーは、一体何本本塁打を打つんだろ?」と話題になり、本物の黒船来襲!とばかりの「ホーナー旋風」で神宮球場は連日満員。

当然、ヤクルトは自分の所の選手ですからホーナーをCMに起用し、サントリーまでも起用する人気ぶりでしたが、有頂天になったのか?ホーナーは日本の野球を舐めた言動が目立つようになり、反感も買われました。

また日本のピッチャーもそんなに甘くないので、そこまでの怪物のような活躍が出来るわけもなく、怪我もあって規定打席に届かず、成績は93試合で打率.327、31本塁打、73打点。

ご立派な成績なのですが、50本以上本塁打を確実に打つだろう。60本、70本だってあり得る!と当初は思われていたので、終わってみれば「なんだ、普通の凄い選手だっただけか」という感じでした。

 



結局ホーナーは、翌年にはMLBに戻りましたが60試合で3本塁打(.257)を放っただけで解雇。MLBでの通算本塁打218本止まりで、現役を終えています。

 

さて「ホーナー旋風」でヤクルトは気を良くしたのか?1988年にも「現役大リーガー」を二人新加入させています。

それがMLB通算237本塁打(.329)のダグ・デシンセイと、同36本塁打(.253)のテリー・ハーパー。

ヤクルトは前年のドラフト会議で立教大の長嶋一茂氏を1位指名で獲得しており、更には荒木大輔投手が1987年は二桁勝利をあげており(10勝9敗)、かなり華やいだ球団で期待も大きい年でした。



が、しかし、テリー・ハーパーは僅か10試合出場後、膝の故障が発覚。治療のため帰国しそのまま退団。

ダグ・デシンセイも38歳という年齢もあり、試合出場は84試合、本塁打19本、打率.244とホーナー2世とはいかず、この年で現役生活を引退。ヤクルトスワローズは前年4位から1つ順位を落とし5位でした。

そして1989年は、新たにまたまた!35歳の「現役大リーガー」ラリー・パリッシュをヤクルトは獲得。

パリッシュは期待に応え42本塁打放ち本塁打王に輝きました(打率.268)。

が、シーズンオフに関根潤三監督に代わった野村克也監督は、三振と併殺打の多いパリッシュを嫌い、本塁打王なのに1年で球団は解雇という、ある種の珍事が起きました。