チャーリー・マニエルは日本でヤクルト・近鉄を初優勝させ、MLBでは監督としてワールドシリーズを制覇した!

 

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古のプロ野球ファンなら、懐かしい名前のチャーリー・マニエル

マニエルの来日1年目、1976年のヤクルト・スワローズでの成績は、本塁打11本、打率.243。

同僚の本塁打36本、打率.274のロジャー・レポース、29本塁打、打率,300の大杉勝男氏に見劣りする成績でしたが、2年目の1977年にマニエルは開花!

42本塁打、打率.316で、チーム2位に大貢献し、翌1978年も39本塁打、打率.316で、ヤクルト球団史上初のリーグ優勝にも貢献しました(チームは日本一)。

ところが広岡達朗監督、そのマニエルを走塁と守備に難があると近鉄バファローズに放出。マニエルはヤクルト とセリーグの人気者になってましたから、これはかなり物議になりました。

1979年、近鉄に移籍したマニエルは37本塁打を放って本塁打王を獲得、打率も.324と大活躍し、なんと近鉄でも!球団史上初のリーグ優勝。

セパに渡って球団史上初のリーグ優勝を、それも2年続けて成し得た主砲は、後にも先にもマニエルだけでしょう。

ちなみにマニエルを放出したヤクルトは最下位に落ち込み、広岡達朗監督はシーズン終盤に辞任を表明しています。

一方、マニエルは近鉄2年目も48本塁打で2年連続で本塁打王、この年は129打点で打点王も獲得。打率も4年連続3割の.325で、2年連続のリーグ優勝のに貢献しました。


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一発の魅力ある外人選手にしては、マニエルは三振の少ない選手で、近鉄2連覇目、マニエル二冠王の1980年の三振数は66。

 

シーズン最多三振記録は1993年の、近鉄バファローズのラルフ・ブライアントの204ですから(42本塁打、107打点の二冠王)、マニエルの三振の少なさは顕著です。


で、チャーリー・マニエルは来日前、ミネソタ・ツインズロサンゼルス・ドジャースで、計6シーズンMLB経験があるとはいえ、成績は242試合、4本塁打、打率.198。

アメリカ帰国後、マイナーリーグでの監督やコーチならともかく、マニエルはMLBでの実績だけでは監督やコーチなどやれるほどの選手ではなかった。

 

でも、1982年に日本を去ったマニエルはアメリカ帰国後、古巣のミネソタ・ツインズのスカウトを経て、1983年にツインズのマイナーリーグ1Aの監督に就任しています。

早くもクリープランド・インディアンズのマイナーリーグの監督やコーチを経て、MLBの打撃コーチに昇格。

1984年には2A、1986年には3Aの監督に昇格後、1988~1989年、1994~1999年には打撃コーチを歴任し、1995年にはチームをワールドシリーズ出場に導いています。

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そんなマニエルはアメリカで指導者になった時、選手として日本の近鉄バファローズ時代に仕えた監督、西本幸雄氏を手本にしたそうです。

監督として毎日・阪急・近鉄で8回リーグ優勝してる名将!西本幸雄氏も、選手としては毎日オリオンズで通算6年、491試合出場、6本塁打、打率.244と、それほどの成績は残しておりません。

そんな選手として実績のない西本幸雄監督に、選手がついていったのは、西本幸雄監督が選手を信頼し、けっして選手のプライドを傷つけない起用法を続けていたからと伝わっています。

そしてマニエルは、そんなマイナーリーグMLBでのコーチの実績をひっさげ、2000年にはMLBの監督就任。

 

このへんはとてもアメリカらしく、現役時代の実績や名前ではなく指導者としての実績、実力を評価され、マニエル監督は遂に2001年にはアメリカンリーグ中地区優勝(A LDS敗退)。

同年、アメリカンリーグの東地区のボストン・レッドソックスには野茂英雄投手。西地区のシアトル・マリナーズには、渡米一年目にして首位打者盗塁王を獲得したイチロー選手がいました。

そしてこれもアメリカらしく、マニエルは翌2002年に成績不振を理由にシーズン途中で解任。


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そしてここもアメリカらしく、捨てる神あれば拾う神ありで、マニエルは2003年、フィラデルフィア・フィリーズGM特別補佐に就任してます。

2005年からは監督に就任し、2007年は独走するニューヨーク・メッツを終盤戦に猛追。残り17試合で6ゲーム差という状況から、逆転して地区優勝。

2008年には、リーグチャンピオンシップシリーズでロサンゼルス・ドジャースを破って、ナショナルリーグ優勝を果たしています。

そしてワールドシリーズでもタンパベイ・レイズを破り、見事チームをワールドチャンピオンへと導きました!

マニエルは監督として、MLB通算1000勝を達成してるのですから、たいしたもんです。

 

ちなみに日本では長嶋茂雄氏が監督として1034勝、仰木彬氏が988勝。マニエルの師匠に当たる西本幸雄氏が1384勝。

そして1989年、MLBのドラフト13巡目にクリープランド・インディアンズに指名されプロ入りしたジム・トーミ。

結果的にはMLB史上8位、通算612本塁打を放ち野球殿堂入りした、このジム・トーミを、マイナーリーグ時代から目をかけ、自身がMLBの監督になってチームの主砲に育てあげたのも、なんと!マニエル。

というわけでチャーリー・マニエルは、日米で名を残した偉い人なのです!