「魔女の宅急便」と「ルージュの伝言」とユーミンブーム





今の、若い頃から推している年配のファン層が死滅したら、1960~1980年代に一世を風靡した日本のシンガー、バンド、そして楽曲の多くは歴史に埋もれ、新しい世代の人々は存在も知らなくなるだろう。

と思ってる爺ですが、例外は有名なアニメや映画、或いは歴史に残るような人気ドラマの主題歌、それを歌うシンガー、バンドは残る。

或いは山下達郎氏の「クリスマス・イブ」のような風物詩、毎年クリスマスシーズンになると紹介される曲は残ると思っております。

なので、ユーミン荒井由実さんの1975年2月発表の「ルージュの伝言」は、1989年公開のアニメ、宮崎駿監督のジブリ映画「魔女の宅急便」に使用されているので、後世まできっと残ると思っています。



ちなみに1975年2月発表時、「ルージュの伝言」も荒井由実さんも全く売れてません。

荒井由実さんが一般に認知され、レコードが初めて売れたのは次のシングル、10月発表の「あの日に帰りたい」が、TBS系ドラマ「家庭の秘密」で使用され、これがオリコン1位の大ヒットになってから。

また、同年8月に発表された、バンバンに楽曲提供した「いちご白書をもう一度」が、これもオリコン1位の大ヒットになった事で、これにて「この荒井由実とは何者ぞ?」となったわけです。

更に!この辺が荒井由実さんと師匠の村井邦彦氏の戦略のうまさと言うかなんと言うか、「この荒井由実とは何者ぞ?」となった最中の翌1976年6月、初のベスト盤「YUMING BRAND」を発表。

これが世の中の「この荒井由実とは何者ぞ?」に対する、見事な!アンサーアルバムになったわけです。



まぁ〜、実際にベスト盤と言っても、ヒットした曲はアルバム未収録だった「あの日に帰りたい」1曲だけで、それまで全く売れなかったシングルとアルバムの中から10曲を選んで収録しています。

で、この「YUMING BRAND」の選曲が非常に秀逸で、多くの自称「昔からのユーミンファン」婆さんは、実はこのベスト盤からのファンで、ここから自身の過去の記憶を改ざんしています(笑)。

まぁ〜爺さんファンも似たようなもので、このベスト盤で初めて!「ルージュの伝言」等の収録曲を知ったわけで、そして後追いで、過去の3枚のアルバムをなんらかの形で聴くか買ったわけです。

でも、自分の記憶では、その過去の3枚のアルバムは発表時のリアルタイムから聴いていた事になってるわけで、この辺の人間の記憶などいい加減なものなのは、若い人も年を食うとよくわかりますよ(笑)。

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YUMING BRAND」

Side A

あの日にかえりたい
少しだけ片想い
やさしさに包まれたなら
魔法の鏡
ルージュの伝言

Side B
12月の雨
瞳を閉じて
きっと言える
ベルベット・イースター
翳りゆく部屋


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まぁ〜荒井由実さんのファンじゃなくても、このアルバム収録10曲は、ちょいとした中高年、60代の音楽ファンなら知らない曲はないでしょう。

私的に、当時の若い女の子たち(2024年現在、推定60代後半)の意識、価値観を大きく変えたのは、このアルバム「YUMING BRAND」と思ってます。

女性シンガーソングライターで、多くの同姓の女の子達に圧倒的に共感され支持され、強い影響力をはじめて与えたのは荒井由実さんと、同時代同じく大活躍した中島みゆきさんで間違いないでしょう。

結果、荒井由実さんのアルバムで初めて!「YUMING BRAND」はオリコン1位を獲得。1976年後半は、空前のユーミンブームが吹き荒れました。

よって、1976年のオリコン年間アルバムチャートは、上記の理由で荒井由実さんの過去のアルバムも売れに売れたので、その「YUMING BRAND」が3位の他、3枚目の「COBALTHOUR」も見事に5位。



更に、リアルタイムは全く売れなかった1973年11月発売の「ひこうき雲」が11位、こちらも売れなかった1974年10月発売のセカンドアルバム「MISSLIM」も14位と、トップ20に4枚のアルバム全てランクイン!

1976年後半の『ユーミンブーム』は、こうして起きました。

で、この現象は少し前の井上陽水氏に似ており、1973年3月発表の映画「放課後」主題曲、シングル「夢の中へ」が初のオリコン17位のヒットになり、続く9月発売の「心もよう」もオリコン7位の大ヒット!

そんなこんなで1973年、それまで全く売れてなかった井上陽水氏が一気に世間に認知された12月、ライブ盤含め通算4枚目のアルバム「氷の世界」が発表され、このアルバムがバカ売れしたんです。





結果、1974年のオリコン年間チャートで「氷の世界」は見事に1位を獲得すると、人気が出始めた前年7月に発表され売れた、3枚目のライブアルバム「陽水もどり道」も売れ続け!翌年も3位になりました。

そして、1976年の荒井由実さんの過去のアルバムが売れたように、1972年5月発表のデビューアルバム「断絶」も7位、同12月発表のセカンドアルバム「陽水II センチメンタル」も8位。

というわけで1974年の井上陽水氏は、なんと4枚のアルバムがオリコン年間チャートのトップ10に入ったわけです。

まぁ〜当時の井上陽水ブームは凄まじく、1974年10月発表のアルバム「二色の独楽」もバカ売れしましたが、1975年のオリコン年間チャートは2位止まりで、1位はなんと!2年連続で「氷の世界」。

そして1975年も他3アルバムは全てトップ20入りと、1974~1975年は「井上陽水の時代」で、この年から1976年の荒井由実さん同様、「昔からの陽水ファン」が激増してます(笑)。

というわけで話を元に戻して、後世の方々が錯覚しがちですが、荒井由実さんの「ルージュの伝言」はシングル発表時のリアルタイム全くヒットしていません。

なので、「魔女の宅急便」で初めて「ルージュの伝言」を知った少年少女が、ちょっと音楽通だったらしいパパママ、おじさんおばさんから聞く「ユーミンの若き日の想い出」は、記憶の改ざんの方でしょう(笑)。

まぁ〜最後になりますが、アニメ「魔女の宅急便」に「ルージュの伝言」と「やさしさに包まれたなら」が使用された荒井由実さんは、そういうわけで後世まで脈々その名は残るお一人と思っております。