ジョーン・ジェットがヒットさせた「アイ・ラブ・ロックンロール」は、日本でもウオッカ・コリンズで活動してたアラン・メリル作





日本でも大人気だったザ・ランナェイズのジョーン・ジェットが、1982年に7週間に渡り全米ビルボードチャートで1位を獲得した「アイ・ラブ・ロックンロール」。

この曲を作り、最初に1975年にレコーディングしたのは、親日家で有名なジャズシンガー!ヘレン・メリルをママに持ち、一時は日本でも音楽活動をしていたニューヨーカーのアラン・メリルでした。

アラン・メリルは、アメリカ→日本→ヨーロッパ→そして日本と、1960年代後半から1970年に渡り歩いて活動し、音楽活動のかたわら日本のテレビ番組の司会やCMにも出演。

ただ、不思議なことにこのアラン・メリル、若い頃はいかにも日本人受けする可愛いマスクの『外人』なのに、何故か?日本で売れなかったのが、私的には今も謎です。

2024年現在、1970年前後に青春時代、少年少女時代を過ごした爺さん婆さんで、アラン・メリルを知ってる人は、か〜なりの『グループサウンズ勢力』に精通した人だけでしょうね〜。

何故ならアラン・メリルは、『作詞:安井かずみ/作曲:かまやつひろし』コンビでシングルレコードも発売してますし、元ザ・テンプターズPYG大口広司氏とバンドもやってたからです。

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大口広司氏とのウオッカ・コリンズは日比谷野音のロックフェスに出演したりしていたので、当時のニューロックファンには少しは知られていましたが、レコードが売れたわけではありません。

大口広司氏とのツーショットも、当時の日本の音楽シーン(芸能界と言っても良い)の中では、相当!華のあるショットで、まぁ〜普通にかっこいいんですけど、何故か?売れなかったですね〜。

で、そんなアラン・メリルが1974年にイギリスに渡って結成したのがアローズというバンドで、このバンドで翌1975年に発表したのが「アイ・ラブ・ロックンロール」。

アラン・メリルが作り、そしてギターを奏で歌う「アイ・ラブ・ロックンロール」は、当時スージー・クアトロを売り出していたミッキー・モストがプロデュースでした。



まぁ〜ジョーン・ジェットのトレードマークが、常にレザーの服なのは彼女がスージー・クアトロの信奉者だからなのは有名ですが、ザ・ランナウェイズはこの頃、アメリカはLAで結成されています。

ただ、「アイ・ラブ・ロックンロール」もアローズも売れたわけではなく、バンドは1977年に解散しているので、ジョーン・ジェットは「アイ・ラブ・ロックンロール」という曲を独力で発掘したと言えます。

この辺は、ジョーン・ジェットがスージー・クアトロ信奉者なので、プロデュースのミッキー・モスト関連で知ったのかもしれないですね。

で、そのジョーン・ジェットのザ・ランナウェイズは、特に日本では大人気だったシェリー・カーリーの脱退により、日本では急激に人気が落ち話題にもならなくなりましたが、1979年にはバンドが解散。

ソロになったジェーン・ジェットは、すぐに!元セックス・ピストルズのポール・クック、スティーヴ・ジョーンズと3曲レコーディング。その1曲がアローズの「アイ・ラブ・ロックンロール」でした。



まぁ〜この時の「アイ・ラブ・ロックンロール」は売れなかったわけですが、1982年に再録音してアメリカでバカ売れした時も、日本ではそれほどでもなかったような記憶があります。

というか、2024年現在60代、70代の爺さん婆さんが若者だった頃、あんまりR&Rは好んでなかったと思いますね〜。ジョーン・ジェットも、知ってる人は殆どいないでしょうし。

もう少し年下だと、横浜銀蝿とか矢沢永吉氏こそが!「R&Rだぜい!」おっさん多いですが(笑)。

最後になりますが、大元の「アイ・ラブ・ロックンロール」の作者&演者のアラン・メリルは、2020年3月29日、新型コロナウィルスにより他界。69歳の人生でした。