メキシコ・ミュンヘン・モントリオールの選考レース全てで優勝した宇佐美彰朗氏



東京オリンピックのマラソン円谷幸吉氏が銅、メキシコで君原健二氏が銀だったので、1972年のミュンヘンオリンピックで3大会連続のメダル獲得を期待された宇佐美彰朗氏。

宇佐美彰朗氏はメキシコオリピックにも出場し9位でしたが、1970年に入ってから飛躍的に強くなり、12月の国際マラソンで、当時の日本新記録更新で優勝したのを筆頭にマラソン4連勝。

1972年の国際マラソンこそ、優勝したアメリカのフランク・ショーターに次ぐ2位でしたが、代表選考会の毎日マラソンでは見事に優勝。ミュンヘン迄の直近6レースで5回優勝と絶好調のメダル候補でした。

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ちなみに1971年9月にミュンヘンで行われたプレオリンピックでは、宇佐美彰朗氏が優勝、君原健二氏が2位の日本勢ワンツーフィニッシュの快挙を成し遂げていたので、メダル期待はそれはそれは凄かった!

というわけで、1972年3月の代表選考会の毎日マラソンで2位の君原健二氏と3位の采谷義秋氏がミュンヘンの代表に選ばれましたが、これ1968年のメキシコの選考マラソンの上位3人と実は同じメンバー。

2位の君原健二氏と3位の采谷義秋氏がが逆だったのですが、これがメキシコ選考会では、このお三方がすんなり代表になれずに一悶着あったんです。

それは、1967年12月の国際マラソンで、当時の世界新記録を出したオーストラリアのデレク・クレイトンと激走し2位に入った(共に当時の世界記録更新)佐々木精一郎氏の存在でした。

それまで世界記録だった、日本の重松森雄氏の持つ2時間12分00秒を大幅に短縮。人類初の!2時間10分切り=2時間9分36秒4のデレク・クレイトンの優勝は、日本のみならず当時は世界的大ニュース!

そのクレイトンと34キロまで並走した佐々木精一郎氏は、強烈なインパクトを残しており、更にこのレースで采谷義秋氏は6位、宇佐美彰朗氏は13位。誰もが佐々木精一郎氏の方が力は上の印象を抱きました。

結果的に、選考会レースの2ヶ月前のレースで大会新記録を出しマラソン初優勝した(それまで3回連続2位)佐々木精一郎氏がオリンピック代表に選ばれ、2位の采谷義秋氏は選考レース2位なのに補欠。

この選考には非難轟々がありましたし、期待の!佐々木精一郎氏はメキシコで途中棄権してしまったので、当時の彼を推した陸連、選考会は赤っ恥をかいています。


一方、選考レース2位の采谷義秋氏ではなく3位だった君原健二氏を陸連、選考会は推したので、その君原健二氏がメキシコで堂々の銀メダルだったので、こちらではメンツが保たれました。

ですから、この辺がマラソンは「やってみたいなわからない」わけで、選考レースで堂々の2位だったのに補欠にされた采谷義秋氏、当時の心境は複雑だったと思いますね〜。

が、メダル期待のミュンヘンでもレースは波乱でした。

ダントツの優勝候補は、更に!世界記録を更新し2時間08分33.6の世界記録を持つ、オーストラリアのデレク・クレイトン。そして日本の宇佐美彰朗氏。

あとはマラソン6回目になる前年の日本の国際マラソンで優勝した、アメリカのフランク・ショーター等が優勝候補でした。


ところが!、終わってみれば優勝候補のクレイトンは13位。宇佐美彰朗氏は12位で、日本の3選手は見せ場らしい見せ場もなく、後半はショーターの独走によるぶっち切りの見事な優勝。

ショーターはその後、福岡国際マラソン4連覇と日本でもお馴染みのランナーでしたが、2位にはマラソン3回目、世界的には全く無名だったカレル・リスモン(ベルギー)が入っています。

3位には40歳になる、前回のメキシコの金メダリストとして日本でもお馴染みのエチオピアのマモ・ウォルデが入り、そしてここで再び!ミュンヘンでも!日本の君原健二氏が5位でゴール。

前回のメキシコの銀もご立派でしたが、日本人ランナーの見せどころのなかったレースだっただけに、君原健二氏が5位で戻ってきた時は、「おっ!君原だ!」と日本中がテレビの前で湧いたと思います。

そしてもう一つの代表選手、メキシコでは不運には補欠に甘んじた采谷義秋氏も、ミュンヘンでは36位。

もし1968~1969年は6回のマラソンで優勝2回、2位4回の采谷義秋氏が、メキシコの代表選手に選ばれていたら、結果はどうだったでしょう?この辺は神のみぞ知るですね。



で、君原健二氏は東京で8位、メキシコで銀、ミュンヘンで5位と、本当にオリンピックに強いランナーでしたが、3大会連続で選考レース優勝の宇佐美彰朗氏は、オリンピックでは力が発揮できませんでした。

メキシコで9位、ミュンヘンで12位だった宇佐美彰朗氏は、モントリオールにも代表選考会で優勝したので出場しましたが(3大会連続選考レース優勝は誠に凄い!)、こちらも32位に終わっています。

また、宇佐美彰朗氏に限らず、モントリオールは東京、メキシコ、ミュンヘンと異なり日本勢は3選手共に惨敗でした(宗茂氏20位、水上則安氏21位)。

モントリオールでは、オリンピック2連覇を狙うフランク・ショーターを2位に抑え、マラソン5回目の東ドイツの世界的には無名だったワルデマール・チェルピンスキーが優勝しています。


ちなみにこの後、マラソン15回で優勝10回という驚異的な強さを誇り一時代を築いた瀬古利彦氏も、二度のオリンピックは14位と9位と、宇佐美彰朗氏同様オリンピックでは力を発揮できないランナーでした。

ロサンゼルスオリンピックで、優勝候補の一人だった瀬古利彦氏が35キロ手前で失速し、結果は14位だったのに対し、瀬古利彦氏にそれまで一度も勝てなかった宗猛氏は、粘りに粘って4位の見事入賞!

また、瀬古利彦氏の最強のライバルだった中山竹通氏は、瀬古利彦氏が9位だったソウル、そしてバルセロナで2大会連続4位入賞している、オリンピックにも強いランナーでした。

という具合に、オリンピックは凄まじいプレッシャーもあるでしょうし、必ずしも持ちタイム通りには決着せず、上り調子の無名選手も世界にはおりますので、本当にやってみないとわからないレースです。