藤田元司監督の元、現役引退後助監督をつとめ、1983年11月、読売ジャイアンツの監督に就任した王貞治氏は、同月行われたドラフト会議で池田の水野雄仁氏を1位指名。
この年のドラフトは、東海大の高野充氏がヤクルト、大洋、阪急、西武の4球団からI位指名。創価高校の小野和義氏が、南海、近鉄、日本ハムの3球団、東芝の川端順氏がロッテ、広島から1位指名抽選でした。
が、読売ジャイアンツは「野手投げ」と言われ、彼らより投手としては劣ると思われていた水野雄仁氏を単独1位指名。
もし即戦力を求めるなら、阪神タイガース が単独指名した社会人の中西清起氏か高野充氏だったと思いますが、王貞治新監督は甲子園の夏春2連覇の大スター!、池田の水野雄仁氏を指名しています。
ちょっと注目なのが、王貞治新監督は指名2巡目で、市立尼崎のあの!後の「ブンブン丸」池山隆寛氏を指名してるところ。
「世界の王」が、バッターとして高校生の池山隆寛氏を、そんなに高く評価してたとは。
結局、池山隆寛氏は近鉄、ヤクルトと競合になってヤクルトが抽選で指名権を獲得したので、ジャイアンツはハズレで、佐世保工のピッチャー香田勲男氏を2位指名しています。
当時は打者としても評判の高かった(打者の方が高かった?)水野雄仁氏は、野手にコンバートされるのではないか?とも噂されましたが、王貞治新監督はピッチャーとして起用。
王貞治氏は明大のスラッガー広沢克己氏も外し、投手を1位指名した!
そして翌
明大のスラッガー!広沢克己氏が当時、どれだけ凄い選手だったかは東京六大学通算、打率.351、18本塁打、47打点の数字でわかると思います。
通算18本塁打は当時、法大の田淵幸一氏の22本、早大の岡田彰布氏の20本、早大の荒川尭氏の19本に次ぐ、早大の谷沢健一氏と同数の歴代4位!(2023年現在は6位)。
その東京六大学のスラッガー!広沢克己氏も、王貞治監督は指名せず外してるところは注目です。
ちなみに慶大の上田和明氏は、東京六大学通算12本塁打、39打点、打率.235。同じドラフト1位でも、同じ東京六大学野球でも、広沢克己氏と上田和明氏では格が違ったのは誰もがわかりました。
思えば香田勲男氏はプロ通算67勝54敗11S、宮本和知氏は66勝62敗4Sと、エースとは言われないまでも、ローテーションピッチャーとして、それなりの数字と名前をプロで残しています。
ですから、王貞治監督と当時のジャイアンツ のスカウトの「ピッチャーを見る目」は、あったと言えます。
前年の明大の広沢克己氏に続き、PL学園のスラッガー!清原博和氏も王貞治監督は指名回避!
そして1985年が、清原博和氏にとっては運命のドラフトになった、あの有名な年。
王ジャイアンツは、昨年に続き1985年もリーグ3位。2年連続のV逸の、王貞治監督の胸中やいかに!?って感じです。
誰もが、読売ジャイアンツとPL学園の清原博和氏は相思相愛。PL学園のKKコンビ、もう一人の桑田真澄投手は大学進学志望、早大一本で固まってると、こちらも誰もが思っていました。
南海・日本ハム・中日・近鉄・西武・阪神と6球団が清原和博氏を1位指名するも、 なんと王貞治監督は指名せず、同じPL学園のエース!桑田真澄氏を単独指名。清原博和氏しかり、野球ファンは騒然でした。
しかし当時の読売ジャイアンツ打線を、ふりかえってみると、、、
1,左 松本 匡史
2,二 篠塚 利夫
3,中 クロマティ
4,三 原 辰徳
5,一 中畑 清
6,右 吉村 禎章
7,補 山倉 和博
8,遊 岡崎 郁
9,投手
当時の阪神タイガースほどではないにしろ、かなりの読売ジャイアンツも強打線で、オーダーもポジションも、ほぼ固まってますし、ファーストにはもう一人、駒田徳広氏もいました。
しかも、駒田徳広氏も吉村禎章氏もまだまだ若手の伸び盛り!原辰徳氏にしても、まだ入団5年目。
その原辰徳氏の入団で、サードからファーストにコンバートされた中畑清氏も、まだまだバリバリ若手の「絶好調!」男。普通に考えて、ファーストの清原博和氏の守るポジションがジャイアンツにはない。
前年も東京六大学のスラッガー! 広沢克己氏を指名してませんので、今にして思うと、当時の王貞治監督は、当時のジャイアンツ打線に不満はなかったのでしょう。
ちなみに王貞治氏は早実時代、1年夏から5番の外野手&控え投手で甲子園に出場。
その後はエースとして春夏春と4季連続で甲子園に出場(うち春の選抜で優勝)、3年最後の夏の東京都予選決勝で逆転負けして、5季連続出場を逃してます。
そんな王貞治氏なので、PL学園のエースとして甲子園に5季連続出場し、うち優勝2回、準優勝2回の桑田真澄氏の実績、強運を、誰よりも高く評価していたのだろうと予測できます。
しかし1986年、高卒1年目から、打率.304、本塁打31本の大活躍し新人王を獲得した西武の清原博和氏に対し、桑田真澄氏の1年目は2勝1敗、防御率5.14。
思うに王貞治監督ではなく、かつての川上哲治監督だったら、甲子園の優勝投手の王貞治氏も柴田勲氏も野手に転向させてますから、ピッチャー水野雄仁氏も桑田真澄氏も、なかったかもしれないです。
でも、王貞治氏は高校球界ではスラッガーでもあった水野雄仁氏も桑田真澄氏も、高卒ですぐに数字が残せなくてもピッチャーとして使い続けました。
しかしチームは、広島カープとの優勝争いに負け2位。
王ジャイアンツは3年連続でV逸したうえ、1年目から大活躍した清原博和氏を獲得しなかったことも叩かれ、かなり窮地においこまれていた1986年のドラフト。
王貞治監督は再び!亜細亜大の即戦力エース!、阿波野秀幸氏を1位指名しました。
大洋と近鉄と競合になり、抽選の結果また王貞治監督は外し、外れ1位で新潟明訓の木田優夫氏を指名。
木田優男氏も大エースではなかったですが、日米通算74勝83敗51S54Hと、先発・中継ぎ・抑えと大活躍ですから、王貞治監督と当時のジャイアンツ のスカウトの、ピッチャーを見る目はあったと思います。
そして1987年、あれほど「清原じゃなく、桑田なんか指名しやがって」と罵声を浴びせられた桑田真澄氏が、高卒2年目にして15勝をあげ防御率1位を獲得!
3年目の水野雄仁投手も10勝をあげ、力の衰えが見えてきた西本聖投手をカヴァー。王監督のドラフト1位指名選手が花開いて、チームも久々にリーグ優勝しました。
しかし、日本シリーズで西武ライオンズに負けてしまい、更に13勝を上げた江川卓氏が引退発表。
王貞治監督は盟友!長嶋茂雄氏の子息、一茂氏もドラフト指名から外していた!
1987年のドラフトは、立教大の長嶋一茂氏が注目されましたが、王貞治監督は、かつての盟友!長嶋茂雄氏の子息も指名から外し、やっぱりPL学園のピッチャー、橋本清氏を1位で単独指名。
本当は江川卓氏の穴を埋められる、二桁勝利出来そうな即戦力投手が欲しかったのでしょうが、この年のドラフトにその手の社会人、大学野球のピッチャーいなかったですからねー。
思うに、清原和博氏を外し桑田真澄氏を単独指名した時は日本中大騒ぎになりましたが、長嶋一茂氏を外して橋本清氏を単独指名した件は、何も言われなかったのは、ちょっと長嶋一茂氏に失礼ですね(笑)。
長嶋一茂氏は、ヤクルトと大洋に重複指名されてるんですから〜。
とは言え、長嶋一茂氏の東京六大学通算記録は打率.225、11本塁打、54打点。前出の上田和明氏と似たような成績でしたから、やはりドラフト1位指名するのは、勇気がいったでしょう。
というわけで王貞治監督、ここまで全て1位指名はピッチャーで、甲子園の優勝投手は橋本清氏で3人目。
このへん、王貞治監督自身が甲子園優勝投手ですから、何か思うところがあったんでしょうかねー?
結局、1988年、高卒1年目の橋本清投手が江川卓氏の穴を埋められるわけもなく、東京ドーム元年のこの年、王巨人は連続優勝を逃し、優勝した中日ドラゴンズに12ゲーム差の2位。
監督5年間、全てAクラスを保持しましたが、リーグ優勝1回の王貞治監督は、ここで事実上解任されました。
繰り返しますが、王貞治氏は読売ジャイアンツの監督時代、5回のドラフト会議で全て1位指名はピッチャー!
「江川・西本」の両エース時代が、そうは長くは続かないだろうという、強い信念をもって(実際そうなりましたし)指名していたと思いますねー。