早実、荒木大輔投手1年夏、1980年の東東京大会






3月までは中学生だった、16歳の早実の1年生ピッチャー荒木大輔氏の、1980年の東東京大会初登場は、早実はシード権を獲得していたので3回戦の対京華戦でした。


京華は一回戦の東京工を10対0、二回戦の戸山を8対6でやぶっての3回戦進出でしたが、そこはシード校の早実、13対3で京華をやぶり、4回戦の高島戦も5対0とやぶりベスト8進出。

早実の準々決勝の相手は岩倉。こちらもシード校の岩倉も3回戦からの登場で獨協を12対0、4回戦の早稲田も8対2とやぶった強豪校でしたが、早実は3対0とやぶり準決勝進出しました。



ちなみに岩倉が初めて春夏甲子園大会に出場するのは、この4年後の1984年の選抜大会。

岩倉はエースの山口重幸投手(後の阪神タイガースヤクルトスワローズ)が、あの!夏春連覇を狙う2年生のKKコンビ=桑田真澄氏、清原和博氏のPL学園を決勝戦で1安打完封(1対0)し、優勝しています。


話を戻して、勝ち進む早実の東東京大会準決勝の相手は春の選抜の準優勝校、伊東昭光投手(のちのヤクルトスワローズ)擁する、間違いなく優勝候補の帝京。

とはいえ!当時の帝京は、まだ春の選抜は2回目の出場での準優勝で、夏の大会は出場のなかった野球新興校で、まぁ〜伊東昭光投手の活躍で、帝京は初めて全国的に有名になった学校でした。


帝京は3年前の1977年、2年前の1978年は共に決勝戦早実にやぶれ夏の甲子園初出場を逸してますから、ここでその宿敵!早実をやぶり、春の選抜準優勝ナインは夏の甲子園初出場したかった事でしょう。

帝京もシード校なので3回戦からの登場で、大東大一を6対0、4回戦の足立を11対1、準々決勝の日大豊山を7対0と圧倒的な横綱相撲で準決勝進出でした。

まぁ〜当時のスポーツ紙も高校野球関係者も、流石の名門!早実なれど、ピッチャーは1年坊主の荒木大輔氏。春の選抜準優勝校の帝京に、そんな早実が勝てるわけないと思っていたでしょう。

ところが!早実は、荒木大輔投手が帝京打線を3安打完封のナイスピッチング!

絶対的優勝候補の帝京を4対0でやぶる大番狂せで勝利し、帝京の2年生エース伊東昭光投手は「3年生に申し訳ない」と試合後、号泣したとか。




そして決勝戦早実の相手は、こちらも選抜出場校の二松学舎で、前評判ではやはり早実は不利でした。

が、しかし、今では修徳、帝京、関東一と並ぶ東東京の野球強豪校、甲子園でお馴染みの二松学舎ですが、この春の選抜が春夏通じて初出場で、夏はこちらも初出場がかかった大事な一戦。

いきなり荒木大輔投手、1回裏に二松学舎に3点を献上。早実も負けじと2回表に2点を返し、4回表にも2点を奪い逆転。

ところが1年坊主の荒木大輔投手、4回裏に1年を取られリードを守れず、試合は4対4で中盤に入りますが、ここから早実の打線が爆発!5回に4点、そして8回にダメ押しの2点を取り勝負あり。

見事に早実は10対4で二松学舎をやぶり、2年ぶり23回目の夏の全国大会出場を決めました。

敗れた二松学舎は、この2年後の1982年に早実と共に春の選抜に出場。決勝戦PL学園に敗れるも見事準優勝。全国的に名前が知られるようになりますが、夏はなんと2014年が初出場。

二松学舎早実に決勝で敗れた1980年以降、夏初出場の2014年まで6回決勝戦で敗れ夏の甲子園出場を逃しており、この辺は激戦区東東京を痛感いたします(今は早実西東京ですが)。


で、実はこの年の甲子園大会前は、1年坊主の荒木大輔投手の早実よりも、西東京大会の優勝校、都立勢初の甲子園出場となった都立国立の方が話題沸騰でした。

都立国立は正真正銘の進学校で、エースの市川武史氏は一浪して東大に入学。東京六大学通算7勝(22敗)を挙げたほどで、正に!文武両道のお手本のような高校生だったので、マスメディアは大注目!

1年坊主が投げる早実は、大会前は殆ど話題になってなかったと記憶しております(3年後のPL学園桑田真澄投手が1年の時もしかり。優勝したから話題になった)。

が、しかしその話題の都立国立は、大会1日目の第三試合で優勝候補の箕島に0対5で敗退。

それでもマスメディアは、文武両道の市川武史氏がこの先、東大を狙うのか?否か?話題にしましたし、また、優勝候補の箕島相手に10点ゲームをくらわなかったのは、誠に凄い的な賞賛もしていました。

そして大会3日目の第二試合。全くマスメディアは話題にしてなかった1年坊主の荒木大輔投手が投げる早実一回戦の相手は、こちらも優勝候補の大阪代表の北陽

東東京大会準決勝で春の選抜準優勝校の帝京、決勝での選抜出場校の二松学舎に続いて、1年坊主の荒木大輔投手、全国レベルの強豪校との対戦が続くことになりました。

が!再び荒木大輔投手は。優勝候補の北陽相手に1安打完封の快投を演じ、早実は6対0で北陽を撃破!

荒木大輔氏曰く、試合前に旅館を出た時は数人の見送りだったのが、帰ってきたら旅館に入れないほどの女性ファンに囲まれたそうで、空前の大ちゃんブームは、この日から始まり2年間続きました。