山下達郎氏「SPACY」のミュージシャン達が凄い!

 


山下達郎氏が、1977年に発表したソロ第二弾アルバム「SPACY」。

山下達郎氏はよく当時の売れなかった時代の話をされますが、御多分に洩れず私もお恥ずかしい話ですが、リアルタイムは聴いてないんですよねー。 

シュガーベイブの「ダウンタウン」は、素敵な曲だと思ってましたし、山下達郎氏も知っていました。

が、当時はやはりレコード、特にアルバムは少年には高額な代物で、西新宿の中古レコード屋「トガワ」で洋楽ロックのアルバムを物色するのが一杯で、山下達郎氏まで手が伸びなかった。

なので、私が初めてアルバム「SPACY」収録曲を聴いたのは、大きく遅れて1980年。

小林克也氏のDJが衝撃だった、カセットテープで買った(テープしか販売してなかったから)コンビネーションアルバム「COME ALONG」で、曲は「LOVE SPACE」と「SOLID SLIDER」でした。

その後、レンタルレコードの時代になり、やっと!山下達郎氏のアルバムもレンタルして、カセットテープに録音し楽しめるようになり、「SPACY」も相当!聴きました。

山下達郎氏が「SPACY」のレコーディングで選んだリズム・セクションは、ドラムに村上秀一氏、ベースに細野晴臣氏。

で、なんと後から知りましたが、この当時のスタジオ仕事で「売れっ子」だったお二人は、この時が初顔合わせだったとか。

そしてギターには松木恒秀氏、キーボードには佐藤博というライン・アップで、松木恒秀氏と細野晴臣氏も初顔合わせで、この4人は「SPACY」のレコーディングが初顔合わせだったそうです。

そして「SPACY」の、もう一つのリズム・セクションはシュガーベイブ時代の盟友!上原裕氏、そしてベースに当時チョッパー奏法(今はスラップ奏法で統一されてます)で売り出し中だった田中章弘氏。

キーボードにはあの!一般的に有名になる前の坂本龍一氏、パーカスが斎藤ノブ氏、コーラスに吉田美奈子さん、管楽器隊も向井滋春氏他ジャズの一流どころという凄いライン・アップ。

商業的にけっして成功してると言えなかった山下達郎氏の、このギャラの高そうなミュージシャンの注文は、どのレコード会社も当然のように難色を示したそうです。

そんな中1人だけRVCで制作ディレクターとしてのキャリアをスタートさせたばかりだった、小杉理宇造氏が手を挙げたそう。

更には「SOLID SLIDER」のギターソロには大村賢司氏、「アンブレラ」のアコギには吉川忠英氏も参加してますから、当時は採算度外視のレコーディングだったと言えます。

小杉理宇造氏は1947年生まれで、1953年2月生まれの山下達郎氏より学年で5年上になりますが、元々はこの方もミュージシャン、バンドマンの方(勿論、売れない方の)。

シュガーベイブを手がけていた牧村憲一氏を介し、荻窪のロフトまでライブを観に行った小杉理宇造氏は(解散ライブだったのかな?)、もう1発で「山下達郎をやりたい!」と思ったそう。

そして、これが山下達郎氏の凄いことろで、売れてるわけでもないのに、契約の条件に有名な海外レコーディングを要求し、誰々を呼べるんなら契約してやってもいいぜ的な(笑)。

私はこの山下達郎氏の自信、おったまげます。

アメリカ経験のある小杉理宇造氏は、山下達郎氏の要求に応えられたそうですが、繰り返しますがシュガーベイブは売れたバンドではなかったですし、山下達郎氏のそれはソロアルバム!

小杉理宇造氏の熱の入れようも、凄いですねー。

そんなアメリカレコーディングのソロアルバムに比べれば、国内のギャラの高い山下達郎氏指定のミュージシャンに再び手をあげられたのも、その惚れっぷりからみたら当然か、、、。

結局、「SPACY」は当時の日本ではやっぱり売れず、山下達郎氏が今のように「その人あり」になるのは、1980年になって、マクセルのCMソングとして発売されたシングル「RIDE ON TIME」からでした。