三沢、太田幸司投手、斯く戦えり!

 

今と違い、1969年夏の全国高校野球選手権大会は、準々決勝・準決勝・決勝が3日連続で行われたわけで、青森県三沢高校太田幸司投手の決勝戦は3連投目。

その3連投目を延長18回、0対0の引き分け再試合にした太田幸司氏は翌日の再試合も先発し、この4連投の4日間で45回を一人で投げきり、2対4で負け準優勝でした。

で、そんな太田幸司投手が全国大会に初登場するのは、前年の第50回記念大会。

無名の三沢高校の無名の2年生投手、太田幸司投手は青森県大会の2回戦から登場すると、鯵ヶ沢を3対1、黒石を6対1、弘前実を6対0、五所川原農林を1対0でやぶり決勝進出。決勝戦の相手は八戸工。

試合は0対0のまま7回表まで進み、その裏に八戸工が2点先取するも三沢も8回表に2点をとって再び同点。試合は2対2のまま延長戦に突入し、三沢が10回表に1点をとり3対2で初優勝を決めました。

当時は通常、青森県大会と岩手県大会で勝ち上がった2校ずつ計4校が北奥羽大会で対戦し、そこで優勝したチームが甲子園出場でしたが、50回記念大会なので一県一校出場枠。よって青森県大会を制して出場。

 


で、春夏通じて全国大会初出場の三沢も、2年生の太田幸司投手も注目度はほぼゼロに近かったです。

注目、優勝候補は春の選抜優勝の埼玉の大宮工。前年夏、2年生の宇根洋介投手を擁し準優勝、春の選抜もベスト8の3季連続出場の広島の広陵。選抜ベスト4、4季連続出場の岡山の倉敷工。

更に、池田信夫投手を擁し春の選抜ベスト8、春夏連続出場の京都の平安。山口高志投手(後の阪急ブレーブス)を擁しての春夏連続出場、兵庫の市神港があげられていました。

結果的に優勝は、ダークホースだった大阪の興国が、あれよあれよで初出場初優勝を決め、準優勝はこの後、読売ジャイアンツに入団する新浦壽夫投手擁する静岡商でした。

 

無名の三沢、太田幸司投手は1回戦の熊本代表、鎮西をなんと内野安打1本の完封シャットアウトで、7対0の圧勝!

が、三沢も太田幸司投手も注目されるでもなく、2回戦の長崎県の海星に1対3で敗れ甲子園を去りましたが、初出場で甲子園1勝しての敗退ですから、三沢ナインは充実した大会だったでしょう。

太田幸司投手2年夏成績

一回戦 ⭕️ 三沢7-0鎮西
二回戦 ⚫️ 海星3-1三沢

春の選抜は、青森県勢は東北大会が難関だった!

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甲子園初出場を果たした三沢、太田幸司投手の次の目標は、こちらも初出場を狙う春の選抜ですが、青森県勢が選抜に出場したのは、ここまで1956年の八戸の一度だけで、青森県勢は東北大会の壁が厚かった。

三沢は青森県大会を準々決勝の弘前実に6対4、準決勝の青森一に1対0、決勝の青森東を3対1と、どの試合も辛勝でしたが優勝し、壁の厚い東北大会に青森県代表として出場。

三沢は東北大会も一回戦を岩手県の花巻北に2対0と辛勝。準決勝の昨夏共に甲子園出場している山形県日大山形も、2対2の延長戦を15回表に三沢が3点をあげ、5対2で勝ち決勝進出しました。

決勝の相手は宮城県の強豪!仙台商。後のヤクルトスワローズ八重樫幸雄氏が超高校級と注目されていた学校でしたが、太田幸司投手、見事に2安打完封シャットアウトで、三沢は4対0で優勝!

当時の選抜は本当に選抜で、選抜大会出場校は26校。北海道・東北は各々1校の選抜でしたから、東北代表は県大会だけでなく、東北大会を制しないと出場はできなかった、選抜出場は狭き門でした。


三沢も太田幸司投手も、選抜は初出場ながら夏に続いての2季連続出場ですし、東北大会は2試合完封勝利なので、マスメディアも初めてこの選抜で太田幸司投手に注目。

後の大洋ホエールズ等の比叡山間柴茂有投手、後のヤクルトスワローズの3投手=徳島商の松村憲章投手、丸亀商の井原慎一朗投手、宮崎商の西井哲夫投手と共に超高校級投手と紹介されました。

それでも、野球関係のマスメディアが注目していただけなので、まだ太田幸司投手は女の子達にキャーキャー騒がれることはなく、静かに1回戦の九州代表、福岡の小倉を4対2でくだし三沢は選抜初勝利。

奇しくもここまで三沢の対戦校3校は、全て九州勢でしたが、2回戦の相手は大阪の強豪、優勝候補の浪商。三沢は浪商に延長15回の末2対4でやぶれ、三沢も太田幸司投手も二度目の甲子園も2回戦敗退。

勝った浪商は、準決勝で優勝した三重の三重高校に0対2で敗れています。

太田幸司投手3年春成績

一回戦 ⭕️ 三沢4-2小倉
二回戦 ⚫️ 浪商4-2三沢(延長15回

全て1点差勝ちの決勝進出だった三沢、太田幸司投手
 

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そして3年最後の夏、三沢と太田幸司投手は3季連続甲子園出場を目指し青森大会に挑みます。

三沢は1回戦の板柳を29対0、2回戦の浪岡を9対0、3回戦の青森は3対1で、準々決勝の三本木も10対0と、それまでにない圧勝。

 

選抜後に日大からコーチを招いて打撃指導を受けたそうで、打線が格段に良くっていますし、2度の甲子園出場で相当!力をつけたと言えます。

準決勝の弘前も3対0でやぶり、ここまで三沢は4試合で25得点1失点と絶好調でした。

そして前年の記念大会と異なり、この年は1県1代表ではないので、三沢は弘前実とともに岩手県代表2校との北奥羽大会に出場し、岩手県一関商工に5対0で勝って決勝進出。

決勝の相手は、こちらも岩手県の一関工をやぶった青森県弘前実でしたが、3対1と三沢の勝利で、三沢は2年連続、3季連続甲子園出場。地方大会を33得点2失点という圧倒的強さで制しています。

如何に当時は全国的には弱かった東北代表とは言え、三沢は3季連続出場で、エースは春から超高校級投手と謳われた太田幸司投手。優勝候補とは言えないまでも、マスメディアも春以上に注目していました、

注目の三沢の一回戦の相手は、またしても!中九州代表、大分県の大分商相手に延長10回3対2の辛勝。

甲子園大会3度目の三沢も太田幸司投手も、二度とも初戦は突破してるので、初戦敗退は避けたかったでしょうから、これはドキドキの勝利だった事でしょう。


二回戦の三沢の相手は、春の選抜で負けた浪商を大阪大会決勝で1対0でやぶって2年ぶり7回目の出場を決めた、こちらも大阪の名門!明星。

明星は一回戦で、太田幸司投手と共に注目の超高校級投手だった宮崎商の西井哲夫投手から1点を奪い1対0で勝ち上がりましたが、三沢は2対1の再び辛勝で待望の2回戦突破!

3度目にしての2回戦突破ですから、太田幸司投手も三沢ナインも監督も、さぞ嬉しかった事でしょう。

そして三沢の準々決勝の相手は、滋賀県の超高校級投手!間柴茂有投手の比叡山を京滋大会決勝で2対1でやぶって甲子園出場を決めた、優勝候補の京都平安。

三沢が3季連続出場なら、平安も4季連続出場。高校球界きってのスラッガー!渋谷通氏(後の広島カープ等)も正一塁手として4度目の甲子園で、この試合も好カードでした。

結局、準々決勝も三沢、太田幸司投手は2対1の1点差で優勝候補の平安に勝利し、翌日の準決勝の岡山・東中国代表の玉島商戦も3対2と、この大会全て1点差で決勝進出!

青森県勢の決勝進出は春夏通じて初なら、東北勢の決勝戦進出も1915年の夏の第一回大会の秋田県、秋田中以来二度目の快挙でした(秋田中も準優勝)。


勝戦の相手は、夏優勝3回(当時)のこちらも名門!愛媛の松山商

松山商は春の選抜は出場ならずでしたが、北四国大会準決勝で春の選抜出場、超高校級の井原慎一朗投手の丸亀商を5対0、決勝では高松商を4対0とくだしての出場。

甲子園大会でも1回戦の高知商戦を10対0、2回戦の鹿児島商戦を1対0、準々決勝の静岡商戦を4対1、準決勝の若狭戦を5対0と、愛媛県大会準々決勝から四国大会、全国大会とここまで与えた失点は1点のみ。

松山商の井上明投手、中村哲投手は三沢の太田幸司投手より完璧だったので、0対0の延長18回引き分け再試合の松山商の井上明投手の熱投も、さもあらんだったわけであります。

というわけで、三沢対松山商の伝説の!延長18回引き分け再試合はこうして開始。

 

この太田幸司投手は日本中の人気者、女の子達にキャーキャー言われる伝説の試合の詳細は語り尽くされているので、私のブログ『三沢、太田幸司投手、斯く戦えり!』はここまでとします。

太田幸司投手3年夏成績

一回戦 ⭕️ 三沢3-2大分商(延長10回)
二回戦 ⭕️ 三沢2-1明星
準々決勝⭕️ 三沢2-1平安
準決勝 ⭕️ 三沢3-2玉島商
勝戦 △ 三沢0-0松山商(延長18回)

勝戦
再試合 ⚫️ 松山商4-2三沢


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