年齢的に、金田正一投手が豪速球投手の時代(国鉄スワローズ時代)を爺の私でも知らない。
金田正一投手といえば、大きなカーブを武器にした技巧派投手になっていた読売ジャイアンツ時代しか知らないので、今更ながら記録を振り返って驚いたのが、1951年から1964年までの14年連続20勝以上時代、10回も奪三振王を獲得していた事!
例えば阪神タイガース時代の江夏豊投手は、1967年から1972年6年連続奪三振王で、パリーグの近鉄バファローズの鈴木啓示投手も同じ時期に6年連続奪三振王を獲得後、1974年と1978年に二度、奪三振王を獲得しましたが、合計で8回です。
あの!読売ジャイアンツの江川卓投手でも1980〜1982年の3年連続ですし、MLBに行った近鉄バファローズの野茂英雄投手も1990~1994年の4年連続、西武ライオンズの松坂大輔氏も計4回、日本ハムファイターズのダルビッシュ有投手も計3回。
近年では楽天ゴールデンイーグルスの則本昴大投手が2014〜2018年までの5年連続が最長で、2023年現在、オリックスバファローズの山本由伸投手が2020~2022年まで3年連続で継続中となっています(2020年はソフトバンクホークスの千賀滉大投手と同数)。
金田正一投手はまず1951~1953年まで3年連続。1954年に中日ドラゴンズの杉下茂投手が273で奪三振王に輝きますが、金田正一投手は269。僅か4奪三振の差で、4年連続の奪三振王を逃しています。
で、1955~1956年と2年連続で奪三振王に輝きますが、この2年間は350、316奪三振で、1957年も306奪三振でしたが大洋ホエールズの秋山登投手に312で奪三振王を奪われ、この年も僅かに6奪三振の差。
更に!1958~1960年までまたまた!3年連続奪三振王で、1958-1959年の2年間も300奪三振超えしており、この全盛時代の金田正一投手は5年連続で300奪三振超えを記録しており、こんな投手は他にいません。
ちなみにこの金田正一投手の全盛時代、300奪三振当たり前の1958年が、有名な立教大学のゴールデンルーキー、長嶋茂雄氏が開幕戦で4打数4三振をくらった時です。
残念ながら誰もがそうなように、この試合、全打席を再び観ることのないまま爺になってしまいましたが、きっと金田正一投手の真っ直ぐは、長嶋茂雄氏が度肝を抜きほど早かったのでしょうね〜。
それでも新人の長嶋茂雄氏は4打席全て!空振りの三振で、10っ回バットを振って当たったのは止めたバットに当たった1球だけで、空振りは全て大きく曲がるカーブだったそう(真っ直ぐは速くて打てなかったのか?)
金田正一投手は前年1957年には対中日ドラゴンズ戦で完全試合を達成してますから、正に!全盛時代に新人の長嶋茂雄氏は4打数4三振を喰らったと言って良いでしょう。
で、翌年、高卒ルーキー・甲子園の花形スターとして鳴り物入り入団した王貞治氏も、開幕戦で金田正一投手から2三振を喰らってます(1四球)。
で、1961年に中日ドラゴンズの権藤博投手、1962年に阪神タイガースの小山正明投手に奪三振王を奪われますが、1963~1964年にまたまたまた!2年連続の奪三振王に輝いて合計10回。
ちなみに1958年に阪神タイガースの江夏豊投手が、シーズン401奪三振のいまだに破られない世界記録を作るまで、セリーグ記録は1955年の金田正一投手の350奪三振でした(当時の日本記録は西鉄ライオンズ稲尾和久投手の353)。
また、セリーグ記録の2位もいまだに金田正一投手のままで、セリーグの上位ベスト5の3位も1970年の江夏豊投手で、4~5位も1956、1959年の金田正一氏と、江夏豊氏と金田正一氏二人で独占してます。
で、1965年に読売ジャイアンツに移籍後、三振奪取はめっきり減り20勝もできなくなり、私が金田正一投手をテレビのプロ野球中継で見て知るようになったのはこの晩年で、当時からどこが?金田正一投手がそんなに大投手なのか?子供心にわからなかったですね〜。
「城之内や堀内の方が金田よりすげーよ」なんて、子供でしたのでよく生意気なことを口にしてました。
が、改めて今更ながら記録を振り返ると、やっぱり大投手!金田正一これにありだったんだな〜と、痛感した次第。
野球が当時と今では違うと言ってしまえばそれまでですが、同じなのは体の手入れ。怪我がプロ野球選手は今も昔も一番怖いですから。
なので金田正一投手は人一倍、いや人十倍は体の手入れには気を使っていたそうですし、食事も気を使っていたそう。でなければ14年連続20勝は不可能ですし、20年の長きに渡り現役生活は続けられないですからね。