WBC栗山英樹監督が現役時代のヤクルトは、なかなか華のあるチームだった!

 


日本中がしびれたWBC、優勝監督の栗山英樹氏は現役時代はヤクルトスワローズの外野手でした。

バブル絶頂期の1989年、関根潤三監督率いるヤクルトスワローズは、なかなか華のある選手が揃っており、↓こちらが開幕スタメン。栗山英樹氏は1番でセンターでした。

1 中 栗山英樹
2 二 桜井伸一
3 遊 池山隆寛
4 一 パリッシュ
5 右 広澤克実
6 左 杉浦享
7 捕 秦真司
8 三 長嶋一茂
9 投 尾花高夫

既にこの後、ヤクルトスワローズ黄金時代の中心バッターになる通称「イケトラ」、池山隆寛氏と広澤克実氏がクリーンナップにおり、4番には本塁打王のパリッシュ。

ベテランの杉浦亨氏がそろそろピークを超えてきた頃でしたが、この打線はなかなか他チームは怖かったと思います(チーム打率はリーグ最下位でしたが、本塁打数はリーグ2位!)

でも、投手陣が6勝→8勝→10勝と成長してきた荒木大輔氏が、前年の1988年シーズン半ばに肘痛を発症。ジョーブ博士の執刀手術を受け3勝で終わり、1989年は1試合も登板なし。

同じく前年1988年は7勝の高野光氏も、荒木大輔氏と同じ肘痛手術を受けたため1勝しかあげられず、前年は18勝9敗17Sで最多勝を獲得した伊藤昭光氏も、自宅で転倒し骨折したこともあり4勝11敗1Sと不調の不運が重なり、結局この年は4位で3年連続Bクラス。

関根潤三監督は解任され、翌年から野村克也氏が監督になったわけですが、実は野村克也監督1年目は更に順位を下げ5位で、監督が変わってヤクルトがいきなり強くなったわけではなかったんですね。

野村克也監督は4番で本塁打王も獲得したパリッシュを、三振と併殺打が多い「確実性がない」ということで放出してしまいますが(阪神タイガースへ)、新しく獲得したマーフィーが全くの不振!

打てないマーフィーは8月には解雇され、チームも5月からずーっと!5位に低迷。そのままチームもシーズンを修了してしまいました。









ちなみに、近年の荒木大輔氏のYouTubeでの発言によりますと、関根潤三氏が監督時代に徹底して鍛えた選手達が花開いたのが野村克也監督時代だったと回想してますが、おそらくそうなのでしょう。

また、いまいち伸び悩んでいた長嶋一茂氏は、野村克也監督になってから出番が激減し、栗山英樹氏もレギュラーを高卒6年目の無名の柳田昌夫氏に奪われ、1990年を最後に病気もあり若くして引退。

関根潤三監督の元、1989年は新人だった笘篠賢治氏は打率.263、本塁打5本、盗塁32で新人王を獲得しましたが、長嶋一茂氏、栗山英樹氏ともども野村克也監督就任以来、あまり起用されなくなっています。

野村克也監督がヤクルトスワローズで優勝するのは3年目の1992年で(2年目は3位)、キャッチャーの古田敦也氏が入団3年目で安定した時でした(前年、首位打者獲得)。

まぁ〜野球はピッチャーとはいえ、バッターが打たなければ勝てないわけで、1年目のハウエルの活躍あっての優勝だったのは間違いないでしょう。

ハウエルは打率.331で首位打者、38本塁打でホームラン王に二冠を達成しており、古田敦也氏も2年連続首位打者は逃しましたが、ハウエル、オマリー(阪神タイガース)に次いで打率.316でリーグ3位。

古田敦也氏はこの年30本塁打も放ち、池山隆寛氏も30本塁打(5年連続30本以上)、広澤克実氏も25本塁打と、この年のヤクルトはチーム本塁打リーグトップ!(173本。2位のジャイアンツが139本)。

ID野球と言われますが、この年のヤクルトのチーム防御率はリーグ5位(3.79)。打って打って打ちまくって優勝したと言っても過言ではないでしょう(チーム打率リーグ2位。.261。トップのジャイアンツが.262)。

ヤクルトスワローズ黄金時代はこんな感じでスタートしますが、栗山英樹氏は引退していました。