ドラフト外の江本孟紀氏、ドラフト6位の安田猛氏とドラ1の上田二朗氏、佐藤道郎氏

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1968年秋、神宮球場で時別企画「明治維新百年記念 明治神宮野球大会」が行われています。

明治百年を迎えたこの年のこの大会(大学の部)、今もとても印象に残っているのは各大学連盟のオールスターチーム(8チーム)が結成され、そして試合をしたちょっとしたお祭りイベントだったから。

勿論、優勝候補はこの年のドラフト1位候補、法政大の田淵幸一氏や早稲田大の谷沢健一氏のいる東京六大学リーグ選抜チームで、対抗が同じくドラフトの目玉!亜細亜大学大橋穣氏のいる東都大学リーグ選抜チーム。

予想通り、優勝候補の東京六大学は一回戦の広島六大学を19対1と圧勝。東都大学も九州六大学を7対1で 破り共に無難に準決勝進出。

西の強豪!関西六大学を2対0でくだして東京六大学は決勝進出しましたが、何と!東都大学は首都大学に3対4で負けてしまう番狂せ。当時の首都大学は野球ファンにはその程度の認識でしたから。

勝戦東京六大学は明治大の星野仙一投手が先発でキャッチャーは勿論、田淵幸一氏。首都大学リーグの先発は準決勝で東海大4年の渡辺孝博投手が投げたので、同じく東海大の両エース3年生の上田二朗投手。

 

 


なんと3年生の上田二朗投手は1対0と強打の東京六大学を完封し、伏兵の首都大学リーグ選抜が優勝の再び!番狂せ。

私的に東海大という大学があるのをこの時、初めて知り(附属高校の東海大相模が甲子園で有名になるのは、この少し後なので) 、また上田二朗投手を知ったのもこの時が初めてでした。

更に!4年生になった上田二朗投手は翌年、首都大学でリーグ優勝を決め出場した大学野球選手権でも、2回戦で優勝候補の東京六大学の明治大をやぶり、そして決勝戦では好投手!佐藤道郎投手率いる東都大学の日本大をやぶって東海大初優勝。

私的に東海大を有名にしたのは「上田二朗である」と常々言ってますが、原辰徳氏よりも柔道の山下泰裕氏よりも上田二朗氏は早くに東海大を全国で有名にしていますから。

で、ここまで名前を掲げた選手は、1968年のドラフト会議で田淵幸一氏が阪神タイガースから1位指名、星野仙一氏が中日ドラゴンズから1位指名、大橋穣氏が東映フライヤーズから1位指名。

他にも法政大から山本浩二氏が広島東洋カープから1位置指名、同じく法政大の富田勝氏が南海ホークスから1位指名。

1学年下の上田二朗氏が1969年のドラフトで阪神タイガースから1位指名、日本大の佐藤道郎氏が南海ホークスから1位指名、谷沢健一氏が中日ドラゴンズに1位指名と、当時の大学野球は、後にプロで大活躍する選手ばかり。本当にレベルが高かったと言えます。

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ちなみに東海大の渡辺孝博氏も社会人野球を経由して1971年のドラフト会議で、ヤクルトアトムズより5位指名を受け入団しています。

で、大学選手権決勝を争った輝くドラフト1位指名の東海大の上田二朗氏と日本大の佐藤道郎氏の影に隠れていた同じ年の同級生が、法政大の江本孟紀投手と早稲田大の安田猛投手。

法政大には東京六大学リーグ通算48勝という、今も破られていない不滅の記録を持つ山中正竹投手(現:全日本野球協会会長)、早稲田大学にも1969年の読売ジャイアンツのドラフト1位指名の小坂敏彦氏がおり、江本孟紀投手と安田猛投手はドラフトにかからず社会人野球にすすんでいます。

1970年、阪神タイガースに入団した上田二郎投手は新人王は谷沢健一氏に譲りましたが9勝8敗、防御率2.99の新人にしては好成績で、佐藤道郎氏は18勝6敗、防御率2.05で新人王と最優秀防御率を獲得。

住友金属工業に進んだ山中正竹投手は、都市対抗野球大会で準決勝進出。ロングリリーフエースに変身した安田猛投手の大昭和製紙に敗れますが、社会人野球でもその後も活躍しています。

 

安田猛氏の大昭和製紙は、三菱重工神戸との引き分け再試合の決勝戦を制し優勝。安田猛投手は橋戸賞を受賞し、彼の人生はここから変わっていきます。

 

安田猛投手は早稲田大在学時、東京六大学通算4勝2敗。同級生で早稲田大エース!読売ジャイアンツドラフト1位入団の小坂敏彦投手は通算22勝6敗。

 

ところが小坂敏彦投手の1年目は5試合登板で1勝1敗。社会人野球で橋戸賞を受賞した安田猛投手と、ここから人生が逆転します。


同級生の上田次朗氏や佐藤道郎氏より遅れること2年、翌1971年のドラフト会議でヤクルトアトムズに6位指名され安田猛投手は入団。1年目から大活躍!


一方、安田猛投手同様、法政大時代は山中正竹投手に隠れ東京六大学通算6勝1敗の江本孟紀投手は、熊谷組に進み好投手と一部では話題になったそうですが、安田猛投手のような華々しい活躍はなく1970年のドラフト会議にかかることもありませんでした。

 

が、年が明け1971年になってから東映フライヤーズより声がかかり江本孟紀投手はドラフト外プロ野球選手になっています。

そんな江本孟紀投手、1年目は0勝4敗、防御率5.04。入団1年目にして早くも南海ホークスにトレードされますが、ここで野村克也氏と出会い、江本孟紀投手の野球人生が激変したのは有名な話ですね。


上田次郎投手1982年引退まで、プロ通算92勝101敗3S。防御率3.95。

佐藤道郎投手1980年引退まで、プロ通算88勝69敗39S。防御率3.15。新人王、最優秀防御率2回、最高勝率1回。

安田猛投手1981年引退まで、プロ通算93勝80敗17S。防御率3.26。新人王、最優秀防御率2回。

江本孟紀投手1981年引退まで、プロ通算113勝126敗19S。防御率3.51。

東海大、日本大、早稲田大、法政大のかつての同級生達は皆、紆余曲折あれどもプロ野球に入ってからは、プロの世界でその人ありの成績を収めています。

ちなみに4投手とも高校時代は甲子園経験なし。

同級生の読売ジャイアンツの小坂敏彦投手は、高校時代は高松商で春夏連続出場でしたが、プロ野球引退は1976年と誰よりも早く、またプロ通算も9勝8敗2S。防御率4.74と、プロで大活躍とはいかなかったので、つくづく人生色々。人に歴史ありと思ってしまいます。