元木大介氏の上宮も四半世紀以上も春夏甲子園に出場していない、激戦区大阪の凄さ!

 


元木大介氏は2022年からは、読売ジャイアンツの一軍ヘッド兼オフェンスチーフコーチ、 2023年からは一軍作戦兼内野守備コーチに就任しています。

そんな元木大介氏は、2005年に戦力外通告を受け33歳の若さで現役引退(他球団からの誘いはあった)。

あれから早くも18年経っていますし、元木大介氏はプロ入り後はホームランバッターではなくなったので、上宮のスラッガー!『元木大介くん』を知ってるのは、それなりの年齢の方だけでしょう。

近年の大阪の高校野球シーンは、大阪桐蔭履正社の2トップが抜けており、元木大介氏の母校、上宮は1997年春の選抜を最後に、春夏甲子園大会の出場はありません(2023年春現在)。

とはいえ、直近では2022年の夏の大阪大会で上宮は春の選抜優勝校の大阪桐蔭に準決勝で0対8で敗退しましたが、大阪ベスト4ですから突然!弱くなったともいえませんし、PL学園のように野球部がなくなったわけでもないので、そこは激戦区!大阪という感じでしょうか?


上宮の甲子園出場は春の選抜が7回ですが、夏は意外にも出場は1回だけ。

その一度の夏の大会出場が元木大介氏3年時の1989年。春の準優勝校という事もあり上宮は優勝候補でしたが、準々決勝で準優勝した仙台育英に2対10で負けています(優勝は吉岡投手擁する帝京)。

元木大介氏の甲子園初登場はその前年の2年になる春の選抜でしたが、この大会は近畿大会の成績が良かったのか?大阪から他に近大付と北陽の3校も選抜されていました。

そんな大阪3校のうち準々決勝まで残ったのは上宮だけでしたが、栃木県の宇都宮学園に延長で敗退。この試合で元木大介氏は甲子園初ホームランを放っています。

同年夏の大阪大会は波乱であり、春の選抜出場の上宮も北陽もベスト8にまで残れず近大付が春夏連続出場をはたしますが、最上級生になった元木大介氏の新チームの上宮は秋季大阪大会で準優勝。優勝した近大付と共に2年連続選抜出場となっています。

ちなみに近代付は春夏春の3季連続甲子園出場で、準々決勝で東邦に延長で2対3で負けますが翌春の選抜では見事に優勝してますから、近大付はこの頃が大阪でも全国的にも最強時代だったと言えます。

というわけで1989年の春の選抜、上宮の2度目の甲子園出場の紅顔の美少年!元木大介氏のアイドル人気は凄く、更に実力も一回戦の千葉県代表の市柏戦でホームラン2本、準決勝の横浜商戦でも1本放ち、前年の1本を加えた元木大介氏の選抜通算4本塁打は、PL学園清原和博氏と並び選抜トップ記録です。

元木大介氏は同年夏にも2本ホームランを放っているので、甲子園通算本塁打は6本。

これは夏に9本ホームランを放っている通算13本の清原和博氏のダントツに続く、桑田真澄氏、中村奨成氏と並び歴代2位。元木大介氏は、高校時代は超高校級のスラッガーだったのです!

というわけで元木大介氏の上宮は、見事に決勝進出。相手は前年の春の選抜準優勝校、愛知県代表の東邦。

この東邦と上宮の決勝戦は、史上最も残酷な決勝戦と言われている劇的な幕切れの試合でした。

試合は1対1のまま延長戦、10回表上宮はツアーウトランナー2塁からサード強襲ヒットで1点を奪い2対1。その裏の残り3人を抑えれば春夏通じて上宮初優勝。

10回裏、前年準優勝の粘る東邦はノーアウトのランナーを出しますが、強行策が裏目に出て4-6-3のダブルプレー。一瞬で東邦ツーアウトランナーなし、アウトはあと1つ。日本中の殆どの人が上宮の初優勝を確信していた事でしょう。

ところが四球のランナーを再び出すと、上宮の2年生宮田投手はツースリーから打たせたゴロは三遊間を抜けるあたり。ショート元木大介氏が遠投しますがセーフ(内野安打)。ランナーは1塁、2塁。

セカンドランナーがホームに帰ると同点、ファーストランナーが帰りと逆転。

さてここで次のバッターで、史上最も残酷な決勝戦と言われる上宮には酷なドラマが待っていました。

初球を叩いた三番バッターの打球はセンター前ヒット。バックホームされるもセカンドランナーがホームに帰り同点!

ここで!キャッチャーがサードに向かうランナーを刺すためにサードに送球。挟まれたランナーがセカンドに戻りサードからの送球が外れセカンドが送球を後逸!

更に!センターまでこのボールを後逸し、ボールは外野の深いところまで転々とし上宮万事休す。

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逆転サヨナラのランナーがホームを駆け抜け、3対2で東邦優勝の劇的な幕切れ。

ホーム上で歓喜の東邦ナインと違い、マウンドで宮田投手はうずくまり元木大介氏含め上宮ナインは立てない。あとワンアウトで優勝だった上宮には思いもかけない逆転サヨナラ負けでした。

元木大介氏卒業から4年後の1993年に、上宮は春の選抜で初優勝してますが、この時の上宮ナインは中学2年時にこの選抜の上宮の試合を、テレビやスタンドで見ていた子たちです(勿論、夏も)。

大スター!元木大介氏に憧れ、そして自分たちがこの雪辱を果たし上宮で優勝してやる!という意気込みがあったであろう事は、容易に想像できますね。見事な初優勝でした!

 

春の優勝チームの上宮もやはり当時の大阪での宿敵、難敵は近大付で、春は前年の秋季大阪大会準決勝で近大付を破ってますが、夏は準決勝で近大付に敗れ春夏連続出場を逃しています。


余談ですが読売ジャイアンツ原辰徳監督も、甲子園には3年の春以外は1年夏から4季全て出場してますが春夏ともに優勝はありません。

1975年2年春の選抜で5対5のまま高知との延長13回の末、5対10で準優勝が最高で、上宮の元木大介氏と同じです。