1989年夏、帝京初優勝の投打の原動力!吉岡雄二氏は、完封3、41イニング失点1の優勝投手だった!

 

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早実日大一日大三修徳、堀越などと違い、当時はまだ東京の新興勢力だった帝京が1980年、甲子園二度目の出場で(共に選抜)準優勝した時は、東京者達にはかなりのビッグニュースでした。

後に社会人野球を経て、ヤクルトスワローズにドラフト1位入団し活躍した、帝京の伊東昭光投手。

同じく社会人野球を経て、阪神タイガース にドラフト1位入団、抑えのエースとして活躍した高知商中西清起投手。

二人の投げ合いの決勝戦は、9回を終わって両チーム0対0。延長10回裏、犠打により高知商が0対1でサヨナラ勝ち!帝京は準優勝でしたが、東京者は熱く観ておりました。

が、、、

この年の夏から5季、早実荒木大輔投手の「大ちゃんフィーバー」が日本中でふき荒れたので、せっかく選抜準優勝で、全国区に名を売り出した帝京の影が薄くなってしまったのは、否めなかったです。

帝京は東京では野球新興校だったから、選手集めが大変だったそう!

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そして「大ちゃんフィーバー」も終わった1983年の選抜に、帝京は準優勝以来3年ぶり3回目の出場。

当時の東京の野球名門校と違い、帝京はこの頃は、まだまだ野球新興校だったので、前田監督は選手集めに苦心していたそう。

なので、選抜準優勝から3年。帝京にも有力選手が集まるようになり、前田監督はやっと理想のチームが作れたと、意気揚々と甲子園に乗り込んできたわけです。

が、、、

この大会は前年夏、早実荒木大輔投手・石井丈裕投手をメッタ打ちにし、日本中の女の子達を敵に回した後、全国制覇した徳島の池田の夏春連覇が話題だった大会。

ネット上では、この時の帝京は「東の横綱」「東の優勝候補」だったと言われてますが、私はそうだったとは思ってません。

 


前年の秋季東京都大会を、確かに帝京は制して選抜出場を決めてますが、決勝戦桜美林戦は延長10回裏サヨナラ勝ちの辛勝でしたし、明治神宮大会も1回戦で優勝した東北に負けてます。

なのでこの選抜の東の横綱は、明治神宮大会を制した東北で、けっして帝京ではなかったと私は記憶してます。

で、前田監督の描く当時の高校野球の中の「理想のチーム」だったと思われた帝京なれど、一回戦で結果的に夏春連覇を達成した徳島の池田に、メッタ打ちをくらって0対11のボロ負け。

昨夏の早実に続いて、池田の「パワー野球」に前田監督の帝京も屈したわけです。更には夏も帝京は初出場しますが、こちらも初戦負け。

そしてこの夏の大会で、驚異の池田の夏春夏の甲子園3連覇の夢を破ったのが、1年生がエースと4番のPL学園の「KKコンビ」。

池田の水野雄仁投手をメッタ打ちにしたPL打線の、こちらも「パワー野球」を前田監督は目の当たりにし、ここから、帝京は池田を真似た筋トレを練習で取り入れるようになるわけです。

「大ちゃんフィーバー」「やまびこ打線」「KKコンビ」の後に来た、帝京最強時代!

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そして1985年、帝京は春は4回目の出場で、遂に!準決勝で因縁の池田に競り勝ち(1対0)、帝京二度目の春の選抜決勝進出!

前年、同じ東京代表の岩倉がKKコンビのPL学園に勝って優勝してるので、今年もKKコンビのPL学園に勝って、春の選抜、東京連続優勝だ〜!

と思っていたら、そのPL学園は伏兵の高知県代表、初出場の伊野商に負けちゃって、帝京も決勝でその伊野商に負けちゃった。

更に!夏の東東京大会も、選抜準優勝の帝京、順当に勝ち上がるも、決勝で関東一の「パワー野球」の前に、エースの小林昭投手が3本のホームランを浴び、5対12でよもやの敗戦。

帝京は1976年春の選抜も連続出場しますが、1回戦で高知に敗退。この選抜大会は、水野雄仁投手以来2年ぶりに池田が優勝。

夏は東東京都大会で、帝京は準々決勝敗退したので甲子園出場ならず。

それでも1977年の帝京は春夏連続出場しましたが、この年は「KKコンビ」卒業から2年のPL学園が、春夏連続優勝した年で、帝京は春に準々決勝、夏は準決勝で、そのPL学園に負けています。

まだまだ前田監督の目指した「パワー野球」は、全国レベルには及ばなかったわけですねー。

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でも、優勝はできないまでも、春夏、甲子園出場回数も増え、強豪と呼ばれるようになりつつあった帝京。やってきました1989年、世はまさにバブル真っ盛り!
 
1988年、秋季東京大会を帝京は、二松学舎大付を11対1、日大鶴ヶ丘を12対2、修徳を10対0、岩倉を14対0の、全試合!圧勝で優勝。

明治神宮大会は開催が中止になりましたが、この年は帝京は、正に!東の横綱、優勝候補として選抜に乗り込んできました。

が、頼みのエース、吉岡雄二投手が報徳学園に打ち込まれ、帝京は6対7で1回戦負け。

結局この大会は、決勝で延長10回ツーアウトから東邦に逆点負けし優勝を逃しましたが、3本の本塁打を放った元木大介氏の上宮が、話題になりました。

帝京は夏の東東京都大会も、順長に勝ち上がったものの決勝戦は大苦戦!秋季大会では14対0で勝ってる岩倉打線に、エースの吉岡雄二投手が打ち込まれ、3回3失点でノックアウト。

7回を終わって帝京は4対6でしたが、8回裏に一挙5点をとって逆転優勝し甲子園行きを決めましたが、この試合は本当に危なかったですねー。

ただ、甲子園にきてからは、春の雪辱もあったのでしょう、この年の帝京は本当に!強かったです。

米子東を3対0、桜ヶ丘を10対1、三重海星を11対0、秋田経大付を4対0で撃破し、帝京、夏は初めての決勝進出!

当時の甲子園のアイドル、元木大介氏の上宮を準々決勝でやぶった仙台育英との、帝京は決勝戦

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対するは、帝京の吉岡雄二投手とともに、超高校級投手と謳われた大越基投手(後のダイエーホークス)擁する仙台育英

ちなみにこの夏の大会は、春の覇者の東邦や強豪の池田が予選で敗退した事もあり、春の準優勝校、当時の甲子園のアイドルだった元木大介氏擁する上宮が、ダントツの優勝候補でした。

なので、その上宮を準々決勝でやぶった仙台育英の快進撃は、ちょっとした事件でしたねー。

仙台育英は準決勝でも、後にオリックス、巨人で活躍した谷佳知氏の尽誠学園をやぶっての決勝進出。この年の仙台育育英も、強かったー。

で、帝京と仙台育英の決勝戦は、9回を終わって0対0。試合は好投手二人の投げ合いの、予想通りの投手戦。

なれど、東京者は嫌な予感がここでよぎります。帝京初の決勝進出だった、高知商との選抜の決勝戦と同じ展開だったからです。

しかも先行が帝京だったのも同じ。


高知商には10回裏にサヨナラをくらいましたが、今度は帝京が 10回表に2点を挙げ、吉岡雄二投手が完封し、帝京!初優勝!

平成元年夏を制した帝京はこの後、平成7年までに春1回、夏1回優勝の計3回全国制覇する、「帝京最強時代」を築きます!

ちなみに仙台育英はこの後も二度!決勝まで進んでますが、茨城の常総学院、神奈川の東海大相模と、関東勢に、東北勢悲願の初優勝を拒まれてます。 

で、吉岡雄二氏は、1989年のドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。

プロ入り後は野手に転向し、その後は近鉄バファローズ、 楽天イーグルスと渡り歩いた吉岡雄二氏の成績は、1軍通算15年、打率.273、本塁打131本。

2001年の近鉄優勝時には、ローズや中村紀洋氏とともに「いてまえ打線」の一角を担い、吉岡雄二氏は26本塁打を放ってました。

2020年現在、吉岡雄二氏は北海道日本ハムファイターズの、二軍コーチ。素敵な野球人生を、歩まれてます。