ジェーン・アッシャーとリンダ・マッカートニー。ザ・ビートルズとウイングスソングに与えた影響は凄いと思うな〜♪

ザ・ビートルズの楽曲にも多大な影響を与えたと伝わる、ポール・マッカートニーのフィアンセだったジェーン・アッシャー

女優でもあった17歳のジェーン・アッシャーと、ザ・ビートルズ時代のポール・マッカートニーとの出会いは 1963年。ポールは二十歳か21歳になったばかりでした。

ジェーン・アッシャーは、医者のパパと音楽演劇学校教授のママの裕福な上流階級の家庭で生まれ育っており、 労働者階級のポールは、かなりこの自分の彼女は自慢だったとか。

既にイギリスで人気に火がついたザ・ビートルズなので、二人はデートも難しいので、ポールは裕福なジェーン・アッシャーの邸宅、6階建てのタウンハウスの屋根裏部屋に住みついいます。

ある種、ジェーン・アッシャーの両親にとってポールは「マイ・フェア・レディ」のイライザのような存在で、ポールもこの上流階級の暮らしにご満悦だったようですから。

まぁ〜ジョン・レノンがレコードデビュー前から結婚していたし、当時のザ・ビートルズはアイドルでもあったので、ポールがジェーン・アッシャーと交際(同居)している事は、当時は伏せられていました。

結局、ポールがジェーン・アッシャーと婚約を発表したのは、出会って3年以上経った1967年12月。
 
ザ・ビートルズがもうライブツアーはやらない、これからはレコード作り中心の活動をやると、まぁ〜ある種の「脱アイドル」宣言をした後の事でしたが、そこは!ポールですから(笑)、、、

浮気の真っ最中をジェーン・アッシャーに見つかり、婚約破棄されます。

やはり育ちが良いのでしょう、ジェーン・アッシャーは今の今まで、ザ・ビートルズ現役時代のポール・マッカートニーに多大な影響を与えたフィアンセだったのに、自分の口からポールのこともザ・ビートルズの事も一言も発しません。

一冊の本にしたら世界中でバカ売れして大金が入るでしょうが、元々ジェーン・アッシャーはお金持ちなので、そういう下卑た考えは全くないのでしょう。素敵だな〜。

なんたって!ジェーン・アッシャーは、天下の!ザ・ビートルズ現役時代にポールが愛した女、一緒に暮らしてた女。ポールが彼女に感化されて書いた曲が多いのは、ファンの方には釈迦に説法ですから〜。

で、リンダ・ルイーズ・イーストマンは、ロックミュージシャン専門のカメラマンとして活躍していたので、ジェーン・アッシャーと婚約中に二人は知り合ってます。

そしてジェーン・アッシャーとの婚約解消後、すぐにポール・マッカートニーとリンダは交際を開始。

リンダのパパも弁護士で、彼女も幼少時代は裕福な生活を送っていた「お嬢」でしたが、大学在学中に最初の結婚をし子供も一人授かりましたが、その後に離婚しているバツイチ子持ちでした。

しかもポールより1歳年上のそんなリンダとポールの結婚は(1969年)、ジョン・レノンが同じく年上でバツ1の子持ちの小野洋子さんと再婚したの同様、かなり当時は世間からバッシングを受けました。

まぁ〜、ジョンが小野洋子さんとプラスティック・オノ・バンドを始めたことに触発されてだと思いますが、 ポールもリンダを音楽仲間としますが、音楽素人のお二人への世間のバッシングも激しいものだったと記憶しております。

それでもポールは一貫して!レコーディングでもライブでも、リンダ・マッカートニーを起用し続けました(コーラス、タンバリン、キーボード)。


ウイングスのリアルタイムの頃、私もリンダの存在が音楽的に意義があるのか?と思ってた一人でしたが、今聴き直すとリンダの声が懐かしいですし、他界した事もありますがせつないですね〜。

何たって名曲!「マイ・ラヴ」は、ポールがリンダに向けたラブソングですから。

そんなリンダはポールとの間にも1男2女を授かり、リンダの連れ子含め、ポール・マッカートニー一家は、とても幸せに暮らしているように他人様からは見えたものでした。

でも、リンダは1995年に乳癌であることが発覚。

リンダはベジタリアン料理研究家としても有名で、冷凍食品の開発・監修もしていたので、そんなに健康に気を使っていても癌かよ〜と、私は思ったものでした。

リンダの手術は成功し、一旦は快方に向かっていると思われましたが1997年に再発。1998年4月17日に死去。

私は特別にリンダファンでもなんでもなかったのですが、やはり悲しかったですね〜。