「奥様は魔女」のサマンサ=エリザベス・モンゴメリーの経歴も面白いな〜♪

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↑「奥様は魔女」の、サマンサとラリーではありません。

1959年よりアメリカでは放映され、日本でも大人気だったTV版「アンタッチャブル」の第22話「THE RUSTY HELLER STORY」(邦題:野望の果て)にゲスト出演してる、後のサマンサとラリーです。

無名時代でも、流石はサマンサ=エリザベス・モンゴメリーという感じで、端役ではなくこの回の「アンタッチャブル」の彼女は物語の主役。

後のラリーのデヴィッド・ホワイトだけでなく、きっちり主役のエリオット・ネスを演じたロバート・スタックとの絡みもある、男を翻弄する娼婦役を演じてます。 

日本でもあまりの大ヒットドラマだったので、エリザべス・モンゴメリーと言えば=「奥様は魔女」のサマンサですが、それ以前は大きなヒット映画はなかったとは言え、なかなかのセクシー女優ですね。

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そんなエリザベス・モンゴメリーは、1930年に俳優のロバート・モンゴメリーとエリザベス・ブライアン・アレンの間に生まれた娘で、日本で言えば生まれついての『芸能一家』です。

まぁ〜、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれの芸能一家のエリザベス・モンゴメリーだからなのか?、21歳の時にパパの番組の舞台マネージャー・TVディレクターと最初の結婚をしますが、僅か1年で離婚。

離婚理由は、エリザベス・モンゴメリーは妻、主婦よりもハリウッド進出を目指したからだそうですが、パパのTV番組で芸能界デビューし、そして映画デビューも果たした後、すぐ再婚しています。

ですから離婚理由は、もっと他にあったのかもしれませんね。

で、23歳のエリザベス・モンゴメリーが、再婚した今度のお相手は俳優の19歳年上のギグ・ヤング
 
そんなこんなの時期、↓こちらも日本では「ミステリー・ゾーン」という邦題で大人気だった「トワイライト・ゾーン」にも、エリザベス・モンゴメリーは出演しており、相手役はチャールズ・ブロンソン

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1961年のこの「トワイライト・ゾーン」の「TWO」(邦題:最後の二人)では、戦場で瓦礫になった無人の街で、言葉のわからない敵兵同士の男女をお二人は演じており、勿論お二人とも、この話の主役。

というかお二人以外、この話は俳優が登場しません。

この時期は、エリザベス・モンゴメリーギグ・ヤングと結婚していた時期で、けっして売れていた女優でもないのに、人気テレビドラマの主演をはれたのはたいしたものです(親の七光はあったのかな?)。

一方のチャールズ・ブロンソンは、時期的に「荒野の七人」で七人のガンマンのうちに一人に選ばれ、やっと名前と顔を世界的に知られるようになった後で、既に40歳を迎えようって年齢。

こちらも有名な「大脱走」も出演前ですから、当然未だチャールズ・ブロンソンにトレードマークの「口髭」はないです。

ウィリアム・アッシャーとの、3度目の結婚あったのエリザベス・モンゴメリーの「奥様は魔女」だったのでしょう


エリザベス・モンゴメリーの二度目の結婚生活も、ギグ・ヤングのアルコール問題が原因で再び1963年に離婚。

ちなみにギグ・ヤングは1978年に、5度目の妻(エリザベス・モンゴメリーは3度目の妻)を射殺後に自殺してます(64歳没)。

エリザベス・モンゴメリーは、離婚後すぐ12歳年上の映画監督・TVプロデューサーのウィリアム・アッシャーと再婚してるので、ギグ・ヤングに愛想尽かしの離婚だったのでしょうね〜。

翌1964年よりエリザベス・モンゴメリーは、そのウィリアム・アッシャープロデュースの、テレビドラマ「奥様は魔女」の主人公サマンサとして登場。

三度目のご主人のウィリアム・アッシャーは、これもある世代以上の方にはTVシリーズでお馴染み!人気だった「アイ・ラブ・ルーシー」のプロデュースも手がけてます。

更には、アメリカではアネット・ファニセロ、フランキー・アヴァロンの映画ビーチコメディシリーズで一時代を築いた巨匠です。

日本では田代みどりさんが日本語カヴァーし大ヒットさせた「パイナップル・プリンセス」の、アネット・ファニセロ↓は元歌の歌手&女優&歌手で、アメリカでは当時かなり人気が高かったとか。


話が少しそれますが、アメリカではB級映画とは言え、それなりにヒットしたらしいウィリアム・アッシャーのビーチコメディシリーズですが、何故か?日本でヒットした記憶もないし資料もないです。

アネット・ファニセロが日本で人気がなかったせいなのか?彼女主演のお気楽ビーチパーティコメディは、

・ビーチ・パーティ/やめないで、もっと! 1963年 
・ムキムキ・ビーチ 1964年 
・ビキニ・ビーチ 1964年 
・パジャマ・パーティ 1965年 
・ビンゴ・パーティ 1965年 
・ビキニガール・ハント 1965年

とつくられており、どれもビキニギャルがたくさん出てくる、呑気で楽しい男には優しい映画なのですが(笑)、何故に?日本でヒットした形跡がないのか?謎(上映されてない映画もあるかも)。


で、アメリカでは「奥様は魔女」のTV放映が開始されていたので(日本ではまだ)、ご主人のウィリアム・アッシャーに「呼ばれた」のでしょうかしら?

彼にとって最後のビーチコメディ作品、1965年の「ビキニガール・ハント」に、エリザベス・モンゴメリー↓が一瞬だけ出演しています。

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そして「ビキニガール・ハント」の、この帽子の老人は、晩年のあの喜劇王バスター・キートン↑。

パッと見、同じ部屋でのバスター・キートンエリザベス・モンゴメリーの共演に観えますが、お互いのアップの別撮りで、後から編集しているのでしょう。お二人のツーショットは観る事はできません。 

というわけで、バスター・キートンはモノクロの無声映画では、あまりに有名な方ですが、晩年はこんなビーチコメディ映画に肉声で出演していました。

↓そんなバスター・キートンは、この作品の翌年、1966年に永眠されてます(70歳没)。

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最後になりますが、「奥様は魔女」は1972年まで長きに渡り放映され人気を得ましたが、放映終了の2年後にエリザベス・モンゴメリーは、プロデューサーのウィリアム・アッシャーと離婚。

その後、離婚原因になった俳優リチャード・マイケルズと同棲生活してますが、2年で破局。なかなかエリザベス・モンゴメリーの人生も3人の子供を作りつつも、40歳を超えても波瀾万丈ですね。 

更には1993年、60歳になるエリザベス・モンゴメリーは、8歳年下の俳優のロバート・フォックスワークと4度目の結婚をしますが、1985年に大腸癌発覚後8週間でビバリーヒルズの自宅で他界(62歳没)。 

でも、おそらくエリザベス・モンゴメリーは、日本ではオードリー・へプバーン、マリリン・モンローと並ぶ、誰もが知っている知名度の高い(サマンサとして?)アメリカ女優だと思います。