1975年、「ダウンタウン・ブギウギ・バンド」だけが唯一!商業的に成功したロックバンドだった!(オリコン調べ)



◯1975年オリコン シングルレコード売り上げランキング


1位 さくらと一郎:「昭和枯れすゝき」
2位 布施明:「シクラメンのかほり
3位 小坂恭子:「想い出まくら」
4位 沢田研二:「時の過ぎゆくままに」
5位 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド:「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ/カッコマン・ブギ」

6位 岩崎宏美:「ロマンス」
7位 風:「22才の別れ
8位 細川たかし:「心のこり」
9位 かまやつひろし:「我が良き友よ」
10位 山口百恵:「冬の色」


◯1975年オリコン アルバム売り上げランキング

1位 井上陽水:『氷の世界』
2位 井上陽水:『二色の独楽』
3位 小椋佳:『彷徨』
4位 よしだたくろう:『今はまだ人生を語らず』
5位 かぐや姫:『かぐや姫LIVE』

6位 かぐや姫:『かぐや姫フォーエバー』
7位 井上陽水:『陽水ライヴ もどり道』
8位 カーペンターズ:『緑の地平線〜ホライゾン』
9位 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド:『続・脱・どん底
10位 グラシェラ・スサーナ:『アドロ/サバの女王』

2021年現在、50代後半以上の方なら、オリコンによるこちらのシングルレコード・アルバムは、だいたい聴き覚えがあると思います。

で、売上げのシングル、アルバムランキングのトップ10に入ってるロックバンドは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのみ。所謂「和製ふぉーく」が圧倒的に強い時代だったのが、よくわかります。

シングルトップ50まで見ても、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのもう1曲のヒットソング「スモーキン・ブギ」しか、ロックバンドのヒット曲は入っておりません。

世は正に、日本レコード大賞受賞曲、布施明氏歌う「シクラメンのかほり」含め、哀愁のメロディの歌謡曲・和製ふぉーく全盛時代!

なので、アルバム売り上げの中でも、白のつなぎルックにリーゼントのロックバンド!ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのアルバム「続・脱どん底」は、異形を放ってます(笑)。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドはこの年、もう1枚ライブアルバムの「脱・どん底音楽会」を39位にランクインさせており、正にそのビジュアル含め、彼らは時代の寵児でした。

そしてもう1バンド、この年の春に解散したキャロルのベストアルバム「キャロル・ゴールデン・ヒッツ」が19位、解散ライブアルバム「燃えつきるキャロル」が41位と、2枚50位以内にランクイン。

1975年にロックバンド、エレキバンドでアルバムトップ50に入っているのは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドとキャロル、井上堯之バンド(「太陽にほえろ!/傷だらけの天使」)の3グループだけ。

ジョニー大倉氏の著書にも書かれていましたが、実際にキャロルが売れたのは「解散してから」なのは、このベスト盤と解散ライブ音源のヒットぶりを見てもわかります。

世の中には「永ちゃん最高!」オヤジは多いですが、2021年現在還暦前後の自称「キャロルの頃からのファン」は、だいたいこの「キャロル・ゴールデン・ヒッツ」「燃えつきるキャロル」からのファンです。

後にビデオ・DVD化されバカ売れした、1975年夏にテレビ放映された(夕方枠)あの!日比谷野音での解散ライブの映像と、当時の少年には高額だった2枚組LP枚がとっかかりでだったと言えるでしょう。

だからこの層は、実際にデビューアルバム「ルイジアンナ」、「ファンキーモンキーベイビー」は買ってないです(笑)。

このアルバムを買っていたのは、もう少し年上の長髪のニューロック世代の人たちでしたから。

ちなみに内田裕也氏の年末大晦日恒例の「ニューイヤーロックフェスティバル」に、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、この売れまくった1975年に初登場。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、この年は紅白歌合戦にも出場していたので、バンドにとっては忙しい嬉しい大晦日だった事でしょう。

そしてダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、解散するまで「ニューイヤーロックフェスティバル」に連続出場しており、解散宣言も1979年の「ニューイヤーロックフェスティバル」で行われています。

一方、解散したキャロルは記念すべき第一回の1973年、翌年の第二回の「ニューイヤーロックフェスティバル」に出演しており、解散の年の1975年にもジョニー大倉氏と内海利勝氏は参加。

お二人はその後も何度も参加してますが、矢沢永吉氏はソロになってから「ニューイヤーロックフェスティバル」には一度も参加しておらず、キャロル解散以降、日本のロック人脈とは袂を分けています。

キャロル解散以降の矢沢永吉氏は、当時の「日本のロック」シーンに否定的な発言が多く、それは1にも2にも、「日本のロック」が売れていなかったからでしょう。

ソロになって、キャロルの頃のように日本のロックシーン側にいても、矢沢永吉氏は得は何もないと判断し、早々に見切りをつけたのでしょう。

結成がダウン・タウン・ブギウギ・バンドはキャロルより遅かったので、最初に「ファンキー・モンキー・ベイビー」を1973年に小ヒットさせたのはキャロルの方。

なので、1974年夏に郡山で行われた「ワンステップフェスティバル」出演バンドの中では、ダントツの沢田研二井上堯之バンドに次ぐ、キャロルは商業的に少しは成功していたバンドでした。

「ワンステップフェスティバル」には、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドも出演していますが、他の多くのバンド同様、全く売れていないバンドの一つでした。

ところが、その年の12月に発売した「スモーキン・ブギ」が、年が明けたらバカ売れ!

キャロルの「ファンキー・モンキー・ベイビー」と違い、「スモーキン・ブギ」はお茶の間人気の歌謡大ヒットになりました。

又、リーゼントに白のつなぎルックと宇崎竜童氏のサングラス姿がビジュアル的にも注目され、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは爺さん婆さん子供まで、誰もが!知るバンドになったんですね〜。

そしてダウン・タウン・ブギウギ・バンドに、白のつなぎルックを提唱したドラマーの相原誠氏は元キャロルのドラマーでした。


又、先にその姿は自分がやっていたのに、リーゼントにサングラス姿の宇崎竜童氏が「元祖ツッパリ」とマスコミにもてはやされたのも、矢沢永吉氏はきっと面白くなかったのでしょう。

キャロルのジョニー大倉氏、内海利勝氏は、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのメンバーとは一緒に演奏もしてますし親しいようですが、矢沢永吉氏だけは全く接点がないですね。

で、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、続いて人気爆発の最中の1975年3月に発売した「カッコマン・ブギ / 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ 」が、「スモーキン・ブギ」を凌ぐ大ヒット!

1975年の上半期は、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドはダントツの一人勝ちロックバンドでした(沢田研二井上堯之バンドをロックとすれば別格でしたが)。 

そして、このダウン・タウン・ブギウギ・バンド現象をストップさせたのがキャロルとクールス。

春に日比谷野音で行われた解散ライブを、夏にTBSの夕方枠の「ぎんざNOW!」が放映され、そこに映っていたキャロル、警護にあたったクールスの映像は、そりゃーショッキングでしたから。

不可抗力の事故とはいえ、演奏終了後に日比谷野音が燃え上がってる映像は、まさに!燃え尽きるキャロルそのもの。

更にキャロルの警護にあたったクールスの、そのバイクと黒ずくめのファッションのカッコ良さ!この映像がなかったら今の岩城滉一氏も舘ひろし氏も、そしてバンドのクールスもなかったでしょう。

というわけでキャロルは解散してから、もう一度ダウン・タウン・ブギウギ・バンドより人気をひっくり返したんです。

ですから、2021年現在「キャロル時代からのファン」と言う「永ちゃん最高!」の、50代後半のおっさん等は、実はこの解散ライブからのファンなので、キャロルというとクールスなんです。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドとキャロルというリアル話ができるのは、まぁ〜60も半ば近い爺さん、それ以上の昔のニューロックファンの爺さんで、微妙な差があります(笑)。

というわけで、日本のロックバンドで1975年当時、歌謡芸能の世界で唯一!バカ売れしたダウン・タウン・ブギウギ・バンド

リーダーの宇崎竜童氏は、その後は山口百恵さんの楽曲はじめ、歌謡芸能の世界で奥様の阿木燿子さんとのコンビでヒットメーカーになったのは、初老中高年なら誰もがご存知ですね〜。