フーテンの寅は、無宿渡世の大道香具師、893なテキ屋なんだけどね〜


自身のYouTubeで、ホイチョイプロの馬場康夫氏が「男はつらいよ」についても語っており、寅は良い人、善人ではない。葛飾柴又は下町ではなく東京の場末と、私が長年言ってる事を言ってて嬉しかった。

私が公私共に長年言ってても影響力は0。でも、馬場康夫氏は、吹けば飛ぶような私とは比べものにならないほど影響力が強い方だから、彼の言葉がいつか定説になる事を期待したい。

で、「男はつらいよ」って良いよね。寅さんて面白いよねと話の合う人は多いですが、なんか違うんだよな〜のモヤモヤが昔からあり、それがわかったのは、渥美清氏が他界されてからと遅かったです。

まず、戦後の愚連隊は別とし、893の本流は大昔からテキ屋博徒

寅は無宿渡世の大道香具師、893なテキ屋で、東映の「仁義なき戦い 広島死闘編」で言えば千葉真一氏が演じた大友勝利の親父の稼業と同じで、そもそもが良い人でも善人でもない。寅は893です。

男はつらいよ」は、そんな行方不明だった寅がいきなりやってくる、他人の家の不幸を笑う残酷な物語なのに、本当に寅が良い人だとか善人だとか思っちゃってる人が多いのが、そのモヤモヤの原因でした。

寅を良い人、善人だと思ってる人の寅は893ではなく、旅好きの風来坊。葛飾柴又の団子屋の跡取り、若旦那なわけですが、その錯覚してる方々の気持ちはわからないでもない。

だって、シリーズの途中から「国民的映画」と呼ばれるようになるほど、おそらく松竹も想像もしてない連続ヒット映画になり、松竹も社内方針で山田洋次監督に「そう撮るように」命じたでしょうから。




まず、、、

1972年の「男はつらいよ」シリーズ10作目「寅次郎夢枕」を最後に、寅のテキ屋の舎弟、 登役の津坂匡章氏が消え、もう一人の舎弟、佐藤蛾次郎氏演じる源公は既に6作目から、寺男に定着してしまった。

灰汁の強い舎弟の登と源公を消し去り、こちらも灰汁の強い寅のテキ屋仲間絡みで団子屋のおいちゃん、おばちゃん、さくらと博に迷惑をかける物語はなくなり、寅の啖呵売はまるで旅先の趣味のよう(笑)。

繰り返しますが、寅は無宿渡世の大道香具師、れっきとした893。啖呵売で飯を食ってるわけで、金がなくなって宿賃も払えなくなると葛飾柴又のおいちゃん、おばちゃん家にぷいと現れ居座るわけです。

寅は数百円の土産を渡し感謝されると、おいちゃん、おばちゃん家に只で寝泊まりして只飯食って、昼まで寝て隣の印刷屋の若者たちを「労働者諸君!」と冷やかし、毎日遊び呆けてる。

また、旅先で宿賃が払えないとさくらを呼びつけたり、渡世の義理を果たす為とさくらと博に金を借りに行ったり、東京でも無銭飲食疑惑で逮捕されると、さくらに身柄引き取りで来てもらったりと無茶苦茶。

それも寅は、家出して長い間消息不明だった、おいちゃん、おばちゃんの子でもない、さくらの父親が芸者に産ませた、さくらにとっても腹違いの兄貴です。


なので私、よく寅を善人、良い人と錯覚してる方に会うと質問します。こんなおっさんが、自分の家に突然やってきて、住み着いたら貴方(貴女)嬉しい?歓迎する?幸せ?

それも舎弟やテキ屋仲間まで家に呼び寄せ酒飲んで、お金も借りに来て(返してる形跡はない)、貴方(貴女)そんな妙〜なおっさんを善人、良い人と思って喜んで迎え入れますか?

ほぼ100%「嫌だ」と言いますね(笑)。

で、森川信氏が、テレビドラマ同様おいちゃんを演じた「男はつらいよ」第一作は、興行収入1億1千万円で、山田洋次監督がシリーズを終わらせようと思ったそうな5作目「望郷編」まで、興行収入は1億円台。

ちなみに「男はつらいよ」と同じ1969年上映だった、東宝の「日本海大海戦」が3億6千万円、大映の「人斬り」が3億5千万円、東映の「網走番外地 流人岬の血斗」が1億8 千万円でした。

ですから、ヒットシリーズとはいえ、まだ「国民的映画」と呼ばれるほどの興行収入ではなかったので、森川信氏がおいちゃんの頃の「男はつらいよ」は、上記のこんな寅の酷いシーンだらけです。

寅は、おいちゃんだけでなく妹のさくらにも、手もあげてますし。

国民的映画になって寅は、団子屋の跡取り・若旦那に代わった事情




そんなこんなで山田洋次監督は、脚本は手掛けてますが、2,3作目は監督をやっておらず、4作目から監督に復帰し、そして5作目の「望郷篇」で「男はつらいよ」は終わらせるつもりだったとか。

テレビ版「男はつらいよ」でさくらを演じた長山藍子さんを、「望郷篇」でマドンナで起用。同じく博を演じた井川比佐志氏をその恋人、おばちゃんを演じた杉山とく子さんをマドンナのママにしています。

本当に山田洋次監督は「男はつらいよ」を終わらせる気だったと思う、意味深な配役です。

渡世の義理で、かつては大親分と名を馳せた北海道の正吉親分を見舞うと、病室は大部屋で子分一人に看病されてる、その哀れな晩節の姿を目の当たりにした寅は、バカはバカなりに思い悩みます。

正吉親分が死ぬ前に一目会いたいと願った倅(松山省二氏)に寅が探して会いに行っても、あんなのは親じゃないと拒絶され、その倅の父親の悪い嫌な思い出話を聞かされると、更に寅は悩んでしまう。

今は若いから良いが、自分の未来の姿もこうだろう。人間、この青年のように額に汗して油まみれになって地道に働かせなければいけないと寅は思い、葛飾柴又の団子屋に戻り堅気になる宣言をします。

が、寅の悪名は柴又中に知れ渡ってるので仕事がない。ここが後の団子屋の「跡取り」「若旦那」だったら、団子屋を継げば良いわけですが、当時はまだ「跡取り」「若旦那」扱いではないので、これもない。



結局、失意の寅は団子屋を出て、浦安の豆腐屋に住み込みで働くようになり、そこの一人娘のマドンナ=長山藍子さんに惚れ、寅はそのまま婿入りし、豆腐屋で真面目に地道に生きるような流れになります。

が、マドンナは寅が店を継いでくれれば、一人娘の自分が恋人(井川比佐志氏)と結婚しても母親も安心すると喜び、結局、寅の目論見は失敗。寅は、恐れていた暗澹たる893の風来坊に戻ってしまう。

山田洋次監督は、こんなバッドエンドで「男はつらいよ」シリーズを終わらせようとしてたわけで、この頃の山田洋次監督の「男はつらいよ」と、後のそれでは相当!思いが変わってると思います。

ところが!「国民的映画」とまでは当時は言われないまでも、毎回製作すれば1億円を超える興行収入を得られる「男はつらいよ」はドル箱映画ですから、松竹が終わらせるわけがありません。

引き続き第6作の若尾文子さんがマドンナの「純情篇」は作られ、遂にここで!興行収入は2億円を超え、森川信氏最後の作品になった、池内淳子さんがマドンナのシリーズ8作目の「寅次郎恋歌」は4億円超え!

森川信氏急死に伴い、「純情篇」では医者で登場していた松村達雄氏が二代目おいちゃんになった、9作目の「柴又慕情」は5億円を突破と、マンネリどころか上映する度に興行収入の記録更新です。

ちなみに「柴又純情」公開の1972年の洋画興行収入の1位の「ゴッドファーザー」は、3億6651万円ですから、「男はつらいよ」の4億円、5億円というのが如何に凄まじい数字だかよくわかりますね。

寅の舎弟の登が消え、源公が寺男に代わっていった




 


そして寅の舎弟、登最後の登場になった10作目「寅次郎夢枕」は7億6千万円の興行収入と、第一作目の約7倍の成績を収めると、この頃からいよいよ「男はつらいよ」は国民的映画扱いになってきました。

ちなみに、登は後にシリーズ33作の「夜霧にむせぶ寅次郎」で唯一再登場しますが、登は北海道の地元に戻り、今は堅気になって大衆食堂を妻と営んでいて、めでたしめでたし設定になってます。

「望郷篇」で、寅が堅気になって額に汗して油まみれになり地道に生きる事に失敗したのとは大違いで、堅気の登を再登場させているのが、やはり「男はつらいよ」の灰汁の強さが弱まった象徴でしょう。

一方、寅は相変わらず団子屋の「跡取り」にもならず、極楽とんぼの「若旦那」のまま、風の向くまま気の向くまま旅から旅への風来坊。って、違うだろ!と(笑)。寅は無宿渡世の大道香具師、893だぞと。

ちなみに「望郷篇」では、源公も寺をクビになり、テキ屋の真似事を浦安でやっている所を寅に見つかり、堅気になって地道に働けと怒られますが、以降、源公は寺男として地道に生きてます。

これはも〜う松竹と山田洋次監督が、普段は映画なんて観ない、年に1,2度ぐらいしかお金を払って劇場に足を運ばないであろう寅さんファンが、幸せな気分で劇場を後にできるためのサービス精神でしょう。

テキ屋役も寅の旅先の啖呵売で、渥美清氏が漫才トリオ「スリーポケッツ」やってた時の仲間、関敬六氏が登場する程度で、団子屋やおいちゃん、おばちゃん、さくらや博に迷惑はかけない。



というわけで、登が消えるシリーズ10作以降、寅はいつしか団子屋と店舗付き住宅の「跡取り」「若旦那」になってくる(笑)。

無宿渡世の大道香具師、893なテキ屋の寅が、まるで東宝若大将シリーズの麻布の老舗のすき焼き屋「田能久」の跡取り息子、若旦那の若大将=田沼雄一(加山雄三氏)みたいになっちゃってる。

繰り返しますが、これぞ! 松竹と山田洋次監督のファンサービスです。

それが悪い事だと思わないし、 松竹と山田洋次監督のファンサービス精神は絶賛。寅さんが良い人イメージになったから、渥美清氏他界後の2本含め全50作も製作され、多くの日本人に愛されたと思ってます。

私的に寅が 「跡取り」「若旦那」扱いになってからも、渥美清氏の体調不良により寅が満男(吉岡秀隆氏)と泉(後藤久美子さん)の恋のアドバイザーになってからも、「男はつらいよ」は全部好きです。

でも、灰汁の強い寅、登、源公やテキ屋仲間に苦悩する、おいちゃんが森川信氏の頃の作品が最高だと私的趣味で思ってるだけで、 大方の「国民的映画」になってからの寅が好きな気持ちもよくわかります。

まぁ〜松竹も映画は商売ですから、後年は渥美清氏ご存命のうちに「男はつらいよ」に続ヒットシリーズを作ろうと、1988年より40作目の「寅次郎サラサ記念日」に「釣りバカ日誌」を併映させました。

目論見通り「釣りバカ日誌」も大ヒットし、渥美清氏他界後「男はつらいよ」シリーズが終焉しても尚、「釣りバカ日誌」シリーズは2009年までに全22作上映されましたが、流石にここまででした。

おそらく渥美清氏他界後の2本含め、全50作のシリーズ映画は、松竹に限らずどこの映画会社も、もう二度と作られる事はないでしょうね〜。 それだけでも「男はつらいよ」は凄い歴史的映画なのです。


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