チャールズ・ブロンソン大人気だった1970~1972年の日本!

81UEiPVa2jL._UF1000,1000_QL80_



 


チャールズ・ブロンソンが日本で大人気になったのは、1970年に男性用化粧品メーカー「丹頂」の化粧品「マンダム」のテレビCM(大林宣彦氏演出)出演。

CMのバック音楽、ジェリー・ウォレスの「男の世界」が、日本独自の大ヒットとなった時でした。

チャールズ・ブロンソン1921年生まれですから、50歳になろうって時期の思わぬ日本での大ブレイク。また日本でも、50近いおっさんが若者たちに大人気になるという、不思議な現象を起こしてます。

更に!同年10月1日、10月8日に映画「大脱走」が前後編の2週に分け、フジテレビのゴールデン洋画劇場で放映され、前編25.5%、後編33.7%と当時の映画部門の最高視聴率を記録。

髭のない時代のチャールズ・ブロンソンも、「大脱走」では重要な役どころを演じていたので、当時の私含む少年たちは、毎日TVCMで観る「あの!ブロンソン」が出演していただけでも嬉しかったものです。

更に更に!同年11月に、当時は鳴物入りだったフランスのアラン・ドロン、日本の三船敏郎氏との共演「レッドサン」が上映され、チャールズ・ブロンソン人気は最高潮に達したと言えます。


まぁ〜日本ではアラン・ドロンチャールズ・ブロンソン三船敏郎氏の三大スター夢の共演の売りでしたが、海外ではこの3人にスイス人女優のウルスラ・アンドレスが加わった、4大スター扱いだったよう。
 
実際に物語はアラン・ドロン演じるゴーシュの愛人役だったウルスラ・アンドレスも、重要な役どころでしたし、彼女は007シリーズの初代ボンドガール(007 ドクターノオ)。

「レッドサン」の監督は、その007の初期3作を手がけたイギリスのテレンス・ヤングですから、ウルスラ・アンドレスへの思い入れも監督して強かったでしょう。

思えば「レッドサン」はフランス・イタリア・スペイン・アメリカ共作映画で、主演の男優3人が仏米日で、女優のウルスラ・アンドレスはスイス人、監督がイギリス人でという随分と国際色強い映画でした。

 

 


というわけで当時、チャールズ・ブロンソンは日本で、もの凄い人気で、とどめがこんな感じで日本で人気絶頂だった1972年、マフィア映画の決定版として上映された「バラキ」。

製作は再びイタリア・フランス・アメリカの合作映画で、監督も「レッドサン」と同じテレンス・ヤング

「バラキ」は、当時はマーロン・ブランド以外無名俳優ばかりだったのに、無名のフランシス・F・コッポラ監督だったのに、世界的大ヒットになった「ゴッドファーザー」に対抗した実録映画でした。

ゴッドファーザー」は、色々と登場人物にはモデルがいる、フィクションのようでノンフィクション映画でしたが、「バラキ」は実際のマフィアの一員、ジョゼフ・ヴァラキの物語。

共演はイタリヤ出身の名優!リノ・ヴァンチュラに、イギリス人女優でブロンソンの奥様のジル・アイアランドの、監督含め豪華キャストでした。


今でこそ巨匠!コッポラ、名優アル・パチーノロバート・デュヴァルジェームズ・カーンですが、当時は皆、無名。皆「ゴッドファーザー」で名を馳せたわけです。

一方「バラキ」は、既に名のある監督、俳優の映画、それもマフィアの実録でしたから、それはそれはこちらも鳴物入り上映でした。 

今となっては、不朽の名作!「ゴッドファーザー」と比べられることもない「バラキ」ですが、1970~1972年の日本でのチャールズ・ブロンソン大人気、黄金時代のトリになったのがこの映画でした。

クリント・イーストウッドがイタリア映画の、所謂「マカロニ・ウエスタン」で大人気になったのと同じで、チャールズ・ブロンソンも欧州人から見たアメリカ人のイメージを持っていたとか。

だから、チャールズ・ブロンソンもまた、1960年代後半から70年代初頭にフランス、イタリア映画に随分と呼ばれて出演しています。


最も有名なところではフランス・イタリア合作映画、アラン・ドロンとの初共演になった「さらば友よ」。

1970年にはイギリス・イタリア合作映画、ラブ・コメディの「おませなツインキー」で、この後アメリカ映画の「わらの犬」で大ブレイクしたイギリス人女優、スーザン・ジョージとも共演しています。

更にはフランス映画の「雨の訪問者」、イタリア映画の「狼の挽歌」、イタリア・スペイン合作映画「夜の訪問者」と、日本でマンダム人気だった1970年は欧州でもブロンソンは大人気でした。

1971年のフランス映画「扉の影に誰かいる」含め、この辺のイタリア、フランス、イギリスでの活躍あっての、チャールズ・ブロンソンは「レッドサン」「バラキ」出演だったのでしょう。

まぁ〜チャールズ・ブロンソンは本国アメリカでは「荒野の七人」「大脱走」「バルジ大作戦」などの主演級の何人かの一人の素晴らしい役所はあれど、ピンの主役での代表作が当時はなかったです。

ですから、「丹頂」「マンダム」と広告代理店なのでしょうか?そんなチャールズ・ブロンソンに、しかも50歳に手が届くようなおっさんを、自社のCMに抜擢した目、センスは素晴らしかったと思いますね。

そんな欧州や日本で大人気になったチャールズ・ブロンソンも、1970年代、50歳も過ぎてから本国ハリウッドでも主演映画を撮れるようになり、1974年の「狼よさらば」がピンの代表作になりました。


日本では、こちらもイタリアで人気になってハリウッドに凱旋した、クリント・イーストウッドの「ダーティーハリー」シリーズほどヒットはしませんでしたが、この映画は全5作のシリーズ化されています。

チャールズ・ブロンソンが「狼よさらば」で演じたポール・カージー ものは、「ロサンゼルス」「スーパー・マグナム」「バトルガンM‐16」「狼よさらば 地獄のリベンジャー」は同じシリーズです。

クリント・イーストウッドのハリー・キャラハンのような刑事ではない、ポール・カージーは民間人設計士。

その民間人のポール・カージーが、度重なる強盗被害で妻と娘を失って以降、犯罪者を自らの手で処刑する「自警団」になり「悪を退治」するシリーズ。ダーティーハリーのチャールズ・ブロンソン版ですね。