「青春デンデケデケデケ」は、故大林宣彦監督の名作!






1992年の東映映画「青春デンデケデケデケ」が、私は当時も今もとても好き!

映画は、1965年の所謂「エレキショック」、ザ・ヴェンチャーズ大ブームの「エレキの夏」の四国の高校生たちのお話です。

通常は、当時のエレキでのグリッサンド奏法を「テケテケ」と称すのですが、こちらはもっと激しい感じで「デンデケデケデケ」。基本は同じです。あの!「パイプライン」のいきなりのイントロがそれ。

原作は1949年生まれの芦原すなお氏ですから、1965年の思春期ど真ん中に、もろに!「エレキショック」を受けた私小説ですが、リアルタイムに氏はバンドはやってなかったとか。

友人たちがやっていたバンドをモデルに、ある種の羨望で書かれたのが「青春デンデケデケデケ」だったようで、監督はかの有名な!大林宣彦氏。

大林宣彦氏は1939年生まれですので、「エレキショック」世代ではないですが、学年で言えば加山雄三氏と同じですから、世の中のエレキブームを自主映画を作りながら客観的に眺めていた世代でしょう。

その大林宣彦氏の「エレキショック」を受けた若者たち、その親たち含め四国の街の人たちの撮り方が、とても優しくて良い映画です。

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なんと言っても大ブームでしたから、リアルタイムでも1965年6月からフジテレビのゴールデンタイム!19:00より「勝ち抜きエレキ合戦」が放映され、多くのアマチュアバンドが出場し勝敗を競っています。

司会は、リトル・リチャードの「ジェニジェニ」を日本語詞で歌い大ヒットさせた鈴木やすし氏と、15歳のジュディ・オングさん。審査員には寺内タケシ氏、湯川れいこさん等でした。

映画でも描かれていましたが、1965年は前年の東京五輪が盛大に無事に終わった事もあり、この後のGDP世界2位に向かって一直線で、日本はかなり元気だったと思います(私は当時、半ズボンですが)。

ちなみに原作が直木賞を受賞した後、すぐ映画化の話はあったそうですが、場所を湘南に変更し言葉も標準語での映画化プランだったので、四国の観音寺にこだわった芦原すなお氏は断ったそう。

これは大正解で、1965年の「エレキショック」の凄さは、地元の方には失礼ながら四国の観音寺のような田舎にまで波及していたという事実現実が、この物語の面白さだからです!

おそらくテレビも、普及したとは言えまだまだ田舎はNHKローカル局しか映らなかった時代でしょう。所謂「中央」とは情報格差がかなりあった時代でも、それでも「エレキショック」は広まっていたと。

これが!「青春デンデケデケデケ」は良いのです。だから、湘南に場所を変え登場人物達も標準語でアイビーファッションにしたら、面白みが半減してしまう。田舎だから素敵な物語なのです。

何故か?1966年の『加山雄三ブーム』に、全く触れてない不思議



で、リアルは「エレキの夏」が終わった1965年12月より、加山雄三氏の若大将シリーズ第6弾「エレキの若大将」が「怪獣大戦争」と併映で、1966年の東宝正月映画として上映!

実は俳優:加山雄三氏と違い、作曲家:弾厚作加山雄三氏のペンネーム)、歌手:加山雄三氏の大ブームが起きるのはズレがあり、既に28~29歳になっていたこの1965年から1966年と少し遅れています。

とっかかりは、映画「エレキの若大将」での架空のバンド、『石山進次郎とヤングビーツ』での「夜空の星」と劇中挿入歌の「君といつまでも」の両A面のソングルヒット!

加山雄三氏はシンガーソングライターとしてではなく、自作ではない曲で既にレコードは何枚か発売していましたが、どれもヒットには及ばず、それまでバンドは自分の趣味でやっていました。

記念すべき作曲家:弾厚作加山雄三氏のシンガーソングライターデビューシングルは、1965年6月発売の「恋は紅いバラ/君が好きだから」で、「君といつまでも/夜空の星」は、その後の2枚目のシングル。

「君が好きだから」と「夜空の星」は、テレビ「勝ち抜きエレキ合戦」で審査員をやっていた寺内タケシ氏率いるブルージーンズと、正に!「エレキの若大将」がそのままレコードになっていました。

また「君といつまでも/夜空の星」と同じ日に発売された、ジャパニーズサーフロックの最高峰!「ブラック・サンド・ビーチ / ヴァイオレット・スカイ」は、加山雄三とザ・ランチャーズの演奏。

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という具合に、当時はザ・ヴェンチャーズと共に、日本の加山雄三氏も大ブームでヒット曲を連発しましたが、映画「青春デンデケデケデケ」では加山雄三氏は描かれてません。

映画では、加山雄三氏より5歳若い、加山雄三氏より歌手デビューは早く歌謡ヒットを連発していた橋幸夫氏や、橋幸夫氏より1歳若い舟木一夫氏、4歳若い三田明氏の曲が登場しています。

橋幸夫氏のリズム歌謡のヒットナンバー!「恋をするなら」「チェッ・チェッ・チェッ」は1964年のヒット曲ですから、さもあらん。

ただ、1965年から1967年の高校3年生までの話なので、1966年の『加山雄三ブーム』のエピソードが「青春デンデケデケデケ」に全くないのは、私的にはとても「?」。

主人公たちが高校3年生になると(1967年)、四国にもグループサウンズブームがやってきた感は、映画でちゃんと出していたので、その間の『加山雄三ブーム』が描かれていないのは、やっぱり「?」です。

原作は読んでないのですが、芦原すなお氏は、あまり加山雄三氏に想い入れはなかったのかも?(高校生で「怪獣大戦争」併映の「エレキの若大将」も観てないでしょうし)。

あと、東映映画ですから製作の段階で東宝系の加山雄三氏を扱うのは、版権とか何か?「大人の事情」があったのかも。とは言えこの辺は映画が素晴らしかったので、まぁ〜いいと(笑)。

 


で、ありがちですが「青春デンデケデケデケ」で主人公の高校生を演じた林泰文氏は当時、既に二十歳を超えていましたが、童顔だからでしょうか?可愛い高校生に観えますし、彼がとても良い。

クールなもう一人のギタリスト役の浅野忠信氏は、撮影時は17歳ですが成人超えてた林泰文氏と同級生役でも、 林泰文氏は全く違和感はなかった。

もう一人の重要な役どころの寺の息子でベーシスト役の大森嘉之氏は、お二人の間の年齢で、ドラム役の永堀剛敏氏は学年で言えば林泰文氏より2つ上ですが、この方の高校生も違和感なし。

そしてリアルの、東宝「エレキの若大将」の後に上映された1966年の日活エレキ映画「青春ア・ゴーゴー」でも描かれてましたし、同年の青春ドラマ「青春とはなんだ」でも描かれてる、練習場所のなさ。

1970年代の都心でも、アマチュアのバンドが練習できる防音スタジオというのは限られており、「エレキショック」の1965年、『加山雄三』やグループサウンズブームの1966~68年では、推して知るべし。

「青春ア・ゴーゴー」では夜学に通うメンバーの一人が、昼間働いてる倉庫を練習場所にしていましたし、「青春とはなんだ」の「エレキで助けろ」の回では銭湯が練習場所に使われていました。

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青春デンデケデケデケ」では、メンバーの寺や河原で練習していますが、こういうシーンこそ!あの時代ならでは。エレキやドラムは音がでかい、バンドは場所をとる、そして何より電気が必要。

まぁ〜高校生の男たちが、集まって『楽隊』をやるという文化は、それまでなかったでしょう。クラシック系の軽音学部とか、女生徒たちのコーラス部もあったでしょうけど。

ここが「エレキショック」の凄かったところで、普通のそこらの兄ちゃんが、いきなりエレキを買えばミュージシャン、バンドマン気分になれる文化は「エレキショック」から始なったわけです。

とはいえ、フォークブームも然りですが、いつの時代も大抵は挫折しギターは「お部屋のインテリヤ」になり、バンドメンバーもみんな良い奴なんてありえないので(笑)、揉め事も多い。

でも、そんなこたーファンタジーの映画で描く必要はない!

映画の中で演奏されてるほど、昨日今日楽器を初めた高校生のバンドが、こんなに上手いわけがない (後に監督の要請で演奏は差し替えられてるそうです)。でも、ファンタジーの映画はこれで良い。


というわけで、加山雄三氏の若大将シリーズしかり、「青春デンデケデケデケ」は良い人ばかりなのが、とても気持ちが良い(悪人、嫌な奴だらけの映画も大好きですけど。笑)。
 
こんな青春って素敵だよねという、「青春デンデケデケデケ」は繰り返しますがファンタジーで(若大将シリーズも)、実際の青春時代はもっと面倒くさいことも嫌なこともあるわけですが、 それはそれ。

青春デンデケデケデケ」は、故大林宣彦監督の名作と思っております!