元祖!湘南サウンドは若大将と「想い出の渚」だよね〜


ザ・ビートルズ日本武道館での公演があった数ヶ月後のザ・ワイルド・ワンズのデビュー曲になった1966年11月発売の「想い出の渚」。

ザ・ビートルズに憧れる以上、本来は自分たちで曲を作り自分たちで演奏するのが基本通り「想い出の渚」は、作曲が東京生まれで幼稚舎から慶應ボーイ加瀬邦彦氏、作詞が東京港区生まれの立教ボーイの鳥塚繁樹氏。

ベースの島英二氏も小学校2年時に鎌倉に引っ越してますが、生まれは東京都世田谷区なので、横浜生まれで川崎育ちの生粋の神奈川っ子は実はドラムの植田芳暁氏だけ。

 

まぁ〜とはいえ、加瀬邦彦氏は慶應高校1年時に茅ヶ崎に引っ越してるので湘南ボーイと言えなくもないですし、この引っ越しが加山雄三氏との出会いになっています。

元祖湘南サウンドは若大将、加山雄三氏なのはあまりに有名ですが、加山雄三氏と加瀬邦彦氏は慶應の先輩後輩で(加山雄三氏は高校から。幼稚舎からではない)、二人の出会いがバンド結成になっていますし、バンド名も加山雄三氏が命名

加山雄三氏と加瀬邦彦氏は4歳違いで、学年で言うと5年違いますから出会いは大学生と高校生ですね。

 

また、ザ・ワイルドワンズは1941年生まれの加瀬邦彦氏一人だけが、他の1947~1948年生まれのメンバーの中で年齢が抜けており、「想い出の渚」でデビューした時、加瀬邦彦氏は既に25歳の大人で、他のメンバーはティーンエイジャー。

 

男ならわかると思いますが、10〜20代のこの年齢差はけっして「友達」関係ではないですね。また、加瀬邦彦氏の兄貴分の加山雄三氏と加瀬邦彦氏以外の他のメンバーとでは、10歳ぐらい年齢が離れています。


そういうわけで加瀬邦彦氏は、ザ・ワイルドワンズでデビュー前からプロとして音楽活動をやっていたわけで、 寺内タケシとブルージーンズのメンバーとして加山雄三氏の「若大将」シリーズに出演してるのも、コアなファンの方ならよくご承知の筈です↑。

加山雄三氏絡みだと他に、バックバンドをやっていたザ・ランチャーズが「想い出の渚」の丸1年後の1967年11月に「真冬の帰り道」を発表しています。

「真冬の帰り道」の作曲はバンドメンバーの喜多嶋修氏で、彼は加山雄三氏の従兄弟で彼もまた慶應ボーイですが、1949年生まれと「真冬の帰り道」発表当時まだ彼は18歳。まぁ〜天才少年ですね。

ザ・ワイルドワンズは1967~1968年のふって湧いたような空前のグループサウンズブームの最中にも「愛するアニタ」「バラの恋人」とヒット曲を連発させますが、ザ・ランチャーズはデビュー曲以外、大きなヒット曲には恵まれませんでした。

また、親分の加山雄三氏もグループサウンズブームの頃は既に三十路であり、ちょっとブームとは距離を置いていた感じはありましたね。

最後になりますが、「真冬の帰り道」が正に!ギター・ベース・ドラムに肉声だけのエレキバンサウンドなのに対し(編曲も喜多嶋修氏)、共にギターが美しい名曲ですが「想い出の渚」にはメンバー外のストリングスが入っており、この辺は編曲の森岡賢一郎氏の影響なのでしょう。

ちなみに加山雄三氏の「君といつまでも」の、あの壮大なオーケストラも森岡賢一郎氏の編曲ですから、その辺の絡みなのでしょうかしらね。