スティーヴィー・ワンダーとジェフ・ベックの競演!「迷信」Superstition はしびれる!



2023年1月10日、78歳で他界したジェフ・ベックスティーヴィー・ワンダーの2009年の共演は、しびれます!↑

 

ジェフ・ベックは時代的におそらく、米国から英国に渡り大成功したジミ・ヘンドリックスに触発され、ファンキーミュージック・ファンクギターに流れていったと思われます。

同時期のエリック・クラプトンジミー・ペイジ、或いはリッチー・ブラックモアと言ったイギリスの人気ギタリスト達と、ちょっとそのへんがジェフ・ベックだけ変わってました。

まぁ〜、R&Bから1970年代初頭華開くニューファンク、ニューソウルにアメリカのブラックミュージックは1960年代後半向かうわけで、その流れにとても敏感だったのがジェフ・ベック

ジャズのマイルス・デイヴィスがやはりそっち側の音楽、スライやジェームス・ブラウンのやってる事に感化されたのと同じで、ヒップで新しいものに対する鼻がジェフ・ベックはかなり効いていました。

 今でこそ、この音楽的な流れは「歴史」として若いコアな音楽ファン、プレイヤーサイドの方々には当たり前なソレになってます。

が、R&Bやブルースを基調にしてるとはいえ、サイケとロックとファンキーミュージックを融合させたニューファンク、ニューソウル、クロスオーバーが、その後流行るなんて保証、確証はなかったです。

また、その方法論も誰もが暗中模索でやってたわけで、ジェフ・ベックもそんな悩める一人でした。


とはいえ当時人気が爆発し、ハードロックと言われていたレッド・ツエッペリンのボンゾ=ジョン・ボーナムとジョンジージョン・ポール・ジョーンズのリズム隊も、もの凄いブラックミュージックファン。

そしてジェフ・ベックが一緒にバンドをやりたいと画策していたヴァニラ・ファッジのリズム隊、カーマイン・アピスとティム・ボガードも又、ブラックミュージックファンだったわけです。

が、ジェフが交通事故により入院してしまい、カーマイン・アピスとティム・ボガードは別のバンドを結成したために、このバンド案は一度、お流れになっています。

ジェフは回復後、新たなメンバーを探すため、イギリス国内は元より、そのブラックミュージックの大元、アメリカはモータウンまで出向いてセッションを重ねたりしてたとか。


で、そこで出会ったのが既にモータウンでは、子供の頃からスターだったスティーヴィー・ワンダーで、スティーヴィー・ワンダーもそれまでのR&Bのモータウンとは違う、新しいサウンドを求めていたと。

結果的にこの後、スティーヴィー・ワンダーカーティス・メイフィールドマーヴィン・ゲイ等と同じような、ニューソウルの金字塔アルバムを発表しますが、当時は未だ彼も暗中模索状態。

少なくとも当時の日本でスティーヴィー・ワンダーはそれほど有名ではなかった。というか当時の日本でファンキーなブラックミュージックを知ってる若者は、極端に少なかったです。

 

結局、そんなジェフ・ベックが選んだのがコージー・パウエルとマックス・ミドルトン。そしてクライヴ・チャーマン、ボブ・ランチの二人の黒人ミュージシャン。

これが所謂『第二期ジェフ・ベックグループ』でしたが、アルバム2枚残して解散いてしまいます。ジェフ・ベックは、やっぱりカーマイン・アピスとティム・ボガードと新バンドをやりたくなったから。

で、本来はメインシンガー(ロッド・スチュワート?)とキーボードにマックス・ミドルトンを入れ5人編成予定だった新バンドは、紆余曲折あり3人だけのベック・ボガード&アピスになったわけです。

で、既に交友のあったスティーヴィー・ワンダーが、ジェフ・ベックに「迷信」(Superstition)を提供し、ベック・ボガード&アピスはこの曲をレコーディング。

でもジェフはこの曲をもらったと思ってたら、「迷信」はスティーヴィー・ワンダーのニューソウルの金字塔「トーキング・ブック」に収録。更にはシングルカットまでされ大ヒットしました。

よって一時、ジェフ・ベックスティーヴィー・ワンダーの「迷信」を売る為の、自分達はプロモーションをやってたようなもんだと怒ってたとかなんとか、ロック伝説では伝わっております。

でも、ジェフが遂に!バンドではなくソロ活動に入っての最初のアルバム「ブロウ・バイ・ブロウ」(邦題:ギター殺人者の凱旋)で、スティーヴィー・ワンダーは再び曲を提供。

この辺は「迷信」での一悶着の、スティーヴィー・ワンダーからのお詫びだったのでしょうか?その曲は、別れた妻シリータ・ライトのアルバムに収録された「悲しみの恋人たち」というボーカル曲でした。