ジェフ・ベック78歳没。1970年代半ばの所謂三大ギタリストの動向は面白かったな〜♪


 


2023年1月10日、有名無名ジャンル問わず!多くの世界のギタリスト達にリスペクトされている、ジェフ・ベックが天寿天命をまっとうしました。

享年78歳、心より合掌。

今日はそんなジェフ・ベック、そしてエリック・クラプトンジミー・ペイジの所謂三大ギタリストの、爺の若き頃の想い出を書いてみます。

1960年代後半、エリック・クラプトン在籍時のクリーム、ジミ・ヘンドリックスによって所謂ハードロック(当時はアートロック、ニューロックとか色々な呼び方があった)シーンはスタートしたと言えます。

そしてクリームは解散。メンバーのエリック・クラプトンジンジャー・ベイカーが結成した期待のスーパーバンド!ブラインドフェイスも1年も持たず空中分解し、ジミ・ヘンドリックスは若くして他界。

商業的には大成功とは言えなかったものの、コアな人気の高かったジェフ・ベックグループもアルバム2枚で解散してしまい、シーンは混沌としていた頃に颯爽と登場したのがレッド・ツエッペリンでした。

1970年前後、レッド・ツエッペリンを率いたジミー・ペイジが三大ギタリストの中では最も!商業的に成功したと言えます。

イギリスのレッド・ツエッペリン、ディープ・パープル。アメリカのグランド・ファンク、マウンテンが、70年代初頭の勝ち組ハードロックバンドだったと言えるでしょう(他にも沢山おりましたが)。


当時の日本のニューロックシーンというのは、実はファン層は結構せこくて、今で言えばインディーズレベルで、当時の多くの少年はロックなんて好きじゃなかった(笑)。

そのファンの多さは、和製フォークとアイドル歌手の比ではないほど、実は当時のロックファンは少なかったんです。

更にもっと!アメリカで人気のニューソウル、ニューファンクファンは少なかったのですが、そんな狭いマニアックな世界でも、やはりレッド・ツエッペリンの快進撃!王者ぶりは共通了解でした。

が、しかし!なーにハードロックの元祖クリームのエリック・クラプトンや、ジェフ・ベックが本気出して凄いメンバーを集めたら、レッド・ツエッペリンなんて一蹴できる。

だってジミー・ペイジより。クラプトンとベックの方が上手いんだから!ってな会話が、数少ないロックファンの間では普通に囁かれていたと記憶しております(何を基準の上手い下手かは今も謎。笑)。

思うに当時のハードロックファン感覚って、プロレスの3対3の6人タッグマッチで、どっちが強いか誰が最強かっていう感覚でしたね。それが所謂スーパーバンドだったと思います。

スーパーバンド幻想、妄想は世界的だった


そんな最中、どうやらジミー・ペイジより上手いジェフ・ベックが第二期ジェフ・ベックグループを解散させ、本気で打倒レッド・ツエッペリンの最強の!ロックバンドを作るらしいぜ。

なーんて噂が流れてきました。

流れてきたったって、今と違いネットもない時代。洋楽ロックの情報なんて音楽雑誌「ミュージックライフ」ぐらいしかないわけですから、皆、同じ情報を同じ雑誌を読んで持ってたわけですが(笑)。

メンバーはドラムとベースがヴァニラ・ファッジ、カクタスのカーマイン・アピスとティム・ボガード。そしてボーカルは第1期ジェフ・ベックグループのロッド・スチュワートらしいぜ!

なんだって〜!そりゃー凄い!これこそスーパーバンドだ!しかも日本に来るらしいぜ!

てなノリで、1973年のジェフ・ベック初来日時は当初、グループ名はジェフ・ベックグループでしたが、もの凄い期待されました。

同年のマウンテン初来日時も、ベースは元クリームのジャック・ブルースらしいぜ!とか噂されたほど、当時は打倒!レッド・ツエッペリンになりうるスーパーバンドを、日本のロックファンは望んでました。


まぁ〜これは世界でもそうだったと思いますが、日本でも数少ないロックキッズ達の間で、いくつかの有名バンドの主要メンバーを集めたスーパーバンドなら、とてつもない化学反応が起きるんじゃないか?

という、ちょいとしたスーパーバンド幻想、妄想がものすごく強くあった時代で、そのとっかかりは栄光したとは言えなかったブラインド・フェイスだったわけですから、元々はエリック・クラプトン

で、マウンテンのその噂は、マウンテン解散後にマウンテンのレスリー・ウェストとコーキー・レイングがジャック・ブルースと作ったウェスト、ブルース&レイングの、来日公演話だったわけです。

が、ジャック・ブルースが抜けてしまい、結局レスリー・ウェストが仲違いしたフェリックス・パッパラルディとマウンテンを再結成(他新メンバー)し来日しましたが、二人の溝は埋まらずその後に解散。

一方、ジェフ・ベックの方も、何と期待のロッド・スチュワートは同じく第1期ジェフ・ベックグループではベーシストだったロン・ウッドに誘われ、フェイセズに行っちゃった。

でも、ロッドはいなくてもトリオか?!そりゃージェフ・ベックがやるんだから、クリームやジミ・ヘンドリックス&エクスペリアンスみたいでかっこいいよな!きっとすげーんだろうな〜!




結局、バンド名はジェフ・ベックグループではなくベック・ボガード&アピスと変わり、来日公演も大盛況、大人気で日本録音のライブ盤も発表されましたが、グループはあっという間に自然消滅。

コアなファンには当時も今も人気の高いベック・ボガード&アピスでしたが、商業的にはレッド・ツエッペリンの足元にも及ばず、中途半端な形のスーパーバンドに終わってしまったわけです。

で、そんなこんなの頃、本家カリスマ・スーパーギタリストのエリック・クラプトンは、ドラッグ中でセックスやりまくりの引きこもり生活を終えています(この後アル中になりますが)。

そして1974年、約4年ぶりになるスタジオ録音ニューアルバム(その前にライブアルバムはあり)、「461オーシャン・ブールヴァード」を発表。

復活したエリック・クラプトン、さぞや最強のスーパーバンド、凄いハードロックを聴かせてくれるだろうと思っていたら、アルバムはなんとレゲエサウンドでした。

今でこそレゲエは当たり前の音楽ですが、当時の日本でレゲエなんて知ってる人は皆無で、ハードロックファンは肩透かしをくらうわけです(初来日公演も)。

が、しかしシングルカットされた「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は、エリック・クラプトン自身初の全米ナンバー1の大ヒット。

日本でも当時の踊り場でこの曲は好まれ、エリック・クラプトンは一部のコアなロックファン以外にも、幅広くその名が知れ渡るきっかけになったのが、この「アイ・ショット・ザ・シェリフ」でした。

結果的にアルバムも全米ナンバー1で、日本でもオリコン最高位8位という大ヒットアルバムになり、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」のオリジナルのボブ・マーリーも、一躍世界の有名人になっています。

レゲエを世界に広めたエリック・クラプトン。インストでも売れるとレコード会社に知らしめたジェフ・ベック



というわけで、クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」で、本家のボブ・マーリーが知られたのが本当です。

ですから、クラプトンより先にボブ・マーリーを知ってたという爺さん婆さんいたら、その人は嘘つきか、時間軸が間違ってる頭の不自由な人と思って間違いないでしょう(笑)。

でも当時はこのレゲエをやるクラプトン、所謂レイドバックのクラプトンは賛否両論。

いや、ハードロックファンには、圧倒的に批判の方が多かったです。だってクリームのカリスマ・スーパーギタリスト!の、あのエリック・クラプトン復活を期待してたのに裏切られたから。

で、1975年になると、日本での内田裕也氏のワールドロックフェスティバル参加を経由し、ジェフ・ベックがスーパーバンドではなく、自分のソロスタイルを確立していきます。


なんたってこの二度目のジェフ・ベック来日のドラマーは、アメリカのR&B、ニューソウルを中心としたセッションドラマーのバーナード・パーディ。ベースのウィルパー・バスコムもセッションマン。

キーボードのマックス・ミドルトンだけ旧知の仲で、ソロ第一弾アルバムにも参加してますが、二度目の来日公演でジェフ・ベックが演奏した曲は全てインスト。歌ものでもインストでやりました。

完全にジェフ・ベックが、スーパーバンド、ロックバンドに興味を失っていたのがわかります。

でも、当時の日本の数少ないロックファン達は、やっぱりそんなジェフ・ベックにもエリック・クラプトンにも、スーパーバンドの中のスーパーギタリストを期待してるところは、多分にまだありました。

だから、ジェフ・ベックのソロ第一弾!インストアルバム、当時の邦題「ギター殺人者の凱旋」= 「ブロウ・バイ・ブロウ」も、これもまた物議になりましたね。

だってファンキーサウンド、16ビートなんて当時のロックキッズ、ましてや大多数のフォークの子は知らないから(笑)。 

今や後追い情報でファンには釈迦に説法ですが、ジェフ・ベックがスーパーバンドに全く興味がなくなった原因は、ジョン・マクラフリン率いるマハヴィシュヌ・オーケストラへの強烈な感化。

更にはチック・コリアのリターン・トゥ・フォーエバーと、後にフュージョン命名されるインストルメンタル&超絶テクニックグループの影響ですが、当時のロックキッズはそんな事知るわけもなし(笑)。



その評価が混沌としていた日本と違い、ジェフ・ベックの「ブロウ・バイ・ブロウ」は米国ではインストアルバムにしては異例の全米4位の大ヒット!(日本では27位)。


 「ブロウ・バイ・ブロウ」の大ヒットによって、レコード会社はインストアルバムは金になると、この後フュージョンブームが起きたと言っても過言ではないでしょう(当時はクロスオーバーでしたが)。

という具合に後追いで色々な資料が出回ってから 、クラプトンの「461オーシャン・ブールヴァード」や、ベックの「ブロウ・バイ・ブロウ」を聴いた世代とは、かなりリアルタイムは感覚が違ったんです。

今にして思えばクラプトンとベックのこの方向性は正しかったわけですが、当時の日本のロックキッズがクラプトンとベックに求めていたのは打倒!レッド・ツエッペリンのスーパーバンドでしたから(笑)。

で、最後になりますが、その後のハードロック、ヘビーメタルバンドもしかりですが、レッド・ツエッペリンのようにジョン・ボーナムが他界して解散するまでメンバーチェンジがなかったバンドの方が稀。

レッド・ツエッペリンだけが、とても珍しいバンドだったと思わざるをえないですね。