1976年のケントス創業とクールスレコードデビューで大貢献した、長髪の近田春夫氏

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今も50's、古のディスコファンには人気のライブハウス、「ケントス」が六本木にできたのは1976年。

で、 元々は六本木のレストランで開かれた、オールディーズの音楽パーティーが発想の元だそう。

で、その時のパーティーバンドのメンバーが、 60年代には「若者たち」のヒット曲を放ったブロードサイドフォーの黒沢久雄氏、元ヴィレッジシンガーズ林ゆたか氏、そして近田春夫氏等。

近田春夫氏はこの後、ハルヲフォンを結成しています。

で、彼らが演奏するこの音楽パーティーで、ツイストを踊り熱狂するお客さん達をみて、オーナーは「ケントス」を作る事を決めたとか決めないとか、そんな伝説が残っております。

まぁ〜、日本公開は当時は監督のジョージ・ルーカスも出てた役者も皆無名だった為、人気が爆発したアメリカより1年以上も遅れ1974年の秋に公開された映画「アメリカン・グラフィティ」。

この映画は日本でロードショー大ヒットはしませんでしたが、1975年に日本の名画座で繰り返し上映されロングヒットした影響が、1976年のケントス創業に大きく関与してるのは間違いないでしょう。

でも、近田春夫氏初め、彼等は長髪にラッパ、ベルボトムジーパンの若者達で、けっして昨今のR&Rバンド、オールディーズバンドのような衣装でも髪型でもなかったでしょう。

そして、おそらくツイストを踊ってた方々もしかりでしょう。

 

なので「アメリカン・グラフィティ」の中で演奏していたバンド、フラッシュ・キャディラック&ザ・コンチネンタル・キッズの衣装や髪型&演奏を、ケントスは真似たと思われます。

そしてオーディエンス側の空気、時代が一変したのは、やはりケントス創業年にレコードデビューした、クールスですかねー。

勿論、それ以前からキャロルやダウンタウン・ブギウギバンドはリーゼント風の髪型してましたけど、基本的に彼等は長髪をポマードでバックに撫で付けたソレで、正調リーゼントではなかったんです。

今やリーゼントの常識のダックテイル系のリーゼントと違い、彼らには襟足のリーゼントの美学(笑)はなかったですから。

だから!クールスが櫛目ばっちりのダックテイルのリーゼント姿でキャロルの解散ライブの警護役でTV初登場した時は、その黒塗りで揃えたバイクや洒落た黒の革ジャンともども、とても斬新だったんです。



で、 このクールスの1976年のデビューアルバムのアレンジャー、編曲は全て長髪の近田春夫氏。

クールスの代表曲でもある「シンデレラ」や「言えなかったんだ」の作詞作曲も近田春夫氏で、近田氏の作曲は計3曲。

更に解散したキャロルのジョニー大倉氏作曲が4曲、矢沢永吉氏が五大洋光と名前をかえ作曲した曲が、彼等のシングルデビュー曲でもある「紫のハイウェイ」他3曲。

つのだ☆ひろ氏のスペースバンドのベーシスト、ヨモ・ヨシロー氏の作曲が1曲と、全12曲中11曲迄が、当時の所謂ニューロックの方々の手により作品。

で、唯一メンバーの作曲は、ジェームス藤木氏の「恋の炎は燃えて」1曲のみ。

唯、作詞は舘ひろし氏が8曲、村山一海氏とジェームス藤木氏が1曲ずつで、近田春夫氏の2曲の作詞以外は、メンバーが全12曲中10曲書いているのは、ちょっと面白いですね。