クィーンがベイ・シティ・ローラーズと共に、日本でアイドル人気だった1975~1976

 

 


クィーンが日本は勿論、本国イギリスでもアメリカでも一般的に注目され人気になったのは、1974年のサードアルバム「シアー・ハート・アタック」からのシングルカット「キラー・クィーン」からでしょう。

特に本国イギリスでは、批評家達には酷評されていたクィーンでしたが、「キラー・クィーン」は全英2位の大ヒット、アメリカでも12位のスマッシュヒットになった事で、流れが変わったようでした。

それでも有名な話ですが、世界で最も早く!クィーンが大人気になって、1975年の初来日時は、1960年代のザ・ビートルズか?ザ・モンキーズか?ってほどの、女の子達が大歓迎だったのは日本でした。

これは雑誌「ミュージックライフ」の功績で、クィーンの写真をカラー頁で紹介し、そしてアルバムレビューも好意的なものばかりだったので、来日前からクィーンは日本で人気者になっていましたから。

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まぁ〜、当のクィーンはびっくりしたんじゃないかしらね?羽田空港は「しこみ」もいたでしょうが、女の子達の大嬌声で迎えられ、あとは国賓並のおもてなし受けちゃってね(笑)。

クィーンはザ・ビートルズ、ザ・モンキーズばりに、いきなり初来日で日本武道館公演でしたが、少なくともアメリカでクィーンの人気がブレイクするのは、この後でしたから。

そして同じ頃「ミュージックライフ」が力を入れ宣伝してたのが、同じくイギリスのベイ・シティ・ローラーズ

クィーンとベイ・シティ・ローラーズの組み合わせというのは、リアルタイムを知らない後世のクィーンファン、ロックファンには妙な組み合わせに思われるでしょうが、当時の日本はそうだったんです。

ザ・ビートルズとザ・モンキーズとウォーカー・ブラザースが、同じような扱いだった1960年代後半とに似たような状況でした。


それでも!まだ!クィーンはそんなロックファン、ポップスファンの男でもレコードは買ってる奴はいたので、この辺は1960年代後半のザ・ビートルズに、当時のクィーンはやっぱり近かったのかもしれない。

 一方、ベイ・シティ・ローラーズのレコードを、同世代や1、2歳上下の男で買ってた奴を、少なくとも私は一人も知らない(笑)。

実際にはベイ・シティ・ローラーズの「サタデーナイト」は、1976年の全米ビルボードで1位を獲得し(彼ら唯一の全米1位曲)、同年12月の日本初来日の熱狂は理にかなったものだったのですが。

まぁ〜、 ベイ・シティ・ローラーズのタータン・チェックの衣装がね。女の子には人気でも、数少ないロックファンの男どもには(今時まだユニフォーム着てんのかよ。ダッセーな)と思われてましたからね。

とはいえ、既に日本ではクィーンと並び称されるほど人気が高く、全米No.1ヒットもあるベイ・シティ・ローラーズ初来日は、前年のクィーン初来日を凌ぐ!凄まじいものだったのは歴史の事実です。


で、クィーンが初来日後、本国のイギリスは勿論、アメリカでも大人気になって、なんだかロックの新たな巨匠になっていったのに対し、ベイ・シティ・ローラーズの日本での人気は一貫して100%アイドル。

これは結構、長く続いてました。1977年10月にはフジテレビで「独占!ベイ・シティ・ローラーズ特集」なんて番組やってましたから、その人気はレスリー・マッコーエン脱退の1978年頃まで続いてたのかな?

いや、実際には1981年に解散しても、すぐに!レスリー・マッコーエンが復帰して再結成ライブを1982年に日本で行い大盛況だったそうですから、ベイ・シティ・ローラーズの人気は長かったかもしれない。

ベイ・シティ・ローラーズは日本で人気に火がついた時から、メンバーチェンジが激しくて(初来日前直前から)、脱退したメンバーのグループまで日本では人気を得てましたから、そりゃー凄い人気でした。

だから、ベイ・シティ・ローラーズは本気で!アイドルとして大好きな!ファンが、日本は多かったのかもしれないですね。

まぁ〜あと思春期時代の洋楽のとっかかりが、売れてたし人気のあったベイ・シティ・ローラーズだったって男の子もいたでしょうし(この層が、1980〜90年代の日本の歌謡ロックブームの成功者かも?)。

逆にクィーンは初来日以降、そういうアイドル的なキャーキャー人気は日本でピタッとなくなったので、あの嬌声は一過性のもの、いや、かなり仕込みもあったのかな?なんて邪推したりしています(笑)。