西ドイツのボニーMは、東西冷戦下にソ連(ロシア)の怪僧ラスプーチンを歌っていた!

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ラスプーチンて、その昔の帝政ロシア末期の祈祷僧で、この方、1995年のオウム真理教による「地下鉄サリン事件」の首謀者の麻原彰晃にとても近い「怪しい」人。

このへん興味ある方はネットで「ラスプーチン」でぐぐって調べてみると良いと思いますが、この曲が流行ったディスコブーム頃の当時は、世界は米ソ冷戦、東西冷戦下。

アメリカを横綱にする西側の西ドイツのボニーMが、当時の東側の横綱だったソ連以前の帝政ロシアの「怪しい」怪僧ラスプーチンディスコサウンドにしてたというのは、かなり興味深い出来事なんです。

勿論、当時の日本の何にも考えてない(笑)ノー天気な若者達が、そんな事を知る術もなかったですが。

まぁ〜、第一次世界大戦敗北のリベンジにヒットラーナチスドイツを神輿に担いで立ち上がるも、結局、第二次世界大戦も負けてしまい国家が2つに分断してしまったドイツ(その後に統一)。

そんな分断された西側、当時の西ドイツのボニーMが1978年の空前の!世界的なディスコブーム期に放ったディスコヒット「怪僧ラスプーチン」は、かなり変わった曲だったと言えます。

また、この「怪僧ラスプーチン」のヒットに影響をうけ、後発の同じく西ドイツのジンギスカンがデビューしてるのは、コアなB級ディスコサウンドファンなら「釈迦に説法」ですね。 


ドイツの音楽プロデューサーのフランク・ファリアン↑は、白人ですがアメリカのR&B、ソウル、ファンク等、ブラックミュージックが大好きな方だったようで、自分でもそんな音楽を作りたくなったそう。

で、フランク・ファリアンはドイツ人ですから、北米のアフリカンアメリカンの知り合いはいなかったのか?或いはいてもギャラが高かったとか?大人の世界の諸事情は色々あったのでしょう。

西ドイツのスタジオミュージシャンたちでサウンドを作り、本人が歌唱するレコードを作り、フロント用に中南米とアフリカから「黒人たち」を集めボニーMを結成しています。

フランク・ファリアンはレコードジャケット等で登場する事はなく(多分、ステージも)、彼の声は、ボニーMのメンバー!南米アルバ出身の黒人ダンサー、ボビーファレル↓が口パクをやっていました。


まぁ〜1990年代になるとユーロビートがディスコの主流になるので、その名の通りユーロ=欧州白人がディスコサウンドを作る事に違和感を感じなくなったようです。

が、1980年代は白人は偽物で黒人が本物みたいな風潮が、少なくとも日本にはあったので、おそらく欧米にもあったのでしょう。

日本の筒美京平先生の覆面ディスコグループ、ドラゴンエクスプレスが、サウンドは筒美氏とスタジオミュージシャン達で作られていた、そもそもグループ自体は架空だったのも、そんな風潮の影響でした。

だからドラゴンエクスプレスという、謎のプロレスラーみたいな国籍不明の架空のグループとしてレコードを発売し(ジャケットもイラスト)、そしてディスコシーンで「セクシーバスストップ」はヒット。

このインストナンバーを浅野ゆう子さんが日本語で歌ったのも、外国のグループの曲を日本語カバーするのは普通に当たり前でしたから、そういう流れだと当時の殆どの人は思ったものでした。

この辺は同時期のボニーMしかりで、同じく西ドイツのジンギスカン、シルバー・コンヴェイション、フランスのバンザイも同じ方法論を使っていました。

ちなみにアメリカのヴィレッジ・ピープルも、フランス人のジャック・モラリアメリカのディスコのゲイ達を見て、ゲイのパロディバンドを作ろうと思い、そして成功したバンドです。

まぁ〜特にボニーMの場合、全員黒人のグループとして堂々とレコードジャケットにも登場していたので、白人は偽物と決めつけていた当時の日本のディスコフリークは、普通に黒人グループと思ったわけです。

が、本当は曲を制作し歌っていたのは、ドイツの白人青年フランク・ファリアンでした。