荒井由実さんの「天気雨」は、ゴッデス、サーフボード、茅ヶ崎、相模線を有名にした曲だった!

 


♪サーフボードなおしに ゴッデスまで いくと言った

1975年、TBSドラマ「家庭の秘密」の挿入歌として使われた「あの日に帰りたい」の大ヒット後、同曲収録のユーミン荒井由実さんの出された、初のベストアルバム「YUMING BRAND」。

その「YUMING BRAND」他旧作アルバムが売れまくった1976年に、新作として発表された4枚目のオリジナルアルバム「14番目の月」に収録されていた「天気雨」の、これは↑詞です。

ちなみに、1976〜1977年の『ユーミンブーム』は本当に凄かったわけで、1976年のオリコンアルバム年間チャートの3位がベストアルバム「YUMING BRAND」、5位が3枚目の「COBALT HOUR」。

そして11位が1枚目の「ひこうき雲」で、14位が2枚目の「MISSLIM」と、それまで全く売れてなかったオリジナルアルバム3枚が全て!年間トップ20入りする快挙でした。

1977年も『ユーミンブーム』は止まらず、「天気雨」挿入の「14番目の月」が年間4位で、ベストアルバム「YUMING BRAND」はこの年も22位と売れまくり!

1976年、マガジンハウスより創刊した「ポパイ」より発売された、増刊号↓「ザ・サーフボーイ」が1978年ベストセラーになり、1979年にサーフィン青春映画の傑作!「ビッグ・ウェンズデー」日本上映。

こんな感じで、日本でサーフィンブームが巻き起こったのは、この頃でした。


なので、それ以前に「天気雨」で、湘南サーファーの歌を作って唄っていたユーミン荒井由実さんのセンスは、今更ながらずば抜けてた!と思わざるをえません。

まぁ〜、とはいえ元祖!湘南サウンド、湘南ボーイは加山雄三氏=若大将。

でも、そんな加山雄三氏が「七里が浜」「湘南ひき潮」といった、ある種「ご当地ソング」的に、「湘南」をタイトルにした曲を、アルバム「加山雄三通り」に収録するのは1978年です。

それ以前、1960年代の加山雄三氏の一連のヒットソングの中に、「ご当地ソング」的に「湘南」を全面にだした楽曲というのは、見当たりません。

だから、1976年に茅ヶ崎本店、サーフショップ『ゴッデス』の名や、「茅ヶ崎、相模線」と「湘南」ご当地ソング的な言葉を詞にのせた、荒井由実さんこそが!実は、詞に関しては元祖湘南サウンドなんです。

ファンならご承知の通り、荒井由実さんは東京の八王子市出身ですが。

 

そしてサザン・オールスターズが、シングル「勝手にシンドバッド」でレコードデビューするのが「ザ・サーフボーイ」が売れまくった1978年。

桑田佳祐氏作詞の「勝手にシンドバッド」は、「茅ヶ崎」「江ノ島」「湘南」と、湘南ご当地ソング的な詞をちりばめた、これは日本初の!シングルヒット曲でした。

でもこの曲は、こちらはシングルカットされなかったアルバム収録曲、荒井由実さんの「天気雨」の2年後の事。

更にピンク・レディの「渚のシンドバッド」で、作詞の阿久悠氏が 

♪サーフィンボード小脇に抱え 

と「サーフィンボード」を歌詞に入れたのが1977年で、ゴッデスまでサーフィンボードを直しにいく「天気雨」発表の1年後です。

また、こちらもコアなファンの多い石川セリさんのサーファーを歌った「ムーンライトサーファー」は、1977年6月の3枚目のアルバム「気まぐれ」収録曲で、「天気雨」収録の「14番目の月」の7ヶ月後。

というわけで私は、「茅ヶ崎」「相模線」という言葉を使った「湘南ご当地ソング」的なそれ、サーフショップ「ゴッデス」や、

♪のってけのってけのってけサーフィン 

のステップのサーフィンではなく、「サーフィンボード」という波乗りをやる為の板、道具を詞に使った曲、元祖!サーファーソングは、荒井由実さんの「天気雨」だったと思うわけであります。

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