竹田和夫氏、森園勝敏氏、チャー氏の3人が「激突3大ギタリスト夢の競演」と謳われ、後楽園球場でライブを行った1977年の時代背景

 

同世代と少し年上と年下の方と、若い頃の音楽の想い出話しをしていても、、、

プレイヤーサイドの方や、若い頃かなりロックやギターが好きだっただろうなーと思われる方以外で、竹田和夫氏と森園勝敏氏のソレを共有するのが、かなり困難なのをK-UNITバンマスは実感してます。

ボクはよく、70年代がロックの時代だったなんて、ある種の都市伝説。70年代は普通にアイドル歌手が人気だったし、和製ふぉーくの全盛時代。

ロックサウンドやファンキーサウンドが、普通に日本の多くの若者に受け入れられるようになったのは、1980年代になってから。ロックバンドが商売になり、成功するのも1990年頃から。

1970年代当時の若者の殆どは、ロックは勿論、ファンキーサウンドなんて聴いてなかったし、知らなかった。

と、公私ともに言いますが、こちらの1977年の「激突3大ギタリスト夢の競演」も、その良い例。

 

おそらくこのお三方の中では一番有名だと思われる、チャー=竹中尚人氏ですら!この時は「気絶するほど悩ましい」のヒット前、未だアイドルスターになってません。

なので、この企画を考え実行された方(或いは会社?)、随分と勇気のあった方だったと思います。

後楽園球場って、借りるの幾らかかるんでしょうかしら?(汗)。

採算がとれたイベントだったとは、ボクは思えない、、、。

で、

1976年の「ミュージックライフ」誌の人気投票の国内部門で、竹田和夫氏のクリエイションはバンド部門で1位、森園勝敏氏の四人囃子は2位。

ギタリスト部門も、竹田和夫氏が1位で森園勝敏氏が2位。

正に国内のトップ人気のギタリストお二人が、この1977年の「激突3大ギタリスト夢の競演」の当事者だったのは、当然と言えば当然でした。

が、未だこの頃、チャー=竹中尚人氏はデビューアルバムを出したばかりで、アイドル路線にもいってないので、人気投票のトップ10にも入っていなかった(評判は高かったですが)。

なので、主催者側がそんなチャー=竹中尚人氏を3大ギタリストの一人に選んだのは、かなりの思い入れがあっての事と想像できます。

が、、、

失礼ながらこのお三方、当時それほど商業的な成功は得ておれず、又、音楽雑誌はともかくマスメディアの露出も極端に少なく(特に影響力大のテレビ)、あくまでもコアなロックファン、ギタリストの間での人気。

一般的には、ほとんど知られていなかった。

だから!そのまま皆年をくってますから、思春期の音楽の想い出話しをしても、この当時のロックキッズ、ギターキッズは、普通の当時若者だった人達とは、残念ながら話しが合わないのは、当然と言えば当然。

それほど当時の日本のロックって、商業的に成功していたのはダウン・タウン・ブギウギ・バンド矢沢永吉氏ぐらいの、かなりのスモールビジネスでした。

このへんボウイ以降、ミスチルラルク、グレイの、ロックバンドが商業的に成功してるのが当たり前の時代に思春期ど真ん中を送った世代の方々には、想像しずらい状況でしょう、、、

今でいうインディーズよりも、もっと当時の日本のロックって、アンダーグラウンドな存在でしたから。

アンダーグラウンドのようで、実は表立って大人気だった和製ふぉーくとは、本当に当時の日本のロックは対照的でした。

まあ、K-UNITバンマスも当時、別に後楽園球場にこの「激突3大ギタリスト夢の競演」を観に行ったわけではないので、お客さんの入り含めどんなライブ状況だったのか?実はさっぱりわからないです。

が、チャー=竹中尚人氏のサポートが未だヒット曲のでる前のゴダイゴだったとか、、、

森園勝敏氏のグループが、四人囃子ではなく公式デビュー前のプリズムだったとか、、、

竹田和夫氏も、前年アメリカツアー&レコーディングをフェリックス・パッパラルディと共に行い、日本武道館で凱旋帰国ライブを行った時のクリエイションではなく、もう1つの竹田和夫オールスターズだったとか、、、

後から色々情報が入ってきて、、、

結局、このお三方にとっても、このイベントは1つの分岐点だったのかなー?とか思ったりします。

当時の竹田和夫オールスターズのベースは鳴瀬喜博氏で、ドラムは、この後クリエーションのメンバーになるアイ高野氏。

オルガンが成毛滋氏で、トランペットにこの後スペクトラムを結成する新田一郎氏。

キャンディーズのサポートをやられ、この後はサザン・オールスターズのレコーディングで活躍された方ですね。

結局、クリエイションはこの年、竹田和夫氏、クリエイションの代表曲になる「スピニング・トー・ホールド」収録のアルバム「ピュア・エレクトリック・ソウルマン」を発表。

レコーディングは1976年からはじまっていたようですが、このアルバムを最後にメンバーはかなりクリエイションは代わります。

その前兆は、こちらの竹田和夫オールスターズにあったのかな?と、漠然と思います。

 


又、チャー=竹中尚人氏はアイドル人気になった後のサードアルバムでは、人気爆発していたゴダイゴと競演してるのに、何故に?未だそれほど人気のなかったゴダイゴとこの後、すぐ一緒にやらなかったのか?、、、

そのまま森園勝敏氏は四人囃子を脱退、プリズムに参加。

森園勝敏氏と和田アキラ氏のツインギターが超話題だったプリズムは、この年デビューアルバムを発表しますから、もうこのイベントの頃は、四人囃子を森園氏はやめるつもりだったのかな?、、、

とか、後になって色々思う所のある、不思議なイベントだったなーと、今更ながら思います。

まあ、チャー=竹中尚人氏はこの後、「気絶するほど悩ましい」のシングルヒットを皮切りにハーフ系のルックス重視のメンバーを集めた「テレビ用」のグループと、レコーディング用のメンバーと分けた活動を開始。

お茶の間ではアイドル人気になり、このお三方の中では今でも一番知名度が高いと思われます。

が、竹田和夫氏もこの後、かのポール・ロジャースのフリー、ロッド・スチュワートのフェイセスのメンバーとして国際的にも知名度の高かった、山内テツ氏をクリエイションのベースに入れ、オーストラリア公演を敢行。

あちらで、サンタナフリートウッド・マックと共に大声援を浴びたそうです。

が、そういうニュースは当時、今のようにSNSTwitterもない「インターネットのない時代」でしたし、マスメディアは歌謡芸能の世界しか、金にならないので報道しませんでしたから、全く日本には入ってこなかった。

ですが、「スピニング・トー・ホールド」発表の年だった事もあり、1977年も「ミュージックライフ」誌で、竹田和夫氏は国内ギタリスト部門の人気投票で2年連続で1位を獲得してるのは流石!!

no title


逆にプリズムのデビューアルバムに参加した森園勝敏氏は、何故か?1977年は4位に後退。

アイドル路線を突っ走ったチャー=竹中尚人氏が、前年の圏外から5位に急浮上。

そして1978年には堂々チャー=竹中尚人氏は、1位を獲得(竹田和夫氏が2位)。 

そんな1978年に日比谷野音でやられたギターウォーズには、その3大ギタリストと高中正義氏、永井充男氏、山岸潤史氏、そしてゴダイゴの浅野孝己氏、バウワウの山本恭司氏と斉藤光浩氏と、当時のトップギタリストが一同に介しました。

1980年代になって大ブレイクした高中正義氏は、同年のミュージックライフの人気投票では7位。

だいたい高中正義氏の70年代の人気位置は、このへんでした。

なので2017年現在、還暦より上の70年代に思春期を過ごした音楽ファンと、50歳前後で80年代初頭の高中正義氏大ブレイク期に思春期時代を過ごした音楽ファンとでは、高中正義氏に対する思い入れと評価は、かなり違うんですね。

結局、人気投票1位になったチャー=竹中尚人氏のアイドル時代は終わり、ジョニールイス&チャーを結成。

アイドル時代は、否定冷笑していたロックファン達は高くこのバンドを評価。

又、若い層のギターキッズ達の人気を獲得。

竹田和夫氏も、竹田和夫オールスターズで一緒だったアイ高野氏をクリエーションに加入させ、この後テレビドラマ主題歌に採用されたアイ高野氏歌う「ロンリーハート」を、80年代初頭に大ヒットさせます。

が、、、

1980年代になって、誰よりも!大ブレイク、大人気になったのは高中正義氏。

結局、この頃のクロスオーバー、フュージョンブームの高中正義氏は国内でダントツ人気。

今の今迄、ここまで1ギタリストが、特にコアな音楽ファンでもギターファンでもない「普通の人達」に、男女共に大ウケしたのは高中正義氏一人だけだと、ボクは思っております。

例えばボクの同世代との会話で実感するのは、さほど音楽ファンでなくても、高中正義氏を知らない人は殆どいない事(それほど詳しくなくても)。

チャー=竹中尚人氏のアイドル時代は知っていても、それ以外の活動は全く知らない事。

あとは、竹田和夫氏と森園勝敏氏の名前をだしても、当時のギターキッズやロックファン以外、知らない人が殆どだという事実現実。

竹田和夫氏は「プロレスのスピニング・トー・ホールドって曲あったじゃん?、あの曲作って演奏してた人だよ」と言うと、特に男の場合「あーあー」とわかります。

が、森園勝敏氏をそういう相手に「わからせる」のは、本当に難しいです。

四人囃子もプリズムも知らないですから。

結局、あの当時のギターキッズ、ロックファンて、今のインディーズよりも、更に小さなパイだったのではないか?とボクは今更ながら思います。

ユーミン荒井由実さんや井上陽水氏、吉田拓郎氏、矢沢永吉氏を知らない人はいないですし、ジュリー=沢田研二氏を知らない人はいないですから。