プレイヤーの「ベイビー・カム・バック」(Baby Come Back)が全米ビルボードチャートで1位になったのが1978年の1月14日でした。
この時期、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のサントラ盤が大ヒットしていて、前年の1977年12月24日と31日、そして1978年1月7日と3週連続で挿入歌ビージーズの「愛はきらめきの中に」が 1位。
「ベイビー・カム・バック」は前週の2位から「愛はきらめきの中に」の4週連続1位を阻止し(2位)1位になり、1月21日、1月28日と3週連続1位を獲得しています。
で、2月4日には3位に落ちますが、代わって1位になるのがまた!「サタデー・ナイト・フィーバー」挿入歌、ビージーズの「ステイン・アライブ」で2月一杯4週連続で1位。
3月4日にはビージーズ三兄弟の末弟、アンディ・ギブの「愛の面影」が1位になると2週1位を守り、3月18日に三度「サタデー・ナイト・フィーバー」の「恋のナイトフィーバー」が1位にカムバックしてます。
そして「恋のナイトフィーバー」は8週連続で1位をキープ後、5月13日にも「サタデー・ナイト・フィーバー」挿入歌、イヴォンヌ・エリマンの「アイ・キャント・ハブ・ユー」が1位。
なんと、1977年12月3週から1978年5月2週目まで約半年間「サタデー・ナイト・フィーバー」挿入歌とビージーズ関連以外で、ビルボード1位になったのはプレイヤーズの「ベイビー・カムバック」のみ。
それほど!当時の「サタデー・ナイト・フィーバー」、ビージーズは凄まじい人気だったのであります。
ちなみにビージーズはイギリス生まれのオーストラリアのグループで、イヴォンヌ・エリマンはハワイ生まれの日系アメリカ人で、プレイヤーズのピーター・ペケットもイギリス人。
ピーター・ペケットはイギリスからアメリカに渡り、ひと山当てたかったのでしょうが、なかなかうまいかず、アメリカはテキサス州出身のJ・C・クロウリーと知り合い、一緒に曲を書くようになったとか。
で、音楽家・プロデューサーで有名なデニス・ランバートとブライアン・ポッターに「ベイビー・カム・バック」は気にいられ、二人のプロデュースでプレイヤーというバンド形式で発表されました。
というわけで基本的にプレイヤーは、 ピーター・ペケット(シンガー)とJ・C・クロウリーの楽曲を演奏するために作られたバンドで、おそらくレコーディングもスタジオミュージシャンでしょう。