国民的アイドル人気歌手だった浅田美代子さんが、紅白歌合戦に一度も出場経験がない理由





人気絶頂期にNHKのオーディションに4度落ち、合格したら人気が下降していて、結局あれだけの!人気アイドルだったのに、「紅白歌合戦」出場経験が一度もなかった浅田美代子さん。 

まぁ〜、当時のNHKって色々ありましたね。

グループサウンズブーム全盛の1967~68年、そのトップ人気グループだったジュリー=沢田研二氏のザ・タイガース紅白歌合戦に出場させなかった。

他のグループサウンズも、それなりのヒット曲はあったのに、ジャッキー吉川ブルーコメッツ以外は、何処のグループも出場できなかったし。

後にNHKご推奨っぽい谷村新司氏も、アリス時代は谷村新司氏がサングララスかけてたからオーディションに落とされたとか、かぐや姫の「神田川」の歌詞の「クレパス」が会社名だからダメだとか、、、

本当に、当時のNHKは色々ありました。

でも、浅田美代子さんの場合、あからさまに「歌唱力」の問題で落とされてたわけですから、ヒット曲を連発していたプロの歌手としては、屈辱と言えば屈辱ですね。


ちなみに浅田美代子さんというと「赤い風船」イメージですし、実際にこの曲が最大のヒット曲でしたが(オリコン1位)、オリコン10位以内には通算3曲も入ってます。

 

・「赤い風船」=オリコン最高位1位

・「ひとりっ子甘えっ子」=オリコン最高位10位

・「わたしの宵待草」=オリコン最高位11位

・「恋は真珠いろ」=オリコン最高位16位

・「しあわせの一番星」=オリコン最高位7位

・「虹の架け橋」=オリコン最高位12位

・「じゃあまたね」=オリコン最高位17位

ですから、少なくとも1973~74年の2回は紅白歌合戦出場していても、おかしくない商業実績を浅田美代子さんはあげてました。

 

でも、紅白歌合戦には出場できなかった。なんたってNHKのオーディションに4度落ちてますから。

で、最後になりますが、今にして思えば清純派として抜群の人気を誇っていた浅田美代子さんが、妻ある吉田拓郎氏と噂になった頃は未だ二十歳前。

前妻との離婚が成立、浅田美代子さんが吉田拓郎氏と結婚したのが21才でした。

そしてその6年後に離婚ですから、浅田美代子さんは、今の感覚でいうと随分と慌ただしい10代20代でしたねー。