沢田研二氏の「許されない愛」は、当時流行りのプログレ、ブラスロックサウンドだった!


 

 

1972年3月発売、沢田研二氏のソロシングル第二弾「許されない愛」。

1960年代後半、ザ・タイガースで一世を風靡したジュリー=沢田研二氏でしたが、新しく参加したグループPYGは、残念ながらオリコントップ10に入るようなヒット曲は出せませんでした。

まぁ〜後に沢田研二氏はソロ歌手になるのは嫌で、ずーっとバンドの中のシンガーでいたかったと回想してますが、そこは『天下のジュリー』、渡辺プロダクションにとってはまだまだ!金の卵。

1971年11月、PYG3枚目のシングルとなった「もどらない日々」は、沢田研二氏抜きの『萩原健一PYG』名義で発売され、同じ日に沢田研二氏のソロシングル第一弾「君をのせて」が発表されています。

が、このグループサウンズブームからフォークブームに流れていた時代を意識したであろう「君をのせて」は、事務所の思惑通りに行かず、やはりオリコントップ10に入るヒットには至りませんでした。

作詞は加山雄三氏でお馴染みの岩谷時子さん、作曲は巨匠!宮川泰氏。編曲は当時はしだのりひこ氏のシューベルツの「風」、クライマックスの「花嫁」を大ヒットさせた青木望氏。でも大ヒットせず。



まぁ〜PYGもしかりですが、「君をのせて」はオリコン最高位23位ですから、普通の歌手ならヒットと言えますが、そこは『天下の!ジュリー』のうえ、この顔ぶれですから、事務所はがっかりしたでしょう。

で、翌12月にはザ・タイガース時代に既にソロアルバムを出してますが、セカンドアルバム「JULIE II」が発表されているので、事務所としてはソロヒットに合わせたアルバム発表だったと思われます。

が、全曲『作詞:安井かずみ/作曲:村井邦彦』による1枚目の「JULIE」はオリコン2位でしたが、PYGのメンバー含め、グループサウンズ仲間の作曲が多く収録された「JULIE II」は、オリコン最高位13位。

これも『天下の!ジュリー』でなければ、オリコン13位は万々歳ですが、『天下の!ジュリー』はそうはいかないうえ、ザ・タイガース時代からのアンチ(特に男)は、これを落ち目と大喜びしたわけです。

というわけで、1971年1月のザ・タイガース解散後の沢田研二氏は、PYG・ソロと、けっして順風満帆ではなかった1年間でした。



で、シングル第二弾は、その「JULIE II」に収録されていた、元ワイルドワンズ加瀬邦彦氏作曲による「許されない愛」。

順風満帆ではなかったとはいえ、そこは『天下の!ジュリー』ですから、このアルバムはロンドンレコーディングで、現地のオリンピック・サウンド・スタジオ・オーケストラが全面参加の凄いアルバムです。

まぁ〜当時の洋楽はプログレッシブロック、ジャズとロックの融合=ブラスロックが流行っていたので、その影響を編曲のジャズピアニスト、東海林修氏が受けていたのでしょうね〜。

キーボードはプログレッシブロック風、壮大な管楽器隊はブラスロック風と言えるサウンドは、今聴いても凄い代物で、「君をのせて」と違い派手なアクション付きで歌う沢田研二氏も非常にカッコ良かった。

で、シングル第二弾を既に発売されていたアルバムから、3ヶ月弱もしてシングルカットしたのは、「君をのせて」が思うように売れなかったので、予算の関係だったのでしょうかしら?

それとも、アルバムの中で「許されない愛」が評判が良かったのでシングルカットしたのか?関係各位に是非聞いてみたいものですが、「許されない愛」は見事に!オリコン最高位4位の大ヒット。



沢田研二氏にとって、1969年ザ・タイガースの「スマイル・フォー・ミー」(3位)以来のオリコントップ10入りで、この後は誰もが知る通り1970年代は、沢田研二氏はヒット曲を連発しています。

一方、PYG萩原健一氏が出演、1972年7月より放映開始されたテレビドラマ「太陽にほえろ!」のメインテーマは、沢田研二氏、萩原健一氏のいないPYG=井上堯之バンドが手掛け、これも大人気。

まぁ〜今となっては「太陽にほえろ!」は、刑事ドラマで初めてロックサウンドが起用された記念すべき1曲なわけですが、当時、日本テレビに深い考えはなかったでしょうね〜(笑)。

太陽にほえろ!」は、それまでの放送枠のプロレス中継が、日本プロレスの『アントニオ猪木追放劇』に始まったお家騒動で放送打ち切りになったため、急遽!放映が決まった番組。

主演の石原裕次郎氏もテレビ初主演。当時の『銀幕のスター』『巨匠』は、共演の萩原健一氏にも主題曲にも興味もなく、その辺に口を出すこともなかったでしょう。

だから!日本テレビは、主題曲に「PYGを使ってくれ」と萩原健一氏に要請されたと思いますが、それにジャズ系ミュージシャンとの関わりが深かった石原裕次郎氏は、ノータッチだったのだと思ってます。

まぁ〜石原裕次郎氏は「太陽にほえろ!」のヒットによって、映画からテレビに自身の石原プロをシフトさせ「大都会」「西部警察」をヒットさせますが、当時はテレビをなめてましたから。

で、結局、PYGは歌手の沢田研二氏のバックバンドもやるようになり、俳優の萩原健一氏の主演ドラマのテーマ曲を、これから手がけるようになっていきます(名義は井上堯之バンド)。

そして「許されない愛」は『天下のジュリー!』にして初めての紅白歌合戦出場で歌われ、グループサウンズブルーコメッツ以外、紅白歌合戦からははじかれていたので、ファンは溜飲を下げたものでした。



紅白歌合戦でも沢田研二氏のバックはPYG=この時は『ザ・いのうえバンド』でしたが、沢田研二氏と同じ元・ザ・タイガース岸部一徳氏も、元ザ・スパイダース井上堯之氏も大野克夫氏も紅白は初出場。

まぁ〜フルオーケストラの小野満とスイング・ビーバーズの紅白歌合戦しかりですが、当時のテレビ番組はフルオーケストラの『職場』でしたから、そこに井上堯之バンドが共演という形でした。

だから、なんだか井上堯之バンドはロックバンドっぽくなかったわけですが、これはこの後、1970年代後半のツイストやサザンオールスターズまで、延々と続いてました。

何故ならテレビの音楽番組は、フルオーケストラの『職場』ですから、バンドだけで出演されたらその仕事を奪ってしまうことになるので、フルオーケストラとバンドの共演というのは当時は当たり前。

まぁ〜今にして思うと、ザ・ビートルズのフルオーケストラとの共演アルバム「サージェント・ペパーズ〜」を、毎日テレビの歌番組はやってたようなものでした(笑)。