矢沢永吉氏の「時間よ止まれ」の、Wikipediaの???





その世界に無知だと重宝するWikipediaですが、ちょっとその世界に詳しいと(えっ?!そーか〜?)(それは違うんじゃないか?)と思う情報がちらほらあるWikipedia(笑)。

まぁ〜この辺は新聞も似たようなものなので、そういうものと思って接するのが一番ですが、シングル盤では矢沢永吉氏が唯一!歌謡ヒットさせた『時間よ止まれ』のWikipediaも、それを感じさせられました。

この『時間よ止まれ』は、資生堂のキャンペーンソングなわけで、Wikipediaによると白羽の矢がたった矢沢永吉氏の推薦で、作詞は山川啓介氏に依頼されたと記されています。

が、すぐその後、矢沢永吉氏は「人の詞は歌いたくない」と断りが入るがと矛盾することが記されていて、(なんじゃ?こりゃ)と普通に文脈の読める最低限の頭のある人なら思うでしょう(笑)。

ちなみに1978年3月発売のシングル「時間よ止まれ」以前、矢沢永吉氏が作詞した曲はソロになってから0。



矢沢永吉氏は、キャロル時代に作詞担当のジョニー大倉氏が失踪時、『涙のテディボーイ』『夏の終わり』で初めて作詞していますが、「プロデューサー矢沢」は「作詞家・矢沢永吉」を評価してません。

だから、ソロになってからここまで、矢沢永吉氏は1曲も作詞していないので、「人の詞は歌いたくない」など言うわけがないわけで、まぁ〜この辺が何の責任もないWikipediaらしい(笑)。

で、初めて矢沢永吉氏作曲の楽曲に山川啓介氏が詞をつけるのは、1976年6月発売のセカンドアルバム『A Day』の中の『親友』。

更に、1977年のサードサードアルバム『ドアを開けろ』でも、『苦い涙』『チャイナタウン』で山川啓介氏に作詞を依頼しており、『時間よ止まれ』以前から、山川啓介氏は矢沢永吉氏と仕事をしています。

そしてシングル『時間よ止まれ』収録の、スタジオアルバム4枚目の『ゴールドラッシュ』では、他にもタイトル曲の『ゴールドラッシュ』、『鎖を引きちぎれ』『長い旅』の作詞を山川啓介氏がやってます。



なので!矢沢永吉氏が「人の詞は歌いたくない」など言うわけがないし、矢沢永吉氏はキャロル時代含め、ソロになってからも「普通に当たり前に、人の詞を歌って」商売をしています(笑)。

結果、アルバムもオリコン1位を獲得しますが、シングルもオリコン1位に輝いた『時間よ止まれ』のB面も、既にアルバム『ゴールドラッシュ』収録の、山川啓介氏作詞の『チャイナタウン』。

『作詞:山川啓介/作曲:矢沢永吉』は、名コンビでした(笑)。

ちなみに、矢沢永吉氏のCMタイアップは『時間よ止まれ』が最初ではないので、「マスコミ嫌いの矢沢」が渋々引き受けた的な伝説は面白いですが、いい年してまだそれを信じてる爺はおめでたい(笑)。

まぁ〜、矢沢永吉氏に白羽の矢を立てたCM音楽プロデューサーの大森昭男氏は、前年の同じく資生堂で、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「サクセス」をヒットさせてました。

なので、いきなり女性化粧品メーカーのCMに「男くさい」矢沢永吉氏が起用されたわけではなく、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド=宇崎竜童氏が当たったので、その二匹目のドジョウだったわけです。



『時間よ止まれ』はCMタイアップ、しかもダウン・タウン・ブギウギ・バンド=宇崎竜童氏の二匹目のドジョウですから、ファンのパブリックイメージの「矢沢」でしたら「ふぜけるな!」なのでしょう。

でも、この仕事を「プロデューサー矢沢」は(イケる!)と思った。矢沢永吉氏のこの辺の勘というか鼻というのは、やはり成功者独特のものがあり、予想通り商業的に大成功したわけです。

矢沢永吉氏は既に、シングルヒットなしでも日本武道館で公演をはじめてましたし、シングルヒットはなくてもアルバムは「日本のロックの人」にしては、稀に見る売り上げを上げておりました。

なので!別に『時間よ止まれ』のヒットがなくても、この仕事を引き受けなくても、もう矢沢永吉氏は当時の日本のロックシーンでは、異例の商業的成功を収めた男だったので、断る事はできた筈です。

でも「敏腕!プロデューサー矢沢」は、この資生堂のCM曲の依頼を受ければ「矢沢永吉というブランドは、更にステップアップできる」と直感したのでしょう。

結果、この『時間よ止まれ』のシングルヒットにより、それまでライブに足を運ぶ層、アルバムを買う層とは違う、普通の大多数の歌謡芸能好きファン達が新たに矢沢永吉氏につき、更なる大成功をします。

それまで、レコードは買わなくてもライブに足を運ばなくても、「矢沢永吉?あ〜あのキャロルの?」ぐらいの認識しかなかった、その後は自称「昔からの、キャロル時代から永ちゃんファン」が激増!

遂には!後楽園スタジアムで矢沢永吉氏はライブを行い、このライブアルバムも売れまくり、そして有名な著書『成りあがり』も売れ、遂に矢沢永吉氏は非行少年、若い労働者達のカリスマになるわけです。




が、しかし、、、

かなり後に、有吉弘行氏が「ブレイクするっていうのはバカに見るかること」という名言を残しますが、矢沢永吉氏は商業的大成功と引き換えに、諸々のこのバカに見つかった事に悩まされます。

繰り返しますが、矢沢永吉氏は『時間よ止まれ』のシングルヒットがなくても、著書『成りあがり』の大ヒットがなくても、既に日本武道館でライブを行えるほどの人気はあったわけです。

当時存在した長者番付で、矢沢永吉氏はシングルヒットなしの1976年に、アルバム収益とライブ興行で既に歌手部門で9位を記録し、1977年には2位と商業的に大成功は収めていました。

結果、「時間よ止まれ」のシングルヒットにより、矢沢永吉氏は翌1978年の長者番付で1位を獲得しますが、ここで生まれた「成りあがり伝説」で、矢沢永吉氏が負った代償は大きかったですね〜。

まぁ〜この辺は、せっかく建てた豪邸を手放す羽目になったり、ライブの暴徒化等、ファンの方には釈迦に説法なのでここまでにしますが、『時間よ止まれ』を聴くと、今も色々と当時の事を思い出します。