日本でヒット曲を連発したショッキング・ブルー、マリスカ・ヴェレスの美しさ♪



 

リアルタイム1970年、日本では「ヴィーナス」に続く大ヒットになった、ショッキング・ブルーの「Never Marry a Railroad Man」=邦題「悲しき鉄道員」。

日本では「ヴィーナス」と同じぐらい大ヒットしましたが、アメリカでは「ヴィーナス」の1位と違い、100位にも入らなかった曲(オランダでは1位)。

で、リアルタイムを知ってる方なら聴いてわかる通り、オリジナルは日本発売音源より少しスローで、キーも1音低い。

これは日本のレコード会社が、勝手に回転数をアップして再編集して発売したからで、当時はこういうのって、問題にならなかったんですかねー?(笑)。

ショッキング・ブルー側から、賠償金とか請求されなかったのかしら?

まぁ〜、バカ売れしたから良かったのかなー?

で、当時はこんなPVなんて日本で観れなかったので、YouTubeの時代になり、こっちもおっさんになってから改めて観たわけですが、本当に!シンガーのマリスカ・ヴェレス、美しい♪

当時、洋楽に興味のない奴でも知っていたのは「ナオミの夢」「男の世界」、そしてショッキング・ブルーだ!



Blossom Lady」=邦題「悲しき恋心」。

1970年代半ば頃、新宿の踊り場「PGA=ポップ」と「トレビ」では、ソウルシーシーナンバーで使われてたので、ソウルシーシー踊れる人いたら、踊ってみてください(笑)。

で、、、

当時はミニスカート・ホットパンツ全盛時代でしたが、あんまり足を見せないマリスカ・ヴェレスの太腿が少し目えます。

晩年、外人女性にありがちな容姿になってしまう、ファンとしては厳しい映像がYouTubeで観れますが、若い頃から、わりとマリスカ・ヴェレス、顔は痩せてますが、体は太めだったのが、太腿で垣間みれます、、、。

とはいえ、PVを撮ってる側、編集してる側も、ショッキング・ブルーの売りは!マリスカ・ヴェレスの声と顔と、なんともいえない妖艶な雰囲気なの、わかってますね(笑)。

当時22~23歳のマリスカ・ヴェレス、本当に美人で素敵ですねー♪

女性にしては短い生涯だった、マリスカ・ヴェレス

そして、オランダのグループがアメリカチャートで1位を獲得した、歴史的な曲が、こちら「ヴィーナス」。

勝因は、シンガーのマリスカ・ヴェレスの顔と声でしょう! 

正に!「ヴィーナス」ってイメージでしたからねー。

ちなみに、ショッキング・ブルーはシンプルなバンドアンサンブルですが、ギターサウンドがカッコいいバンドで、こちらの「ヴィーナス」も「悲しき鉄道員」も、ギターがとても魅力的!

ギターバンドのバンドアンサンブルの、お手本のような素敵なバンドです。

最後になりますが、マリスカ・ヴェレスは生涯独身だったそうで、2006年に59歳でガンでお亡くなりになってます。

リスカ・ヴェレスの生まれは、第二次世界大戦終結後2年の1947年。

エキゾチックな顔立ちのマリスカ・ヴェレスはハンガリーとドイツのハーフですが、生まれた頃のハンガリーは、ソ連ナチスドイツが排除された時期。

で、それ以前のオランダはナチスドイツの占領下。

想像しただけで、幼少時代のマリスカ・ヴェレスの苦境が目に浮かびます。