松井秀喜氏・イチロー氏・稲葉篤紀氏の高校時代



1991年、その崩壊後にそう命名された『バブル』絶頂期の1990年、夏の全国高校野球選手権には後に日本は勿論、MLBでも大活躍するイチロー氏と松井秀喜氏が共に出場していました。

が、イチロー氏、=当時は鈴木一朗氏の愛工大名電は優勝した奈良の天理に1対6、松井秀喜氏の星稜は東京の日大鶴ヶ丘に3対7と共に初戦敗退。なので殆ど話題にならなかったように記憶しています。

で、その鈴木一朗氏の愛工大名電に愛知県大会決勝で敗れた中京に、2021年の東京オリンピックで日本代表監督をつとめた稲葉篤紀氏がおりました。

まぁ〜当時3年最後の夏の甲子園を逃した稲葉篤紀氏、2年生の鈴木一朗氏、そして星稜の1年生の松井秀喜氏のお三方が、後にオリンピック、WBCMLBで活躍するなんて誰も思ってなかったでしょう。

結果、稲葉篤紀氏は名門!中京なれど、在学中に甲子園出場はなく、全国的には無名だったこともあり、同年のドラフトで指名される事もなく法政大に進んでいます。



一方、鈴木一朗氏は3年春の選抜甲子園大会にも出場。この時はピッチャーも任されますが、再び長野の松商学園に初戦で敗れ、夏は愛知県大会決勝で東邦に敗れたので、甲子園出場は夏春計1回ずつ。

でもチームは初戦敗退なので、鈴木一朗氏はけっして甲子園の有名スター選手ではなかったですが、非凡な才能を見出されていたのでしょう。ドラフト4位でオリックスブルーウェーブから指名を受け入団。

そして1年夏から甲子園に出場した松井秀喜氏でしたが、秋季北信越大会準決勝で、鈴木一朗氏の愛工大名電が夏に甲子園で負けた松商学園に敗れたため、2年春の選抜大会には選ばれませんでした。

なので、結果的に1学年違いの鈴木一朗氏と松井秀喜氏が、揃って甲子園の土を踏んだのは1991年の夏の大会だけでした。



松井秀喜氏の2年夏の星稜は、石川県大会を制し夏は連続出場。松井秀喜氏は2回戦で甲子園初ホームランを放ち、チームも準々決勝で松商学園に勝利し秋のリベンジを果たし、見事に全国ベスト4!

星稜は準決勝で優勝した大阪桐蔭に敗れましたが、この大会で『星稜に松井あり』の印象を全国の野球ファンに印象づけましたね〜。

3年春の選抜も星稜は出場し、3度目の出場となった松井秀喜氏は1回戦で岩手の宮古相手に2本塁打を放ち、2回戦の東京の堀越戦でも本塁打を放ち、いよいよ超高校級選手と注目されるようになりました。

チームは準々決勝で天理に敗れベスト8止まりでしたが、3年夏も石川県大会を制した星稜は、松井秀喜氏の存在感抜群で当然のように優勝候補!

一回戦の新潟の初出場高、長岡向陵相手に11対0の星稜は圧勝し、迎えた2回戦があの!伝説の松井秀喜氏『5打席連続敬遠』の、高知の明徳義塾戦でした。

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結局、試合は3対2で明徳義塾が勝利し、松井秀喜氏の4回に渡る甲子園での高校野球はこれで終わるわけですが、この『5打席連続敬遠』効果で、松井秀喜氏は、この年のドラフトの目玉選手になっています。

そんな松井秀喜氏は4球団から1位指名を受け、抽選で読売ジャイアンツが交渉権を引き当て、昨年の鈴木一朗氏に続いて高卒でプロ入り。

この年の1992年、プロ一年目の鈴木一朗氏は40試合ながら一軍に登場。松井秀喜氏プロ1年目の翌1993年も43試合に出場していますが、当時は人気のなかったパリーグという事もあり注目度は低かったです。

一方、読売ジャイアンツのドラフト1位の松井秀喜氏は1年目から全マスコミ注目の中、1993年は1軍で57試合出場しますが、まだお二人は『何者でもなかった』と言えます。

ところが1994年、突如!プロ野球ファンの度肝を抜いのが、プロ入り3年目の鈴木一朗氏=イチロー氏で、なんと張本勲氏の.3834のパリーグ記録を塗り替える.385の好打率で首位打者を獲得!




これにて、日本中の野球ファンが「えっ?えっ?イチローって誰?何者?」となり、以降、2000年を最後にMLBに行くまで、イチロー氏は7年連続首位打者という不滅の大記録を日本球界で残しました。

一方、松井秀喜氏も2年目の1994年は130試合出場。以後2003年にMLBに行くまで本塁打王3回、打点王3回、首位打者1回の大活躍でした。

遅ればせながらお二人より年上の法政大の稲葉篤紀氏は1994年のドラフトで、ヤクルトスワローズに3位指名され入団。

余談ですが、稲葉篤紀氏の法政大時代の通算成績は打率.280、本塁打6、打点50。1987年の同じくヤクルトのドラフト1位だった長嶋一茂氏は、立教での通算成績は打率.225、11本塁打、54打点。

稲葉篤紀氏は本塁打、打点は長嶋一茂氏を下回っていますから、ドラフト3位は妥当だったかなと思いますが、プロに入ってから!稲葉篤紀氏が大化けしたのは、誰もがご承知の通りです。

このお三方でドラフト1位指名は松井秀喜氏だけでしたが、年長の稲葉篤紀氏はヤクルト→日本ハムファイターズで活躍、通算2167安打、261本塁打、1050打点。

そして、イチロー氏が日米通算4367安打、235本塁打、1359打点。松井秀喜氏は日米通算2643安打、507本塁打、1649打点。