星野仙一氏現役唯一のシリーズ登板だった、1974年の日本シリーズ



Yahooショッピングで検索



1974年は読売ジャイアンツがV10を逸し、国民的スターの長嶋茂雄氏の例の「我が巨人軍は永久に不滅です」でお馴染み、球場もお茶の間の野球ファンも涙涙の引退試合の年でした。

更には!王貞治氏が2年連続三冠王を獲得し、セリーグの最高殊勲選手にも輝いたので、中日ドラゴンズロッテオリオンズ日本シリーズは、なんとなーく注目度の低かった記憶があります。

まぁ〜前年1973年、残り2試合で連敗して優勝を逸した阪神タイガースセリーグを制していたら、人気の若き江夏豊氏、田淵幸一氏がいたので、少なくとも関西では大盛り上がりだったでしょう。

が、シーズン前は優勝候補、「読売ジャイアンツのV10を阻止するのは阪神タイガース」と思われていた阪神タイガースは、Bクラスの4位に沈んでしまい、優勝は伏兵の中日ドラゴンズ

一方、パリーグは『強い』ロッテオリオンズが4年ぶりに優勝を果たし、監督2年目の金田正一氏のパフォーマンス含め、少なくとも東京ではロッテオリオンズの方が、注目度は高かった記憶があります。



4年前の優勝時のロッテオリオンズの投手陣は成田文雄氏、木樽正明氏、小山正明氏の三本柱で名を馳せましたが、4年後の1974年は日拓フライヤーズから移籍の金田留広氏が16勝の最多勝

村田兆治氏が12勝1Sと二人が新たに大活躍し、4年前の主戦投手の木樽正明氏も13勝2S、成田文男氏も9勝3Sと快調な1年で、チーム防御率南海ホークスに次いでリーグ2位でした。

打線も4年前の強打線からアート・ロペスがヤクルトアトムズ江藤慎一氏が大洋ホエールズ榎本喜八氏が西鉄ライオンズに1972年に移籍するも、ジョージ・アルトマン有藤通世氏、山崎裕之氏は健在。

新戦力のジム・ラフィーバー弘田澄男氏も強力で、チーム打率はリーグ1位と、下馬評ではロッテオリオンズ有利の日本シリーズでした。


ロッテオリオンズ 日本シリーズ第一戦 開幕スタメン

1.(中)弘田
2.(遊)醍醐→千田
3.(左)得津
4.(二)山崎
5.(一)ラフィーバー
6,(右)吉岡
7,(三)有藤
8.(捕)村上
9.(投)金田


注)2番、醍醐氏は所謂『偵察メンバー』で出場なし。

方や中日ドラゴンズも、チーム打率はリーグ2位(1位の大洋ホエールズと1厘差)。チーム本塁打数も読売ジャイアンツに次いで2位。

二桁本塁打を放っている選手は、ジーン・マーチンが35本、谷沢健一氏が22本、井上弘昭氏と木俣達彦氏が共に18本、高木守道氏が15本、島谷金二氏と大島康徳氏が共に11本と7人の強打線でした。

が、チーム防御率がリーグ5位と、投手陣に不安を抱えていたのが『ロッテ有利』の下馬評の原因だったと言えるでしょう。

そんな投手力に難のあった中日ドラゴンズのエースは、20勝をあげ最多勝の松本幸行氏(広島カープの金城基泰氏と同数)と、何かと有名な星野仙一氏は15勝10S。

このお二人に11勝の三沢淳氏の3人が頼みだったと思えますが、シリーズに入ると与那嶺要監督はシーズン4勝2Sの高卒2年目の若き速球王!鈴木孝政氏を第二戦、第五戦になんと!先発させています。



中日ドラゴンズ 日本シリーズ第一戦 開幕スタメン

1.(二)高木守
2.(三)島谷
3.(左)井上
4.(右)マーチン
5.(一)谷沢
6,(中)大島
7,(捕)木俣
8.(遊)広瀬
9.(投)松本幸


鈴木孝政氏は第二戦先発を3回1失点(自責点0)で降板しますが、試合は5番手の星野仙一氏が5人の打者に1アウトしかとれず、有藤通世氏の同点本塁打含む3安打1死球4失点の大乱調で、中日は逆転負け。

第三戦、連投の鈴木孝政氏は8回途中からリリーフで登板。無失点でセーブをあげています。

第五戦の先発は7回2失点の好投なれど、味方打線がロッテオリオンズの先発、木樽正明氏に2安打に抑えられ完封シャットアウト(今シリーズ唯一の完封)。負け投手になっています。

とはいえ若き鈴木孝政氏、3試合に登板し11回3/1投げ自責点3。与那嶺監督の抜擢、期待に十分応え、翌年から抑えのエースとしてチームを支えるようになっています。



まぁ〜このシリーズは、星野仙一氏が3試合に登板して1勝2敗でしたが、この1勝の第一戦も抑えに登板するも9回表に同点打を打たれ、その裏にチームが逆転サヨナラ勝ちでのラッキなー1勝。

なので、最終戦の延長はエラーでランナーを出してのサヨナラ負けとは言え、投手陣に不安を抱えてのシリーズなので、頼みの抑えの切り札!星野仙一氏の乱調が、中日ドラゴンズの敗因と言えるでしょう。

ちなみに星野仙一氏は現役時代、リーグ優勝したのはこの1974年と引退した1982年の2度でしたが、日本シリーズに登板したのはこの年だけで、引退を決めていた1982年は登板はありませんでした。

結果、優勝したロッテオリオンズは『成重・金田・木樽・村田』が各々1勝。1勝1敗1Sの村田兆治氏が最優秀投手賞を授与。最高殊勲選手は弘田澄男氏。中日ドラゴンズからの敢闘賞は高木守道氏。

金田正一監督は、監督就任2年目にしてリーグ優勝・日本シリーズ勝利。見事に日本一になっています(最初で最後でしたが)。

20191007s00001173040000p_view