1968年夏、第50回全国高校野球記念大会に初出場した青森県代表の三沢、2年生エースだった太田幸司氏の初陣は熊本代表の鎮西でした。
まぁ〜太田幸司氏が近年、YouTubeで回想している通り、この試合は大会2日目8月10日の第四試合と、灼熱の真昼間ではなく、涼しくなってきた夕方の時間帯。
当時は夏でもクーラーが必要なかったそうな(時代的に県全体でなかったのでしょう)青森県から、初めて!関西にやってきた太田幸司氏は、その蒸し暑さに参ったそう。
なので、初戦が夕方で涼しくなっての試合開始は絶妙にラッキーだったようで、2年生の太田幸司投手はいきなり!快投を演じています。
試合は7対0で三沢の圧勝。太田幸司氏はなんと1安打7奪三振4四死球の完封シャットアウト!
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
鎮西 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
三沢 0 0 1 0 3 2 1 0 x 7
この1安打も内野安打で、これも近年のYouTubeで太田幸司氏は、あれはイレギュラーのトンネルだったからエラーと苦笑いしてますが、その辺は記録員の判断だからしょうがないですね。
でも、もしヒットではなくエラーならノーヒットノーラン成立ですから、そりゃー大ニュースですから大変だったでしょう。
でも、ノーヒットノーランじゃなかったから当時、三沢も太田幸司氏も無名だった事もあり、三沢対鎮西の試合が印象に残ってる人は、青森県人と熊本県人以外まずいないでしょう。
この年の東日本は、選抜優勝の埼玉県の大宮工、当時は神奈川県最強だった武相の島野修投手(同年、読売ジャイアンツ ドラフト1位)の関東の高校が注目で、北海道・東北代表の注目はイマイチでした。
ところが始まってみると、18年ぶり8回目の出場の岩手県立盛岡一が、初戦になった2回戦の徳島の鴨島商、3回戦の大分の津久見に連勝し準々決勝進出!
更に三沢と同じ初出場の秋田市立(現:秋田中央)も、初戦になった2回戦の兵庫の市立神港(後の阪急ブレーブスの山口高志氏がエース)、3回戦も奈良の智弁学園に連勝。こちらも準々決勝進出しました。
というわけで、注目度の低かった東北代表がベスト8に2校も勝ち残り、更に更に!沖縄返還前の沖縄の興南もベスト4まで初めて進出したので、なんとなーく三沢も太田幸司氏も影は薄かったです。
だから!もし!三沢、2年生の太田幸司氏の初戦がノーヒットノーランだったら超話題だったでしょうから、1年早くあの!「コーちゃん」ブームが、甲子園で巻き起こっていたでしょうね〜。