⭕️1975年洋画配給収入トップ10
1 タワーリング・インフェルノ
2 大地震
3 エマニエル夫人
4 007/黄金銃を持つ男
5 ゴッドファーザー PART II
6 ドラゴンへの道
7 エアポート'75
8 個人生活
9 アラン・ドロンのゾロ
10 バニシングin60″
1975年の洋画配給収入トップ10を眺めると、当時の時代背景がよーくわかって面白い。
1位が「タワーリング・インフェルノ」、2位が「大地震」と、パニック映画がワンツーフィニッシュ!
7位に同じくパニック映画「エアポート75」が入ってますし、前年の北米興業収益トップ10を見ても、この3作入ってるので、このへんは当時の日本人もアメリカ人も、好みの差はそれほど変わってない。
でも、当時の日本独自の現象がありました。それは、アメリカでは人気のなかったフランスのアラン・ドロンの映画で、「個人生活」と「アラン・ドロンのゾロ」の2本がトップ10に入っている事。
当時のアラン・ドロンは、日本で抜群に人気がありました。
また同じく、フランスのソフトポルノ「エマニエル夫人」が、ハリウッドの大作パニック映画のワンツーフィニッシュに続いて、堂々!第3位。
当時の日本人が、必ずしもアメリカ一辺倒ではなく、アラン・ドロンと「おふらんす好き」だったのがよくわかります。
で、これ1960年代後半のアラン・ドロンの「サムライ」や「さらば友よ」 「太陽が知っている」、1970年のアメリカのチャールズ・ブロンソンが欧州に出向いた「雨の訪問者」「夜の訪問者」、、、
そして、1972年のアメリカのマフィアを描いた「バラキ」しかりで、みんなフランス・イタリア合作映画なんです。
で、「アラン・ドロンのゾロ」も、フランス・イタリア合作映画。
日独伊三国同盟イメージがあるから、なんか連合国側だったフランスと、日独伊だったイタリアって仲悪いように感じますが、こと映画に関しては、そんなこたーないようです(笑) 。
かの!クリント・イーストウッドも、TVシリーズ「ローハイド」で人気者になったとはいえ、ハリウッドではまだ代表作のなかった1960年代に、イタリアに渡り「荒野の用心棒」を撮り大人気になってます。
ハリウッドでは脇役としては有名なれど、ピンで代表作と言える作品のなかったチャールズ・ブロンソンも、欧州でアラン・ドロンとの「さらば友よ」を撮って、人気がブレイク。
その後、チャールズ・ブロンソンはイタリア映画「狼の挽歌」で主演を張って、特に欧州と日本では絶大な人気を得る事になりました。
まぁ〜当時の欧州人が思い浮かべる「アメリカ人」の男って、イメージが当時のクリント・イーストウッド、チャールズ・ブロンソンだったんでしょうねー。
最後になりますが、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの共演は「さらば友よ」「レッドサン」でありますが、クリント・イーストウッドとアラン・ドロンの共演、ブロンソンの共演てなかったです。
私的には、一度は観てみたかったですねー。