原辰徳氏と愛甲猛氏は、1980年のドラフト同期入団

1980年のドラフト会議の目玉は、東海大相模東海大の7年間、江川卓氏に継いで日本中の野球ファンから注目され続けた原辰徳氏。

原辰徳氏は高校時代、春夏甲子園での日本一はありませんでしたし(2年春の選抜準優勝が最高)、東海大でも首都大学野球リーグでは春秋通算7回の優勝でしたが、日本一はありませんでした。

1年時の1977年、全日本大学野球選手権大会では、石毛宏典氏のいた駒大に延長10回の末に敗れ準優勝。同年の明治神宮野球大会も決勝で江川卓氏擁する法大に敗退し、こちらも準優勝に終わっています。

2年時の全日本大学野球選手権大会では、準々決勝で優勝した明大に敗退。3年時も準決勝で準優勝の早大に敗退。4年時も準々決勝で優勝した明大に敗れ、東京六大学リーグ優勝校の壁は厚かったです。

また、明治神宮野球大会でも、2年時は準決勝で準優勝した東洋大に敗退。3年時も準決勝で中部地区代表の準優勝した名城大に敗退。4年時はリーグ優勝を逃し大会出場はありませんでした。

当時の東京六大学、東都には、上記の石毛宏典氏、江川卓氏の他に、2学年上に東洋大松沼雅之氏、明大に鹿取義隆氏、1学年上に早大岡田彰布氏おりましたからね〜。


と、高校大学と日本一経験のない原辰徳氏でしたが、1977年、1979年、1980年の日米大学野球選手権大会日本代表に選出されており、首都大学リーグでの個人成績も抜群!

リーグ通算、打率.398、21本塁打、105打点。3度の最高殊勲選手、7度のベストナイン三冠王2回。当然、そんな原辰徳氏は1980年のドラフトの目玉でした。

注目の原辰徳氏は大洋、日本ハム、巨人、広島の4球団に1位指名され(同年最多)、抽選で巨人が交渉権を得たのは、誰もがご承知の通りです。

原辰徳氏の他に複数球団に指名されたのが、阪急と西武に指名されたプリンスホテル石毛宏典氏(西武入団)。ヤクルト、近鉄に指名された新日本製鐵室蘭の竹本由紀夫氏(ヤクルト入団)。

後の4球団は南海がリッカーの山内和宏氏、中日がプリンスホテル中尾孝義氏、阪神日産自動車の中田良弘氏。そして高校生で唯一!ロッテが1位指名した横浜高校愛甲猛氏でした。

高校生のドラフトの目玉は、横浜の愛甲猛氏一本被りだった!


愛甲猛氏は同1980年の全国高校野球選手権決勝で、人気の早実の1年、荒木大輔投手の早実をやぶり、夏は三度目の出場にして横浜高校を初優勝させた超高校級!(横浜高校は、春は7年前に初出場初優勝)。

ちなみに、同年春の高知商業の選抜優勝投手、後の阪神タイガース中西清起氏は(夏は箕島に2回戦敗退)、ドラフト指名なくリッカーに進んでおり、この年の高校生は愛甲猛氏が一本被り人気でした。

そんな愛甲猛氏は神奈川県逗子市出身で、高校も横浜高校なので志望は横浜大洋、または西武でしたし、大洋も原辰徳氏を抽選で逃した時の『ハズレ1位』と確約していたそう。

また、大洋から指名されなかった場合、プリンスホテルに進み、後のドラフトで西武が指名するとかなんとか、何やら密約があったとかなかったとか色々言われました。

なので、全く予想もしてなかったロッテの1位指名に、愛甲猛氏は笑顔なく仏頂面だったのは、当時を知る人は記憶にある筈です。

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それでも愛甲猛氏は思いの他すんなりロッテ入りし、大洋は原辰徳氏のハズレ1位で同じ高校生の峰山高校の広瀬新太郎氏を指名、入団しています。

同じく原辰徳氏を抽選で外した日本ハムも、秋田商の高山郁夫氏をハズレ1位で指名しましたが入団拒否され、高山郁夫氏はプリンスホテルに進み、後に西武に入団。

石毛宏典氏を抽選で外した阪急も、同じく松商学園の川村一明氏をハズレ1位で指名しましたがこちらも入団拒否。川村一明氏はプリンスホテルに進み、こちらも後に西武に入団しています。

また、竹本由紀夫氏を抽選で外した近鉄も、滝川の石本貴昭氏を指名。こちらは入団しましたが、ハズレ1位ではなく最初に1位指名された高校生は、この年は愛甲猛氏一人だけでした。

ちなみに阪神の単独1位指名で日産自動車から入団した中田良弘氏は、愛甲猛氏の横浜高校の3年先輩ですが、甲子園出場経験はありませんでした。

また、神奈川県大会の愛甲猛氏の横浜高校のライバル、Y高=横浜商業の通称『ジャンボ宮城』、宮城弘明氏はヤクルトに3位指名され入団。

愛甲猛氏は1年夏と3年夏の二度、甲子園大会に出場してますが、2年夏は宮城弘明氏の横浜商に県大会決勝で負け、続いて秋の県大会でも準決勝で負け、選抜出場を絶望にさせられた宿敵でした。

そんな1980年のドラフト指名選手のプロ1年目の1981年は、セリーグが巨人、パリーグ日本ハムがリーグ制覇。日本シリーズは4勝1敗で巨人が日本ハムをくだし、8年ぶりの日本一!

学生時代は高校大学と日本一経験のない原辰徳氏は、プロ1年目にして初めて日本一を経験し、そしてシーズン打率.268、本塁打22本、打点67で新人王も獲得。

パリーグの新人王は、シーズン打率.311、21本塁打、55打点の西武の石毛宏典氏と、お二人はドラフト1位の期待通りの活躍を1年目からしています。

方や、高卒1年目のロッテの愛甲猛氏は 、後の横浜高校の後輩の松坂大輔氏のようにはいかず(普通はいかない)、高卒1年目の投手らしい数字の1軍登板8試合、0勝2敗。


愛甲猛氏はその後も投手として勝ち星はなく、当時のロッテの同僚で先輩の落合博満氏に「ピッチャーは金にならないからバッターに転向しろ」と言われたそうで、野手、打者専任になってから花開いてます。


1988~1992年は5年連続全試合出場し、一塁手として3番、5番を打ち1989年には打率.303。
 
1988~1990年の3年間は二桁本塁打を放ち、1989年にはゴールデングラブ賞を受賞。ロッテの中心選手になりました。

唯、高校時代に日本一を経験している愛甲猛氏ですが、ロッテ15年間でリーグ優勝なし。

中日移籍後の1999年リーグ優勝を経験しましたが、日本シリーズダイエーに1勝4敗で敗れたので、プロでの日本一経験はありませんでした。

とはいえ、セパ両リーグの野球を経験した愛甲猛氏は、1980年のドラフト同期全選手の中で、最も長い2000年まで現役生活を続け引退しています。


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