天才!山下達郎氏のカヴァーで知った!ザ・ビーチボーイズの「ダーリン」、、、

 


ザ・ビーチボーイズは70年代初頭当時、私のような遅れてきたビートルマニアには、ザ・ローリング・ストーンズやザ・モンキーズと共に、バカにして嘲笑しなければならないバンドという、ビートルマニア内の同調圧力のあるバンドでした(笑)。

正直、当時のこのビートルマニアの同調圧力は、けっこう心の中では異議がありました。だって私はザ・ローリング・ストーンズもザ・モンキーズも好きでしたから。

とはいえ、当時の音楽ファンは歌謡芸能の世界は勿論、吉田拓郎氏と井上陽水氏、かぐや姫のファンが主流で、この辺の洋楽の話は実はかなりマニアックでした。

 




そんな私のザ・ビーチボーイズ初体験は、日本公開1974年12月の映画「アメリカン・グラフィティ」。

 

ザ・ビートルズよりもザ・モンキーズよりもザ・ローリングストーンズよりも、遅い初体験でしたが、映画の中でのザ・ビーチボーイズの曲の使われ方が実にカッコ良かった。

 

なので当時、アメリカで爆発的に売れていた(日本ではそれほどでもなかった)ザ・ビーチボーイズ初の1960年代のヒット曲集、ベスト盤の「終わりなき夏」を購入。

こちらも多感な思春期時代だったせいもありますが、(すげー!ビーチボーイズって名曲だらけじゃん!)と、いやー、本当に!痺れた1枚でした♪


で、、、

天才!山下達郎氏は実践していたので、凄い人だなーと思いますが、若き山下達郎氏がビーチボーイズをやってると、周りのロック系の連中に「つまんねー曲やってんな」と揶揄されたそうです。

「おまえ等みたいな、当たり前の曲やんねーんだよ」と、このへんは若い頃から山下達郎氏は山下達郎氏だったようで、なかなか鼻っ柱が強い。

かくいう私も「終わりなき夏」に感動して、「ビーチボーイズは良い!最近はビーチボーイズにハマってる」と言って、賛同された事は一度もなく、むしろ当時のハードロック、プログレファンには嘲笑の対象でしたね。

当時はシンガーはロッド・スチュワート、ポール・ロジャースを褒めるのが、洋楽ロックファンの掟でしたから(笑)、ザ・ビーチボーイズのハーモニーなんて語っても、誰も聞く耳もたずでした。
 



それでもまだ、この手の洋楽ロック好きな子は話になったわけですが、絶対的多数の、ナイーブで傷つきやすい優しい人になってるつもりの、実は上昇志向の塊の「フォークの子」は、全く話が合わなかったですね〜。

でも、大瀧詠一氏や山下達郎氏が、ラジオでビーチボーイズが如何に素晴らしいかを繰り返し語り、お二人とも商業的にも成功し、発言により影響力が出ると状況は一変(笑)。

いつの時代も権威象徴に弱い日本人ですから、「達郎が言ってる」「大瀧が言ってる」と、ザ・ビーチボーイズの評価が鰻登りになったのが1980年代!

特に!ブライアン・ウィルソンは、天才ミュージシャン・作曲家と、日本でもそれはそれは再評価されだしましたが、それは全て!大瀧詠一氏と山下達郎氏の力です。

時代が「フォークからニューミュージック」とかになって、サザンオールスターズが大人気。

そのサザンオールスターズも出演した、ザ・ビーチボーイズ等、海外のバンドが参加した「Japan Jam」が1979年に江ノ島で開催された事や、雑誌「ポパイ」初のこの頃サーファーブームだった事もあり、ザ・ビーチボーイズは急に日本でも認知度が上がってます。

更に山下達郎氏が1984年のアルバム「BIG WAVE」のB面で、遂に!ビーチボーイズのカヴァー集をやり、これがまた!もの凄い評価されたので、日本でのザ・ビーチボーイズの評価は決定的になったと言えるでしょう。

私も「ダーリン」は、山下達郎氏の「BIG WAVE」のカヴァーで初めて知り、爺になった今も大好きなナンバー♪
 

で、繰り返しますが、日本人は権威権限に弱いので(笑)、「あの!達郎が、こんな事やってるバンドなんだから、ビーチボーイズは凄いに決まってる」となったわけです。

商業的にも成功し、その音楽マニアぶりも有名な山下達郎氏、そして大瀧詠一氏の発言は、もはや絶対的な権威象徴で、お二人が言ってる事に反対意見を言う輩はいなくなった。

なので、誰もが1980年代以降は、日本でもビーチボーイズを称賛するようになったわけです。

だからこの頃、若者だった2021年現在今は50代のおっさんは、その現象が当たり前の頃に多感な青春時代を過ごしてるので、か〜なり!ザ・ビーチボーイズに詳しいマニアが多い。

というわけで、若者だった当時も爺になった今も、同世代で一人もザ・ビーチボーイズの話のできる奴が周りにいないので(笑)、常に一人静かにザ・ビーチボーイズを楽しむ爺でした〜。