二松学舎は初の決勝進出から、夏の甲子園初出場まで43年かかった!

 


今や東京の野球強豪校の1つと数えられる二松学舎が、春夏合わせて初めて甲子園に出場したのは1980年の選抜大会。

秋の東京都大会初優勝の二松学舎が初出場なら、準優勝の帝京もまだ春2回目の出場で、共に夏の選手権出場はまだありませんでした(帝京は見事に選抜準優勝)。

そんな二松学舎は夏の東京都大会で、初めて決勝進出したのは1971年と、選抜初出場の9年前でしたが、日大一の前に2対12で敗退。

今のような東京が東西2校の出場枠になった初年度、1974年にも二松学舎は東東京大会で再び決勝進出しますが、後に広島東洋カープ等で大活躍する高橋慶彦投手擁する城西に、2対5で敗退しています。

この時まで、城西も二松学舎も共に春夏通じて甲子園出場はなく、城西が二松学舎より先に夏の甲子園に初出場しました。

そして二松学舎初の甲子園出場になった1980年の選抜後、春夏連続出場を目指した夏の東東京大会も、決勝戦早実に4対10でやぶれ、三度!二松学舎夏の甲子園出場を決勝で逃しています。



更に!その2年後、秋季大会決勝で早実荒木大輔投手)に敗れ準優勝なれど選抜され二度目の春の選抜出場し、見事に準優勝に輝き二松学舎の名を全国に知らしめた1982年。

 

しかしその夏も、4回戦で都立足立に1対4で敗れる大番狂せを演じてしまい、夏の甲子園にまだ届きません。

ちなみに、この年の二松学舎の春夏のエースだったのが、2023年現在、二松学舎の監督をつとめている市原勝人氏。

そしてここから二松学舎は夏は勿論、春の選抜も3度目の出場になるのは2002年と、20年も甲子園出場にブランクが空いてしまう、低迷期がありました。

 

2001年の秋季大会で20年ぶりに決勝進出した二松学舎は、決勝で日大三に敗れますが選抜されました。が、その間1984年、1992年、1990年と3度夏の東東京大会は決勝で敗れています。

そして春の選抜に出場した2002年夏も決勝で帝京に敗れ、またしても夏の甲子園出場ならず。春夏連続出場を逃しました。

 

更には翌2003年も二松学舎は、都立雪谷に決勝で敗れ、同年秋の東京大会に二度目の優勝を飾り4度目の選抜出場になった2004年の夏も、また!決勝で修徳に負け春夏連続出場ならず。

 

夏は3年連続で決勝で敗退ですから、これは当時の野球部部員もOBも、学校関係者も、みんな本当に悔しかったでしょうね〜。

その後再び二松学舎は低迷し、2013年に久々に夏の大会で決勝進出しますが、またしても修徳に敗れ甲子園出場ならず。

その翌年、2014年に決勝で帝京をやぶり、悲願の!夏の甲子園初出場を二松学舎は決めますが、思えば1971年に初めて決勝進出するも、日大一に敗れてから43年かかって!夏の甲子園の初出場!

今や東京の野球強豪校の1つに数えられる、2023年現在、春7回・夏5回出場の二松学舎も、夏の甲子園初出場までは苦難の道のりだったと言えます。

最後になりますが、二松学舎や関東一と同じ東京では野球新興校に数えられる帝京は、夏は2011年、春は2010年以降甲子園出場はなく、夏はその間、決勝で一度、準決勝で二度、二松学舎に敗れています。