私的好きなレコード・CDジャケット 15選

 

ユーミンの「やさしさに包まれたなら」の、吉川忠英氏のアコースティックギターは、いつ聴いても美しいな〜♪

 

1989年のアニメ映画「魔女の宅急便」のエンディングテーマに使用されたので、リアルタイム1974年を知らない世代でも、かなり知られてる、ユーミンナンバーの「やさしさに包まれたなら」。

イントロの印象的なギターは、名手!吉川忠英氏。 

アメリカに渡って音楽活動し、日本に帰ってきた後の吉川忠英氏の仕事ですが、この当時の3フィンガー系のアコースティックギター、かなり吉川忠英氏が弾かれてる。

当時、アコースティックギターといえば石川鷹彦氏か吉川忠英氏かってぐらい、知る人ぞ知る売れっ子名手でした。

ドラムは林立夫氏、ベースは細野晴臣氏、エレキギター鈴木茂氏、キーボードは松任谷正隆氏のキャラメル・ママからティン・パン・アレーにグループ名がかわった頃のメンバー。

この曲には参加してないけど、このアルバムにはシュガーベイブ時代の山下達郎氏が参加しております。

達郎氏のシュガーベイブはリアルタイム当時、郡山で行われたワンステップロックフェスッティバルに、クリエイションや四人囃子サディスティック・ミカ・バンド、キャロル、ジュリー=沢田研二氏、小野洋子さん等と共に出演しておりました。

が、、、

残念ながら、全く一般的には知られた人ではなかったので、達郎氏を選んだユーミンとプロデュースの村井邦彦氏のセンスは、ずば抜けていたと思われますね。

というか、リアルタイムはこのアルバム、殆ど売れてなかったし、キャラメル・ママティン・パン・アレーのメンバーも一般的にはそれほど知られてなかったです。

ユーミン=当時は荒井由実さんが、一般的に知られるようになるのは翌1975年。

TVドラマの主題歌に使われた「あの日にかえりたい」と、ユーミンが楽曲を提供したバンバンの「いちご白書をもう一度」が爆発的に売れてから。

で、1975年はいきなり時代がかわったと言っても過言ではなく、翌1976年のオリコン年間アルバムチャートトップ20には、ユーミンの旧作含むアルバムが3枚もランクイン。

やさしさに包まれたなら」は、その頃だされた、アルバム未収録だった大ヒットナンバー「あの日にかえりたい」含むユーミン初のベストアルバム「ユーミンブランド」がバカ売れした結果、一般的に知られた曲です。

このへん、イーグルスが「呪われた夜」のヒット後だしたベストアルバムで、それ迄のイーグルスの名曲を、多くの日本の洋楽ファンが知ったのと、よく似てますね。

前年までは吉田拓郎氏、井上陽水氏、かぐや姫等が上位を占めていた「フォーク一人勝ち」の時代が終焉。

所謂「フォークからニューミュージック」的に言われだした、そのきっかけがユーミンの大ブレイクだったわけです。

で、ユーミンのアルバムでも活躍してた鈴木茂氏がアメリカに渡り、あちらのミュージッシャン達と競演したソロアルバムを発表。翌1976年にはシュガーベイブを解散した山下達郎氏も、アメリカに渡りソロアルバムを発表。

まあ、商業的にはどちらも大成功と言えるものではなかったわけですが(今や初老予備軍&初老の当時の一般的な若者達は、まだそこまで音楽のセンスが成熟してなかったから)、、、。

同じく1976年、フェリックス・パッパラルディとのアメリカツアーとレコーディングを終えた、若き竹田和夫御大のクリエションの日本武道館での凱旋帰国ライブ。

1975年のキャロル解散、ソロになった矢沢永吉氏の1976年の日比谷野音での「帰ってきたぞー!」のソロライブ前後からの快進撃しかり。

世の中の流れがちょっとかわってきたのが、1975~76年だったと、K-UNITバンマスは記憶しております。

1980年頃大ブレイクした高中正義氏が、サディスティック・ミカ・バンドサディスティックスからソロになり、インストアルバムを発表するのも(こちらも当時はそれほど売れなかった)この頃で、所謂フュージョンブームの起源はこの頃だったとも言えるでしょう(当時、クロスオーバーという言葉はあったと思うけど)。

というわけで、時代の変革のとっかかり、特に当時の女の子の意識、センスを変えたのは、ユーミンの影響だったと、ボクは思ってます。 

 

アガサ・クリスティ原作「地中海殺人事件」(1982年)。名探偵ポワロものに出演してたダイアナ・リグとジェーン・バーキン!熟女二人の素敵さ!

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1970年代後半から80年代初頭にかけ、アガサ・クリスティ原作、名探偵ポワロもの映画が、ちょいと世界でも日本でも人気になり、何作か作られヒットしましたが、こちらは1982年の「地中海殺人事件」。

地中海の美しい小島、リゾートホテルに集まった人たちの「悪い噂」は、人目もはばからず女房持ちのパトリックとイチャイチャしてる、色っぽい助平そうな「おばちゃん女優」役のアリーナ↓。

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まぁ、アリーナ、殺されちゃうんですけど、、、

このリゾートホテルに集まった人々が、別件の調査でたまたま訪れていた名探偵ポワロ以外、多かれ少なかれ殺害されたアリーナと、何等かの関わりがあり、しかも皆アリーナ殺害時間には、アリバイがある。

てな、流石!アガサ・クリスティの秀逸な!物語。

さて「灰色の脳細胞」名探偵ポワロ、どうやってこの中に必ずいる犯人のアリバイを崩していくか?

サスペンス&ミステリー好きのボクは、とても好きな映画。

007シリーズ唯一!、ジェームズ・ボンドと結婚する女性を演じたダイアナ・リグ

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で、、、

アリーナを演じたダイアナ・リグは、20代の頃ショーン・コネリーが一度は降りた(一作品だけ復帰します)007=ジェームズ・ボンドの2代目、ジョージ・レーゼンビーの「女王陛下の007」のヒロイン。

すなわちダイアナ・リグはボンドガールで、リアルタイム当時は注目された女優さんでした↑。

で、「女王陛下の007」では、あの!助平の国から助平を広めにきたような、女と見ればすぐやっちゃう007=ジェームズ・ボンドが、なんと!結婚しちゃう、、、。

そのボンドの結婚相手役が、ダイアナ・リグ↓。これは当時!事件でした(笑)。 

で、結果的にはこの新婚夫婦、悲劇的なラストを迎えてしまう、けっこう映画007=ジェームズ・ボンドシリーズでは、「女王陛下の007」は異質な物語。

なのですが、如何せん2代目007=ジェームズ・ボンドを演じたジョージ・レーゼンビー。それまでのショーン・コネリーが、ものすごい人気だったうえ惜しまれてたので、リアルタイム時、評判が悪くてね〜。

結局、すったもんだがあって、ショーン・コネリーがもう一度007=ジェームズ・ボンド役をやる事になって(「007 ダイヤモンドは永遠に」)、その後は三代目としてロジャー・ムーアが定着。

なので、ジョージ・レーゼンビーの007はこの1作だけで終わってしまったので、日本では007マニアぐらいしか、ボンドの花嫁さんを演じたダイアナ・リグ、知ってる人いなかったので、それから13年!!

1982年の「地中海殺人事件」に、ダイアナ・リグが出演した時は、ボクは嬉しかったものでした。

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「ジュテーム」でお馴染みだった!ジェーン・バーキン

で、もう一人、アリーナと自分の亭主が人目もはばからずイチャイチャしていても、耐えに耐えてた、最初は地味〜で、子供好きなか弱い奥様を演じたのがジェーン・バーキン

でも実は!彼女はそんな女じゃなかったってな、ボクの大好きな!パターンのオチで、華やかに登場してきたのが、こちら↓↑。 

颯爽として実に!美しいですねー。
 
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ジェーン・バーキンはその前のアガサ・クリスティ名探偵ポワロ映画「ナイル殺人事件」にも登場してましたが、断然!こちら「地中海殺人事件」の方が良いですね〜。

というわけで、当時のアガサ・クリスティ作品、名探偵ポワロものの映画は、わりとオールスターキャストで、風景の映像もとても美しく衣装も洒落てるし、なんと言っても女優が美女揃い。

なので、一度観ればオチもわかってるのですが、チャンスがあると美女と風景も楽しいので、ボクは何度でもポワロ映画は観ちゃいます♪

そして時が流れ、ポワロはイギリスが生んだ世界的に有名な名探偵ですから、1989年から2013年にかけイギリスでシリーズ化され「名探偵ポワロ」としてテレビ放映(日本はNHKで1990年より)。

「地中海殺人事件」は、日本では2002年の1月1日元旦に、原題の「白昼の悪魔」として放映。ネット上で今も「名探偵ポワロ」は人気シリーズになっていますので、「白昼の悪魔」として観ることができます。

まぁ〜「地中海殺人事件」も「白昼の悪魔」も日本でつけられた邦題で、映画もドラマも小説も英語タイトルは「Evil under the Sun」。太陽の下の悪とでも訳すのかな?

ちなみに同じ「Evil under the Sun」でも映画「地中海殺人事件」とテレビドラマ「白昼の悪魔」は、犯人は同じでも若干内容が異なりますので、観比べて見るのも、ファンは楽しいですね♪
 

1969年 ジョン・レノンのぶっ飛んだ1年を今更ながら振り返ってみる、、、

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1969年

・1月 ザ・ビートルズ ルーフトップ・コンサート。

 

・2月 ザ・ビートルズ「アビィ・ロード」レコードング開始。

 

・3月 ジョンと洋子、新婚旅行先のオランダ・アムステルダムでベッドイン。

 

・3月 ジョンと洋子、音楽のない「ウェディング・アルバム」を録音。

 

・4月 ザ・ビートルズ名義で、シングル「ジョンとヨーコのバラード」レコーディング。

B、Dr、P ポール・マッカートニーの多重録音の、二人だけのレコーディング。

 

・5月 ジョンと洋子、カナダ・トロントで二度目のベッドイン。

 

・6月 プラスチック・オノ・バンド「平和を我等に」レコーディング。

 

・7月 ザ・ビートルズ 「カム・トゥゲザー」レコーディング。後にアルバム「アビィ・ロード」のA面1曲目、シングルとして発表。

 

・8月 「アビィ・ロード」レコーディング終了。

 

・9月 カナダ・トロント プラスチック・オノ・バンド R&Rリバイバルコンサート。

G:エリック・クラプトン、B:クラウス・フォアマン、Dr:アラン・ホワイト

 

・9月 プラスチック・オノ・バンド 「コールド・ターキー」レコーディング。

G:エリック・クラプトン、B:クラウス・フォアマン、Dr:リンゴ・スター

 

・11月 イギリスのナイジェリアへの干渉に抗議。MBE勲章を返却。

 

・11月 9月から流れていたポール・マッカートニー死亡説を、「ライフ」誌がポール本人のインタビュー掲載で否定。

 

・12月 プラスチック・オノ・バンド ピース・フォー・クリスマスコンサート。

エリック・クラプトン、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイトの他、ジョージ・ハリスンジム・ゴードンビリー・プレストン、ニッキー・ホプキンス、キース・ムーン、デラニー&ボニー等が参加。

 

 

1967年度版の「007 カジノ・ロワイヤル」に出演していた、バーバラ・ブーシェとジョアンナ・ペティットは素敵だったなー♪

あなたのサイトのURL、そろそろスリムにしませんか?

2006年に公開された「007 カジノ・ロワイヤル」ですが、1967年に同名で製作上映されており、当時はショーン・コネリージェームズ・ボンドがバカ受けしていた時代。

なので、こちらの完全な007のパロディ映画は、かーなり異端扱いされ嘲笑されていたと、K-UNITバンマス、子供心に記憶しております。

まあ、というわけで2006年の 「007 カジノ・ロワイヤル」とは同名なれど、全く別ものなわけで、、、

それには色々とながーい話しがあるわけですが、そのへんはwikipediaに任せるとして(笑)、1967年版にでていた女優さん二人がボクは好きなので、ご紹介いたします。

一人はドイツ系アメリカ人のバーバラ・ブーシェ

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バーバラ・ブーシェ



スレンダーなべっぴんさんです。

が、この方、レオナルド・ディカプリオキャメロン・ディアスの2002年公開の「ギャング・オブ・ニューヨーク」に出ており、未だ役者をやってたのかーと思ったほど、他の作品でボクはあれ以来観た事がなかった方です。
 
が、YouTubeで探すと、けっこうアップされてますね。
 

 で、もう一人がこちら、イギリス人女優のジョアンナ・ペティット↓。

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この方、1960年代後半しか映画出演はないようなので日本では馴染みが薄いですが、なかなか素敵な女性だと思いまする。 

エルヴィス・プレスリー、スティーヴ・マックイーン、ジャック・ニコルソン等と競演していたアン・マーグレットの美しさ!

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わりと子供の頃から糞爺予備軍になった今の今迄、ずーっと!アン・マーグレットが好きなんです。

が、どうもこの方、ボク等世代から少し上の、普通に日本人なら誰もが知ってるような映画に出演してないので「オレ、アン・マーグレット好きなんだよ」と言っても、反応が鈍くて寂しい思いをし続けてるK-UNITバンマス(笑)。

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美人ですよ〜!ほんと、、、美しい!!

まあ、エルビス・プレスリーファンの人なら「ラスベガス万才」。

スティーヴ・マックイーンファンなら「シンシナティ・キッド」。

1970年前後の映画ファンなら「C・C・ライダー」「愛の狩人」。

ロック映画ファンなら「トミー」でお馴染みの女優なんですが、これ!って日本人なら誰もが知ってる、聞いた事がある主演作品がないんですよね。

アカデミー賞にもノミネートされてるし、ゴールデングローブ賞は獲得してるんですけど、、、。 

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で、これだけ!派手なお顔とボディのわりに、彼女はハリウッドでは珍しく離婚歴がありません。
 
日本でも大人気だった古のテレビドラマ「サンセット77」のジェフ・スペンサー役のロジャー・スミスと若い頃に結婚、2017年に彼が84歳で他界されるまで、添い遂げています。

映画「アメリカン・グラフィティ」で描かれた、1962年設定の踊る若者達と衣装と髪型とオールディーズサウンドの衝撃!

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今の若い人、いやアメリカンオールディーズ、フィフティーズというジャンルが当たり前になってから思春期を迎えてる筈の30代、40代の方には、どーってことない映像&音源だと思いますが、、、

無名のジョージ・ルーカスが発表した映画「アメリカン・グラフィティ」の1973年は、日本では空前の和製ふぉーくブームの最中(商業的頂点は1975年と思いますが)。

当時は無名監督で、出演者も皆無名俳優だったので、日本での公開はアメリカでの大ヒットを確認してからだったので大幅に遅れ、1974年末。

実際に当時のコアな若者達にウケたのは、1975年になってからと、アメリカとは約2年のタイムラグがありました。



でも、、、

アメリカもイギリスもそうだったと思いますが、ニューロックの若者達も皆、長髪にGパンを引きずり、もう少しコアになると髭をはやしたりしてたわけで、、、

校則も未だ未だ厳しく、タチの悪い「日教組」教師達が幅をきかせていた時代。

学生は早く大人になって校則に縛られず髪を自由に伸ばしたいなんて、ごく!普通に思ってた時代。

1962年の1日を描いたこの映画に写ってる若者達の髪型、衣装、乗ってる車、使われてる音楽同様、、、

特に!こちら学校でのダンスパーティ風景の描写で、「アット・ザ・ホップ」を歌い演奏してるフラッシュ・キャデラックとコンチネンタル・ キッズ(Flash Cadillac & The Continental Kids)の短髪の髪型。

髭もないこざっぱりした顔、赤いジャケットの衣装は、当時の若者達には既に『絶滅したアメリカ人』のソレだったんですね(笑)。

その絶滅した、今風に言えば「オワコン」のR&Rサウンド、50's衣装と髪型、そしてダンスを、あの時代に映画で蘇らせ、それを観せて聴かせた、監督のジョージ・ルーカスは、本当に偉かったですねー。

だから、このシーンはこの後の日本の音楽、風俗の歴史を変えたと信じております(結成前のクールスやシャネルズも、時代的に観てる筈ですから)。

 

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