1980年春夏準優勝の、帝京=伊東昭光投手、早実=荒木大輔氏が揃ってヤクルトで活躍した1987年!

1980年夏の全国高校野球東東京大会準決勝は、春の選抜準優勝の帝京が早実に敗れる大番狂せでした。

何故?大番狂せかと言えば早実のピッチャーは春まで中学生だった1年の荒木大輔氏で、帝京の春の選抜準優勝投手の伊東昭光投手も2年生でしたが、プロ注目の超高校級投手だったからです。

試合は1回表に早実が1点を先制し、このまま所謂「すみいち」で試合は終わるかと思いきや、9回表に早実は3点を奪い、試合は4対0で早実の勝利。荒木大輔投手は3安打完封勝利。

結局、早実は決勝で二松学舎もやぶり甲子園出場。見事に準優勝し、これから約2年間、日本中は「大ちゃんフィーバー」で大騒ぎになったわけであります。


後に春の選抜準優勝投手の帝京の伊東昭光氏と、夏の準優勝投手の早実荒木大輔氏のこの二人はヤクルト・スワローズで同僚になり、二人が共に二桁勝利をしてチームの中心投手になったのが1987年。

 伊東昭光投手14勝11敗、荒木大輔投手10勝9敗。

そしてこちらも東京都出身で東海大出身の高野光投手も、7勝6敗11セーブの好成績で、なかなか花のある投手陣の関根潤三監督就任1年目でした。

まぁ〜エースの尾花高夫投手もおりましたが(11勝15敗3S)、投手の駒不足は否めずチームは4位でしたが、東京者には『帝京の伊東・早実の荒木』お二人の活躍は嬉しい1987年でした。

また、この年は4試合で11打数7安打、本塁打6のデビューを飾った、現役大リーガーの凄みを見せつけた「ホーナー旋風」の年で、後に中心メンバーになる池山隆寛氏がレギュラーを獲得した年、広澤克実氏も初めて全試合出場した年。

荒木大輔氏が最近YouTubeで、関根潤三監督時代があったから野村克也監督時代のヤクルトは強くなったと言われていましたが、確かに「それは言えるな」と記憶が蘇りました。 

image


野村克也監督になっての1992〜1993年のリーグ2連覇、そして1993年の日本シリーズ西武ライオンズを破り日本一になった時も、荒木大輔投手も伊東昭光投手も勿論在籍しており、特に1993年は伊東昭光投手は13勝4敗2Sでチームの勝ち頭!

荒木大輔投手も8勝4敗とリーグ優勝に貢献しており、日本シリーズ第一戦のヤクルトの先発はその荒木大輔投手で、6回を投げ4失点(自責点2)なれど勝利投手になっており、日本一にも貢献しております。