矢沢永吉氏がキャロル時代に観たロッド・スチュワート&フェイセズ


1974年2月、ライブ・アルバム「ロッド・スチュワート&フェイセズ=ライヴ」を発表直後のフェイセズが来日。

この来日公演は元フリーの日本人ベーシスト、山内テツ氏がフェイセズに加入していた事もあり、山内テツ氏の凱旋帰国ライブ的な盛り上がりが、ロックファン界隈にはありました。

で、近年YouTubeで、キャロル時代の内海利勝氏は矢沢永吉氏と共に、このフェイセズ日本武道館ライブを観に行ったと述懐しています。

この時期、キャロルは昨年末からのジョニー大倉氏の失踪があり、しばらくはトリオで仕事をこなしていましたが、新メンバーとして猿山幸夫氏(サミー)を加入させています。

結果、そんなこんなで昨年6月発表、グループ初の小ヒットになった「ファンキー・モンキー・ベイビー」以来のシングル発表になってしまった、2月発表の「涙のテディ・ボーイ」。

この曲は、それまで作詞担当だったジョニー大倉氏ではなく、作曲の矢沢永吉氏初の!作詞ナンバーであり、おそらくレコーディングにジョニー大倉氏は参加してないでしょう。

↓ジャケット写真にジョニー大倉氏は写ってません。これはわざとでしょ。

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B面は既に前年9月公開、東映映画「番格ロック」で使われていた作詞:ジョニー大倉氏、作曲:矢沢永吉氏の「番格ロックのテーマ」を収録し、キャロルは何事もなかったような印象操作してましたが(笑)。

という、おそらく矢沢永吉氏の胸中は穏やかではなかった時に、内海利勝氏と共に日本武道館で観たフェイセズ矢沢永吉氏と同じベーシストの山内テツ氏を、客席から観て矢沢永吉氏は何を思ったか?

まぁ〜ご本人しかそれはわからないわけですし、今まで『矢沢語録』でこの時の回想、述懐はないので憶測でしかないですが、矢沢永吉氏が『世界』を目指したくなったのは、この時ではないですかね〜。

失礼な表現ですが、矢沢永吉氏は歌謡芸能の世界でひと山当てたくて広島から上京してきたので、当時は世界なんて頭にあったとは思えない。

でもこの時、日本人の山内テツ氏がイギリスのフェイセズのメンバーになって、こうして日本で凱旋ライブをやってる。自分にだって出来ないわけがないと、矢沢永吉氏が思ったとしても、おかしくない。

また、ロッド・スチュワートのマイクスタンドを使った歌唱パフォーマンスを、ソロになった後の矢沢永吉氏が真似をしてるのは、ちょっとしたロックファンなら承知の事実(歌謡芸能の西城秀樹氏も)。

案外、ソロになってからの矢沢永吉氏の原点は、このフェイセズのライブにあったのかも?と、私的には思っています。

で、それから23年後の1997年、ロンドンで開かれたエルビス・プレスリー追悼記念コンサートでロッド・スチュワート、ジョン・ボン・ジョビィと同じステージに立った矢沢永吉氏、何を思ったでしょうね〜↓。

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