
邦題「希望の炎」はドゥービー・ブラーザーズの初期の代表曲で、彼らのアメリカでの出世作になった(ビルボード最高位21位)1972年のセカンドアルバム「トゥールズ・ストリート」に収録されていた曲。
まぁ〜いつ「希望の炎」に邦題が変わったのか?記憶にありませんが、かつては「キリストは最高」という邦題がついていた通り、原題は「Jesus Is Just Alright」。キリスト讃歌の曲です。
で、この「Jesus Is Just Alright」は、ドゥービー・ブラザーズのオリジナル曲ではなく、アート・レイノルズが作詞作曲し、自身のバンド、ジ・アート・レイノルズ・シンガーズで1966年に発表しています。
ジ・アート・レイノルズ・シンガーズは↓ご覧の通り、黒人ゴスペルコーラスグループで、オリジナルの「Jesus Is Just Alright」は、まさに!そんな感じの秀作ですが、原曲は2分弱の短い曲。

で、ドゥービー・ブラザーズの前に、こちら「Jesus Is Just Alright」は、ザ・バーズが1969年にカバーしシングル発表しましたが、ビルボード最高位97位と、大きなヒットにはならなかったです。
まぁ〜ジ・アート・レイノルズ・シンガーズヴァージョンは、ドラム、ベース、ピアノのシンプルなサウンドですが、ザ・バーズヴァージョンはギターバンドらしいサウンドで、もうちょっとロックっぽい。
なので、ザ・ドゥービー・ブラザーズはザ・バーズヴァージョンを下敷きにし、独自のアレンジをしたのかな?と私的には感じてます。

で、時代背景を考えると、ラテンロックのサンタナが1969年のファーストアルバムをビルボード最高位4位、1970年発表のセカンドアルバム「天の守護神」を見事にビルボード1位の大ヒット!
1971年のサードアルバムもビルボード1位と、アメリカではサンタナ旋風が吹き荒れており、イギリスのラテンロックのオシビサもデビューし、ファーストアルバムはビルボード最高位55位を記録してます。
こういう音楽業界の流行り、売れ筋を音楽プロデューサーのテッド・テンプルマンが知らないわけがないし、勿論、ドゥービー・ブラザーズもしかり。彼らとて売れて金持ちになりたくてやってるんですから。
ドゥービー・ブラザーズはそんな1971年に、フォーク、カントリー色の強いファーストアルバムを発表しますが、これは不発に終わっているので、何がなんでもセカンドアルバムは売りたかったでしょう。
なので、当時『バカ売れしていた話題の!サンタナ』が、テッド・テンプルマンとドゥービー・ブラザーズの頭になかったとは、とても思えない。
なので、テッド・テンプルマンが「Jesus Is Just Alright」=「希望の炎」レコーディング時、彼らに「今流行りのサンタナみたいにやってみれば」的な提案をしたのかもしれないと、私は勝手に思ってます。
まぁ〜、この辺は本人達の証言がない限りわからない。レコーディングは密室作業なので。
そして、発表されたセカンドアルバムが「トゥールズ・ストリート」。
このアルバムより新ドラマーのマイケル・ホサックが加入し、ジョン・ハートマンとのツインドラム&パーカッションスタイルが確立していますが、このツインドラム&パッカーションの発想、、、
どこから生まれたのか?と考えると、やはりサンタナかな?と、しつこく勝手に思ってます(笑)。
また、レコーディング中にデイヴ・ジョグソンは脱退し、ベースも黒人のタイラン・ポーターに代わっており、「Jesus Is Just Alright」=「希望の炎」のベースはタイラン・ポーター。
なのに!冒頭のアメリカ版のシングルジャケットには↑、何故か?タイラン・ポーターは写ってない写真が使われているのも、私的には今も謎です。
「Jesus Is Just Alright」=「希望の炎」は、ドゥービー・ブラザーズナンバー唯一の!ラテンロックではないでしょうか?![]()
まぁ〜ドゥービー・ブラザーズヴァージョンの「Jesus Is Just Alright」=「希望の炎」は、イントロから秀逸なアレンジで、ドラムとパーカッションのサウンドがとてもグルーヴィングです。
そして所謂「ロックギター」的なサウンドも印象的で、中盤の🎵オーイエー以降の、スローになってからのブルースギターが誠に渋く、まさにこれはドゥービー・ブラザーズのオリジナル!
また、ドゥービー・ブラザーズのアルバムは、これ以降ゲスト参加がとても多いのが特徴ですが「トゥールズ・ストリート」も、数名の管楽器奏者のほか、ピアノ、オルガンでビル・ペインが参加しています。
このビル・ペインのオルガンが、後半のブルースギターと共に素晴らしいサウンドを奏でており、この方は5枚目のアルバム「スタンピード」迄、レコーディングにゲスト参加している初期の影のメンバー。
何故?影のメンバーで正式メンバーにならなかったと言えば、古のロックファンには釈迦に説法ですが、ビル・ペインは、こちらも有名なアメリカンバンド!リトル・フィートのメンバーだったからです。![]()
そしてドゥービー・ブラザーズは、当時流行りのサンタナやオシビサのような、ノリノリのラテンロックに「Jesus Is Just Alright」=「希望の炎」を仕上げてますが、この曲だけが特別にラテンロックっぽい。
アルバムの他の曲は、やはりギターと歌のパトリック・シモンズ好みのフォーク、カントリー色の強い曲あり、同じくギターと歌のトム・ジョンストンの好みのR&B、R&R風な曲が大半です。
だから、売れまくっていたサンタナの影響は受けたかも知れませんが、サンタナのようなバンドになろうとは、ドゥービー・ブラザーズは当時も今も思ったことはないでしょう。
なので!余計に「Jesus Is Just Alright」=「希望の炎」の、グルーヴィングなラテンロック風アレンジは、ある種ドゥービー・ブラザーズの全キャリアの中で異色のアレンジだったと言えます。
で、結果、アルバム「トゥールズ・ストリート」は勿論、シングルカットされた「Jesus Is Just Alright」=「希望の炎」は、ビルボードチャート最高位35位の中ヒット。
また、同じくシングルカットされた「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」が11位の大ヒットしたので、ドゥービー・ブラザーズは、これにてアメリカで知られるバンドになり今に至っています。
が、実は1970年代前半当時の日本で、ドゥービー・ブラザーズの曲がヒットしていた形はなく(私的に記憶もない)、彼らの初来日は1976年と、アメリカで売れてからかなり経ってからでした。
ちなみに「Jesus Is Just Alright」=「希望の炎」と「ロングトレイン・ランイン」は、初来日前から赤坂の踊り場ビブロスで使われ人気の高い曲で、当時の日本では踊り場人気のバンドだった記憶があります。
圧倒的多数だった和製ふぉーくファンは別にしても、一般的な洋楽ポップス、コアなハードロック、プログレファンで当時、ドゥービー・ブラザーズ好きな奴、知ってる奴にあったことなかったので(笑)。
ドゥービー・ブラザーズ知ってるのは、好きだと言っていたのは、ジェームス・ブラウン好きと同じぐらい、踊り場通ってる不良しかいなかったですね〜。
また、1980年頃のサーファーディスコでも「ロングトレイン・ランイン」は定番だったので、リアルタイム1970年代前半に若者だった人より、後追いの人の方がドゥービー・ブラザーズは詳しかったりします。
というわけで、たかが「Jesus Is Just Alright」=「希望の炎」、されど「Jesus Is Just Alright」=「希望の炎」という事で、ちょいと能書をほざいてみました。
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